建州に呉という武将がいた。呉は出陣を前にして、あらたに鋳造した鋭利な剣を持って、梨(り)山(ざん)廟(びよう)に参詣した。
建州の梨山廟は、唐の懿(い)宗(そう)のとき侍(じ)御(ぎよ)史(し)だった李(り)頻(ひん)を祭った廟である。李頻は百官の違法を摘発するというその職務を、極めて厳正に遂行した。相手がいかに大官であろうと、いやしくも法をまげておもねるというようなことは微(み)塵(じん)もしなかった。そのため大官たちに憎まれ、建州の刺史に左遷されて、再び都に召喚されることのないまま、この地で死んだ。死んだ夜、建州の人々の多くが、李頻が白馬にまたがって梨山にはいって行くのを見た。そこで廟を建てることになったのだという。
さて、梨山廟に参詣した呉は、神に祈願した。
「どうか、この剣で十人の敵を斬り殺すことができますように……」
その夜、神のお告げがあった。
「人を殺すなどという悪い願いを、神にかけるものではない。しかし、わたしはおまえを救ってやろう。おまえが敵に斬り殺されることのないようにしてやろう」
呉はよろこんで出陣した。だが、呉の軍は大敗し、呉の左右をまもっていた者たちも散りぢりになってしまった。逃げる呉を大勢の敵が剣をふりかざしながら追いかけてきた。もはや逃げとおすことはできないと覚悟した呉は、足をとめて敵をふり向きざま、その鋭利な剣で自(みずか)ら首を刎(は)ねて死んだ。
宋『稽神録』