徳州に宋(そう)清(せい)遠(えん)という人がいた。
ちかごろ知りあって、意気投合した友人がいたが、ある日、その友人を訪ねていったところ、話がはずんで、いつのまにか夜になってしまった。友人はしきりに泊っていくようにすすめて、
「今夜はよい月夜だから、一つおもしろい芝居をお目にかけましょう」
という。
「どんな芝居ですか」
ときくと、友人は笑って、
「いまにわかります。さて、準備をしましょうか」
といい、堂の下の庭に橙(だいだい)の実を十個あまりころがしてから、宋を堂の上に招いて、
「飲みながらここで見物しましょう」
と、酒をすすめた。
夜のふけるにつれて、月はますます明るくなってきた。と、一人の男が垣を越えて庭へしのびこんできた。友人は無言で、目くばせをする。
見ていると、しのびこんできた男は橙に出あうごとに、つまずき、よろめき、越えにくそうにして、やっとのことで一つ一つ越えていったが、全部を越えてしまうと、こんどはまた逆に進み、逆に進んで全部を越えてしまうと、つぎにはまた曲って進み、行ったり来たり、百回も二百回もそんなことをくりかえしていたが、しだいに疲れてきて、ふらふらになり、ついにはもう動けなくなって倒れてしまった。
「どうです? おもしろい独り芝居でしょう」
と友人はいった。やがて夜が明けてくると、友人は倒れている男を堂の上につれてきて、
「気つけ薬だ」
といって酒を一杯飲ませてから、
「おまえは、なにをしにやってきたのだ?」
ときいた。男はおそれいって答えた。
「わたくしは泥棒でございます。お宅の庭へしのびこみましたところ、幾重にも垣がつくられていまして、越えても越えてもはてしがございませんので、引き返そうとしましたが、帰りみちにもたくさん垣があって、いくら越えても外へ出られず、とうとうくたくたになって倒れてしまったのでございます。わるい心をおこした罰です。どうかお気のすむまで打つなり蹴るなりしてくださいませ」
「そうか。なにも取ったわけではないのだから、よろしい、もう帰りなさい」
友人はそういって、笑いながら男をゆるしてやった。それから宋にむかっていった。
「昨夜はあの男がやってくることがわかっていたものですから、あなたのおなぐさめにと思って、たわむれに術をかけてやったのです」
「あれはどういう術ですか」
と宋がきくと、
「奇門の法というものです。うかつにおぼえると、かえってわざわいをまねきますが、あなたは高潔な方(かた)ですからその心配はございません。もしお望みならこの法を伝授いたしますが、いかがでしょう」
「せっかくのお言葉ですけれど、わたしのような凡(ぼん)庸(よう)な者は、知らないほうが身のためと思いますので……」
宋がそういって辞退すると、友人は嘆息して、
「学ぶことを願う者には伝うべからず、伝うべき者は学ぶことを願わず。ああ、この術もついに絶えるでありましょう」
といった。
その後、友人は旅に出るといって宋に別れを告げにきたが、そのまま再び徳州にはもどってこず、誰もその行方を知る者はないという。
清『閲微草堂筆記』