返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

中国怪奇物語144

时间: 2019-05-28    进入日语论坛
核心提示:  板橋の三娘子 〓(べん)州(しゆう)の西の板(はん)橋(きよう)店(てん)という村に、街道沿いに一軒の旅籠(はたご)
(单词翻译:双击或拖选)
   板橋の三娘子
 
 
 
 
 〓(べん)州(しゆう)の西の板(はん)橋(きよう)店(てん)という村に、街道沿いに一軒の旅籠(はたご)屋(や)があった。宿のあるじは三(さん)娘(じよう)子(し)という女で、どこからきた人か、誰も知らなかった。三十歳あまりの独(ひと)り者(もの)で、身内の者もなく、使用人もおらず、一人で客のもてなしをしていた。
 小さな宿だが、なかなか豊からしく、裏の厩(うまや)には驢(ろ)馬(ば)をたくさん飼っていた。その驢馬を、車馬のない旅人には安く売ったり貸したりしてやるので、三娘子の評判はよく、そのため街道を通る旅人は多くこの宿で休んだり、あるいは泊ったりして、かなり繁昌していた。
 あるとき、許州の趙(ちよう)季(き)和(わ)という人が洛(らく)陽(よう)へ行く途中、この宿に泊った。先客が五、六人いて、いちばん奥の寝台しかあいていなかった。そこは壁をへだてて、あるじの三娘子の部屋に隣りあっていた。
 三娘子は愛想よく客をもてなし、夜中になると皆に酒をすすめた。客はよろこんで飲んだが、季和はもともと酒の飲めないたちだったので、仲間に加わらずに一人でいた。やがて皆が酔って寝てしまうと、三娘子も自分の部屋へはいっていった。しばらくするとその部屋の明りも消えて、家のなかは静まりかえった。
 客は皆、酔い疲れてぐっすり眠ってしまったが、季和は眼がさえてなかなか眠れず、しきりに寝返りをうっていた。しばらくすると、ふと、三娘子の部屋で何かカサコソと音のするのがきこえた。それが耳について、季和はいよいよ眠れない。何をやっているのだろうと思うと、ますます眼がさえてくる。気になってならない。起きあがって壁の隙間からのぞいてみた。
 すると、ちょうど三娘子が何か箱のような物をとりだして、蝋(ろう)燭(そく)の火に照らしているところであった。何だろう、といぶかりながら眺めていると、三娘子は箱のなかから小さな物をとり出した。よく見るとそれは、玩具(おもちや)のような鋤(すき)と、牛と、人形だった。いずれも六、七寸くらいの大きさの、木で造ったものだった。
 三娘子はそれをかまどの前に並べ、口に水をふくんでプッと吹きかけた。すると先(ま)ず人形が動きだした。人形は牛に鋤をつけ、牛を追ってかまどの前のわずかな地面を行ったり来たりしながら耕しはじめたのである。
 季和は夢を見ているのではなかろうかと疑い、眼をこすって見なおしたが、夢ではなかった。しかもそれどころか、さらに不思議なことがおこった、三娘子が袋から蕎(そ)麦(ば)の種をとり出して人形に渡すと、人形はそれを耕した地面に蒔いたのである。と、見る見るうちにそれは芽を出し、伸びて葉を繁らせ、花を咲かせ、実を結んだ。人形がそれを刈り取ると、三娘子は箱のなかから碾(ひき)臼(うす)を出して渡した。人形が碾臼をひいて七、八升の蕎麦粉を作ると、三娘子はまた箱のなかから搗(つき)臼(うす)と杵(きね)を出して渡す。人形が粉をついて麺を作ると、三娘子は牛も鋤も人形も碾臼も搗臼も杵も、皆もとの箱のなかへしまい、麺で焼(シヤオ)餅(ピン)をこしらえはじめた。
 焼餅がいくつかできあがると、もう夜が白んできて、客が起きだした。すると三娘子は、その焼餅を食卓に出して、朝食の代りにどうぞ、とすすめた。季和は昨夜のことを知っているので気味わるく思い、急ぐふりをして、皆を残して外へ出た。
 季和はいちど外へ出てから、誰も見ていないのを確かめると、またもどっていって家の横手からこっそりと部屋のなかをのぞいてみた。客たちは皆、食卓をかこんで焼餅を食べていたが、食べおわると同時に皆、足で地面を蹴って嘶(いなな)きだした。彼らは皆、驢馬になってしまったのである。すると三娘子は、それらの驢馬を家の裏の厩へ曳いて行ってしまった。そして、旅人たちの荷物は皆、奥へしまいこんでしまったのである。
