漢のとき、浙江(せつこう)の諸曁(しよき)県の小役人に呉詳(ごしよう)という者がいた。上役にこきつかわれてばかりいて、世をはかなみ、山奥へでも逃亡しようと思って、あてもなく歩いていくうちに、谷川のほとりへ出た。
もう、日は暮れかかっていた。今日はこのあたりに野宿でもしようかと思っていると、一人の女がやってきた。卑(いや)しからぬ身なりをした、若い美しい娘である。呉詳が、
「このあたりのおかたですか」
と声をかけると、娘は、
「宿がなくてお困りのようですわね。わたしの家はこの近くで、一人住居(ずまい)ですし、すこし離れたところに、やもめのおばさんが一人住んでいるだけで、ほかには隣家もありません。よかったらお泊りください」
と言った。呉詳はそれをきくと大よろこびをして、
「ありがとうございます。おかげで野宿をしなくてすみます」
と言い、娘のあとについて行った。
しばらく行くと、娘の家についた。みすぼらしい家だった。娘は呉詳に食事を出してくれた。
夜が更(ふ)けかけたころ、外で娘を呼ぶ声がした。
「張お嬢さん……」
「はい」
と娘が答えると、
「あら、お客様のようですわね。またまいります」
と言って、外の人は帰っていったようだった。呉詳が娘に、
「誰ですか。わたしがおじゃましていて、わるかったようですね」
と言うと、娘は、
「いいえ、かまいませんの。さきほどお話しした、近所に住んでいるやもめのおばさんですわ」
と言った。
その夜、呉詳は娘といっしょに寝た。どちらから求めるともなく、二人は情を交(かわ)した。娘はなかなか愛情こまやかであった。
翌朝、娘は記念にといって紫のハンカチをくれた。呉詳も葛(かずら)で織った布を返し、離れがたい気持を残しながら別れた。
昨夜の交情を思い返しながら、呉詳は昨日娘と出会った谷川のところまで引き返して行ったが、見れば川は一夜のうちに増水して、歩いては渡れないほどの深さになっていた。呉詳は流れを見つめながら、
「困った……」
と思ったが、
「そうだ、かえってこれはよい口実になる」
と思い、引き返して、娘の家へもどって行った。ところが、道をまちがえたわけではないのに、そこには家はなく、ただ一つの塚があるだけだった。あたりを見まわすと、すこし離れたところに、もう一つ小さい塚があった。
六朝『捜神後記』