洛陽に劉(りゆう)という男がいた。仕官もせずにぶらぶら暮していたが、どこか尋常の人とはちがった風格をもっていた。
張(ちよう)易(えき)という人がこの劉と知りあって、したしくゆききしていたが、ある日、劉が張易を訪ねてきていった。
「町の男に銀を売ったのですが、ろくに代金もはらわないのです。いっしょにいって催促をしてくれませんか」
張易が承知して劉といっしょにその町の男のところへいってみると、男はかえって、さかねじを食わせて劉を罵(ののし)った。
「あれはにせ銀だったよ。さきにはらった代金だけでも、はらいすぎたくらいだ」
「では、もらった代金は返すから、銀を返してくれ」
「あんなものは、とっくに処分してしまったよ。にせ銀をもっていても仕様がないからな。おれに大損をかけた上、まだずうずうしく金(かね)をゆすろうというのか」
男は劉を、いかさま師とかゆすりとかいって、さんざんにあくたいをついた。劉が不正なことなどするはずのないことを知っている張易は、すっかり腹を立てて、
「おまえこそ、いかさま師ではないか」
と罵ったが、劉は「まあまあ」といってかえって張易をなだめ、そのまま男の家を出た。帰途、劉は張易にいった。
「あの男は愚か者で、ものの道理をわきまえませんから、わたしがすこし、こらしめてやります。そうしないとあの男は土地の神霊の怒りにふれて、かえって重い罰を受けるでしょうから。こらしめてやるのが、あの男を救う道です」
「どんなふうに?」
とたずねると、劉は笑ってこたえなかった。
その夜、劉は張易の家に泊った。張易が気づかれぬようにして劉の様子をうかがっていると、劉は明りを消してからこっそり起きだし、自分の寝台の前で炭火をおこしはじめた。火がおこると、何か薬のようなものを取り出して、火の中へくべた。それがすむと、劉は寝てしまった。
張易がなおも様子をうかがっていると、やがて一人の男があらわれて、消えかけた炭火を吹きだした。頬をふくらませ、唇をまるくとがらせて、しきりに吹いている。よく見るとその男は、あの銀をごまかした男だった。男はいつまでも、休みなく火を吹きつづけていたが、夜明けごろになると、その姿はいつのまにか消えていた。
朝になって見ると、劉の寝台の前には昨夜の炭火のあとは、あとかたもなかった。張易は昨夜のことは夢だったのかと疑い、劉にたずねてみることもはばかられて黙っていた。劉はいつもとかわったところもなく、朝食をともにしてよもやま話をし、帰っていった。
張易は、火を吹く男のことが夢ともうつつともつかぬまま、気になってならなかったので、それから十日あまりたったある日、例の男を訪ねてみた。すると男は、ひどくやつれた顔をして出てきていった。
「どうも不思議な目にあいました。このあいだ劉さんにあくたいをついた晩でした、夢で誰かがわたしをつれ出しにきて、どことも知れぬところへ引っぱってゆかれ、そこで夜どおし炭火を吹かせられたのです。一息も休むことができず、しまいには息が切れてしまって、死ぬほどの苦しさでした。朝になると夢がさめましたが、ひどく息切れがして胸が苦しく、それに火を吹きつづけたせいか、唇がすっかり腫(は)れあがって、ものを食うこともできず、喋(しやべ)ることもできず、十日あまり苦しみつづけました。わるいことをした報いだと思います。これからは心をいれかえて、まともに暮そうと覚悟をきめました」
張易は男のいうことをきいて、さては自分が見たのはうつつであったのかとおどろいた。しかし、男は夢の中でそんな目にあったのだから、かならずしもうつつとはいえぬ、と思うと、いよいよ不思議でならなかった。
劉はこういう不思議な術をおこなったので、河(か)南(なん)の尹(いん)の張(ちよう)全(ぜん)義(ぎ)という人に尊敬されて、よくその家に出入りしていた。
あるとき張全義は天子の宴に招かれて陪食した。食事のさなかに天子はふと、魚のなますを食べたいといいだした。それをきいた張全義は劉のことを思っていった。
「すぐ、ととのえることができます」
「すぐ? 魚をとりよせるのに暇(ひま)がかかるぞ」
と天子はいった。
「さほど暇はかかりません。わたくしの知っております劉という者に申しつけますならば、すぐにととのえることができると思います」
そこで、劉が呼びよせられた。
「庭に小さい穴を掘っていただきたい」
と劉はいった。穴ができると、
「水をみたしていただきたい」
といった。水がみたされると、
「どんな竿でもよい、釣竿をいただきたい」
といった。釣竿がわたされると、劉は天子の見ている前で、しばらく釣糸を垂れていた。と、五、六匹の魚がつぎつぎに釣りあげられた。人々の感歎するなかで天子はにがい顔をしていたが、突然大声で叫んだ。
「なますはいらぬ。そやつは妖術を以て人をまどわすおおそれたやつだ。ただちにふん縛って獄へ投げこんでしまえ!」
劉はすぐ人々にとりおさえられ、鞭(むち)うたれること二十杖。手(て)枷(かせ)、首枷をはめて獄へいれられてしまった。
明朝殺してしまえという天子の命令だった。蟻のはい出るすきまもないほどの厳重な警戒であったが、劉はその夜のうちにかき消えるように姿をくらましてしまった。
その後、劉のゆくえを知る者は誰もなかった。
宋『稽神録』