帰(き)安(あん)県に劉という知事がいた。赴(ふ)任(にん)してから半年ほどたったある夜、妻と寝ていると、しきりに門をたたく音がきこえた。
劉知事は自分で起きていったが、しばらくするともどってきた。妻が、
「誰でしたの」
ときくと、知事は、
「風で門ががたがた鳴っていただけだ。人がきたのではなかったよ」
といって、そのまま寝てしまった。妻もそれきり、なにも気にかけなかった。
その後、帰安県はよく治った。知事は善政をほどこし、訴(そ)訟(しよう)をさばくことあたかも神のごとく公正であったので、県民はみな知事の徳をたたえた。
それから数年後、道士の張天師がこの県を通った。ところが、劉知事は引きこもったまま出迎えようともしない。妻や部下の者がいくらすすめても、知事は気分がわるいといって、きかなかった。
張天師は県役所にくると、役人たちに、
「このごろ、この県に妖(あや)しいことはおこらぬか」
とたずねた。
「いいえ、なにごともおこらず、人々はみな泰平をたのしんでおります。知事は徳の高い人ですが、おりあしく病気のためお出迎えもできず、失礼しております」
役人がそういうと、張天師は眉をひそめ首をふって、
「いやいや、この県には妖気がある。知事の妻を呼んでくれぬか。しらべてみればわかるであろう」
という。やがて知事の妻が出てきて挨拶をすると、張天師はたずねた。
「数年前の風の夜、門をたたく音がしたことを覚えているか」
知事の妻はしばらく考えてから、
「はい、覚えております」
と答えた。
「そのときお前の夫が起きていったことも、覚えているな」
「はい、覚えております」
「そうか。やはりそうだったか。いまのお前の夫は、ほんとうの夫ではない。人間でもない。あれは年をへた黒(こく)魚(ぎよ)の精なのだ。お前の夫はあの夜起きていったとき、黒魚に食われてしまったのだ。もどってきたのは夫ではなくて、黒魚の精だったのだ」
天師の言葉にいつわりのあろうはずはない。知事の妻は天師にとりすがって泣き、
「おそろしいことでございます。どうか夫のために仇(あだ)を報いてくださいませ」
とたのんだ。
張天師はうなずき、壇にのぼって法をおこなった。しばらくすると、長さ数丈もある巨大な黒魚が壇の前にあらわれ、天師に向ってひれ伏す恰(かつ)好(こう)をしてうずくまった。
「お前の罪は死にあたる」
と、天師はおごそかに言いわたした。
「だが、知事になりすましていたあいだは悪事をおこなわず、よく県民を安からしめたゆえ、罪一等を減じて死をゆるし、甕(かめ)の中に封じこめておく」
天師は役人に命じて大きな甕を持ってこさせ、法をおこなうと、黒魚はたちまち甕の中へおどりこんだ。天師は神符で甕の口を封じて、それを県役所の地下に埋めさせた。
埋めるとき、甕の中からしきりに黒魚の哀願する声がきこえた。すると天師はまたおごそかに言いわたした。
「いまはゆるしてやるわけにいかぬ。わしが再びこの地を通るときを待て。そのときに放してやろう」
人々の知る限りでは、その後、張天師は再び帰安県を通らなかった。
清『子不語』