両(りよう)淮(わい)地方に戦乱がおこって、ようやくしずまった頃のことである。
戦火を避けて江南に渡っていた人々は、おいおい郷里へ帰りはじめたが、そのなかに、山陽地方の二人の士(し)人(じん)がいた。二人は淮(わい)陽(よう)を通ったが、ようやく日が暮れかけてきたので、北門外の宿屋に泊ろうとした。すると宿の主人が丁(てい)寧(ねい)に二人にいった。
「わたくしどもは、お客さんをお泊めするのが商売でございますから、お一人でもよけいに泊っていただきたいのはやまやまでございますが、あなたがたのような正(せい)直(ちよく)なおかたには、ほんとうのことを申し上げねばなりません。長いあいだ戦乱がつづいて家はすっかり荒れておりますし、それに、このあたりはまだぶっそうで、しきりに盗賊どもが徘徊しておりますゆえ、お泊りいただいても、かえってご迷惑をおかけすることになると思います。ここから十里ばかりさきに、呂(りよ)という家がございますが、そのあたりは閑静なところで、荒らされてもおらず、盗賊をふせぐ用意もできておりますので、そこへお泊りになるのがよろしかろうと思います。さいわい、わたくしの家には馬がいますから、それに下僕をつけてお送りいたしましょう」
宿の主人の言葉は誠意にみちていた。二人は感謝して、すなおに主人の好意に従うことにした。
「また淮陽をお通りになることがありましたら、ぜひおたちよりください。もう日が暮れてきてぶっそうですが、この下僕たちがついておれば大丈夫でございます」
主人は屈強な下僕二人にそれぞれ逞(たくま)しい馬を曳(ひ)かせて、二人の客を送らせた。
途中、何のこともなく、まだ夜のふけぬうちに二人は無事に呂家へ着いた。出迎えた呂家の者は、おどろいていった。
「淮陽からの道には、日が暮れるとあやしい者が出ますのに、よくもまあご無事で」
二人が淮陽の宿の主人のことを話して馬から下りようとすると、馬も下僕も、突っ立ったままで動かない。どうしたことかとあやしみながら飛び下り、呂家の者の持ってきた明りで照らして見ると、そこには馬も下僕もおらず、二脚の木の腰掛けと、二本の枯れた太い竹があるだけだった。
呂家の者は腰掛けも竹もうちくだいて焼いたが、何のあやしいこともおこらなかった。
それから数ヵ月後、二人はまた淮陽を通り、北門外の宿へ行って見たが、そこは空屋で誰も住んでいなかった。近所の人々にきいてみると、その家は何年も前からずっと空屋だといった。彼らを呂家へ送った主人が何者であったかは、ついにわからない。あるいは、二人が正直な士人であることを知った術者が、彼らを護ったのかも知れない。
宋『異聞総録』