 季和はそれを見て身ぶるいした。無気味な思いで自分の身体を眺めまわした。何も異常はなさそうである。ホッと安(あん)堵(ど)し、足音をしのばせてその家を離れた。しかし不安でもあった。自分では何の異常もないと思っていても、他人から見れば驢馬になっているのかも知れない。しばらく行くと、旅人にゆき会ったので、季和は声をかけてみた。
「あの、洛陽へ行くのはこの道を行けばよいのでしょうか」
「そうですよ」
 と旅人は何のあやしむ様子もなく答えた。ああ、よかった、助かったのだ、と季和は思った。それにしても、不思議なこともあるものだ、と思いかえしたが、そのことは自分の胸にひめたまま誰にも話さなかった。
 それからひと月あまり後、季和は洛陽での用事をすませての帰途、また板橋店を通った。こんどは彼は心に期するところがあって、ある用意をしてきた。この前に見たのと同じ形、同じ色の、蕎麦粉の焼餅を作ってきたのである。それを持って季和は、さりげなく三娘子の宿へはいって行った、三娘子はいつものように愛想よく迎えた。どう見ても普通の女である。この女があのようなおそろしい不思議を行うとはどうしても思えないような。
 その夜は、ほかに泊り客はなかった。三娘子はことのほか親切に季和をもてなした。彼は気どられぬように、つとめて気軽に相手になった。やがて夜がふけると三娘子はいった。
「もう休ませてもらいますが、ほかに何かご用はございませんか」
「いや、どうもありがとう」
 と季和はいった。
「何もありません。お休みなさい。……ああ、そうそう、あしたは朝早く出かけますから、そのとき何か軽い食べものを出していただけるとありがたいのですが」
「はい、承知しました。それではごゆっくりお休みください」
 三娘子はそういって自分の部屋へはいって行った。季和が眠ったふりをして気配をうかがっていると、やがて先夜とおなじカサコソという音がしはじめた。そっとのぞいてみると、箱のなかから木の牛や人形をとり出し、すべて先夜とおなじことがくりかえされて、やがて焼餅ができあがった。
 夜があけると、三娘子はその焼餅を出して、
「さあ、どうぞ召しあがってください」
 と愛想よくすすめた。季和がどうやってごまかそうかと迷っていると、ちょうど都合よく三娘子は、さらに何かを取りに奥へはいっていった。その隙に彼は急いで、自分の持ってきた焼餅と皿の上の餅をすりかえた。
 再び三娘子が出てきたとき、季和は皿の上から、とりかえた焼餅をとってうまそうに食べて見せた。三娘子はかたわらで茶をついでもてなした。焼餅を食べおわって、さて出かけようというとき、季和は三娘子にいった。
「お世話になりました。なかなかおいしい焼餅でした。じつはわたしも焼餅を持っているのですが、こんなにおいしくはありませんけど、一つ、いかがですか」
 季和がとり出したのは、勿(もち)論(ろん)さきにすりかえておいた三娘子の焼餅であった。
「どうぞ」
 とすすめると、三娘子は礼をいってそれを食べた。そして戸口まで季和を見送りに出たが、そこでトンと地を蹴って嘶(いなな)くと同時に、そのまま驢馬に変じてしまった。季和はその驢馬を自分の乗馬にした。ついでに、あの木の牛や人形をいれた箱も取ってきたが、使い方を知らないので、どうにも仕様がなかった。
 三娘子の変じた驢馬はなかなか強健であった。季和はそれに乗って方々を旅したが、一度もつまずくようなことはなく、ゆうに日に百里を行くことができた。
 それから四年たったときのこと、季和はその驢馬に乗って函(かん)谷(こく)関(かん)を越え、華(か)岳(がく)廟(びよう)の東方五、六里のところを通った。すると道端に一人の老人がいて、手をたたいて笑いながらいった。
「おう、板橋の三娘子よ。そんな姿になりはてたか」
 そして老人は季和にむかっていった。
「あなたにかかってはかなわない。その女もずいふん働かされたようですな。その女にも罪はあるが、もうこのへんでゆるしてやってくださらぬか」
 驢馬をただちに三娘子と見破った老人を、季和はただものではないと思い、急いで飛びおりて一礼した。すると老人は、両手を驢馬の口にかけて、二つに引き裂いた。と、そこから宿屋にいたときのままの姿の三娘子が飛び出してきた。
 出てきた三娘子はしきりに老人に拝礼をし、そのまま走り去って見る見るその姿は小さくなっていった。茫然とそれを見送っていた季和が、ふと気づいて、老人は? と見まわすと、すでに老人の姿はどこにもなかった。
唐『河東記』 
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%