江西の吉州に、劉(りゆう)という属官がいた。男の子はなく、女の子ばかり三人いたが、三人とも絶世の美人で、劉はたいへんかわいがっていた。ところが長女は十二歳のとき、ふとした病がもとで死んでしまった。
劉は同僚の兵曹参軍(へいそうさんぐん)の高広(こうこう)と仲がよかった。ある年、二人とも任期が満了したので、それぞれ船を雇って、いっしょに都へ帰ることにし、劉は娘の棺を船にのせて出発した。
途中、豫章(よしよう)に停泊したところ、夜のうちに氷に航路をふさがれてしまって船は進めなくなってしまった。劉の船と高の船は並べてつなぎとめられていたので、両家の人々は互いにゆききをして無聊(ぶりよう)をなぐさめあっていた。
高広には、容姿端麗で頭もよい、二十歳(はたち)過ぎの息子がいた。ある夜、船室で一人読書をしていると、夜もすっかり更(ふ)けたころ、十四、五歳の美しい少女がことわりもなしにはいってきて、
「劉家の下女でございます。あかりが消えてしまいましたので、火をお借りしたいと思ってまいりました」
と言った。見ればかわいい女なので、高の息子は心をひかれて、
「火をあげるから、ここへおいで」
と自分を指さした。と、下女はうれしそうにそばに寄ってきた。
「劉家にあなたのような美人がいるとは知らなかった。ねえ、いいだろう?」
と抱き寄せようとすると、下女はするりと身をよけて、
「わたしのような者を……」
と言った。
「いや、あなたはとてもかわいいよ」
と高が言うと、下女は、
「うちには世に二人とないほどの美しいお嬢様がいらっしゃいますわ。わたし、じつは、お嬢様を若旦那(だんな)様におとりもちしようと思ってまいりましたの」
「言いのがれに、そんなことを言うのだろう」
「いいえ、ほんとうでございます。もし若旦那様にそのお気持があれば、わたし、ここへお嬢様をお連れしてまいりますわ」
高の息子は、下女がお嬢様と言っているのは劉家の次女だろうか三女だろうかと思い、どちらでもよい、と飛び立たんばかりによろこんで、
「いつ、連れてきてくれる?」
ときいた。
「今夜すぐというわけにはいきませんから、あしたの夜の、いまごろでは?」
「いいとも。きっとだぞ」
「はい、かならず。お嬢様もどんなにかおよろこびでございましょう」
下女はかたく約束して帰って行った。
翌日の夜更けになると、下女は昨夜と同じように高の息子の船室へはいってきて、
「うまくいきましたわ。しばらくお待ちになっていてくださいませ」
と言い、すぐまたもどって行った。
高の息子は待ちきれない思いで、小おどりしながら船室の外へ出て、劉家の船の方をうかがっていた。このとき、空には一点の雲もなく、月は冴(さ)えわたって、昼をあざむくようなあかるさだった。
しばらくすると、劉家の船から、さきほどの下女に手をとられて一人の娘が出てくるのが見えた。娘は下女を先に立てて、次第に近づいてくる。近づくにつれて、芳香がただよい、娘のからだからは光が輝き出ているように見えた。高の息子はこらえきれなくなって、進み寄って娘を抱きしめた。と、娘も高の胸にからだをあずけて、なまめかしく身もだえをした。
二人はそのまま船室の中へはいり、心ゆくまで情を交(かわ)した。
その夜から娘は夜ごと通ってきて、二人は蜜のように情を交しつづけたが、一月あまりたったとき、娘は急に、
「あなた、どんなことがあってもわたしをお捨てにならないでね」
と言いだした。
「こんなに愛しあっているのに、どうしてそんなことを言うの? わたしがあなたを捨てるわけがないじゃないか」
「でも、ほんとうのことを言うと、あなたはきっといやな顔をなさいますわ」
「あなたが何を言おうと、それがあなたのことであるかぎり、わたしはいやな顔はしないよ」
「そう、それでは言いますけど、わたしは劉家の亡くなった娘ですの。三日後に生き返る定めになっているのですが、あなたには一月も前から身をおまかせしていますので、もしわたしがおいやでなければ、わたしのことを家の者に知らせていただきたいのです」
高はおどろきながらも、よろこんで、
「幽明境(さかい)を異(こと)にしながら契りを結ぶなんて、古今にもめったにないことなのに、あなたとわたしがそうだったとは、なんというめずらしいことだろう。それに、あなたが生き返って、これからは末長く夫婦になれるとは、こんなすばらしいことはない。お家の人にはどう言えばよいの?」
「三日後に生き返りますから、そのときに棺のふたをあけて霜や露がかかるようにし、薄い粥(かゆ)を飲ませてほしい、とお伝えになってください。そうすればわたしは、もとのからだにもどりますから」
高が承知すると、娘はよろこんで帰って行った。
翌朝、高は父親に一部始終をうちあけた。父親は半信半疑のていだったが、
「とにかく劉家の船へ行って話してくるがよい」
と言った。高の息子はさっそく出かけて行って劉夫妻に事の次第を伝えたが、夫妻は信じてくれず、ことに夫人はひどく腹をたてて、
「うちの長女は、いまはもう骨ばかりになっているのですよ。それなのにそんな話をこしらえて、死んだ者を傷つけるとは、ひどいじゃありませんか」
と言い、高の息子がいくら言っても、どうしてもほんとうにしない。
「わたしはどんなにののしられようと蔑(さげす)まれようとかまいません。とにかくお嬢様の願いだけはきいてあげてください」
高の息子は泣いてたのみつづけた。
その夜、劉夫妻はそれぞれ娘の夢を見た。娘は夫妻の枕もとに立って、
「わたしは生き返ることに定められているのです。あの人と契りを結びましたのも天の定めで、父上も母上もきっとよろこんでおゆるしくださると思っておりましたのに、どうしてお怒りになるのですか。わたしが生き返ることがそんなにおいやなのですか」
と言った。目がさめてから夫婦は話しあって同じ夢を見たことを知り、どうやら、これはほんとうのことらしいと気づいた。夢にあらわれた娘の姿も衣装(いしよう)も、高の息子が話したとおりだったからである。
そこで高の息子の言ったとおりにし、当日になると両家の者が立ちあって棺のふたをあけた。見れば娘は白骨になってはおらず、生きていたときと同じような顔色をしていて、さわってみると、次第にからだが温(あたた)かくなってくるようであった。一同はおどろき且(か)つよろこびながら、川岸に幕を張りめぐらして、その中へ棺をかつぎいれ、夜は顔をさらして霜や露を受けさせ、昼は粥を口にそそぎ込んで、看護しつづけた。
と、二、三日すると娘が息をしだした。一同が見守っていると、次第に目をあけ、その日の夕暮れには、ものが言えるようになり、四、五日たつと起きあがり、歩きだして、まもなくすっかり、もとどおりのからだになった。
高の息子が劉に下女のことをたずねると、
「あの下女は娘よりも前に死にました。棺はやはり船の中に置いてあります」
と言った。娘は生き返ってから、下女の棺の前で、涙を流して別れを告げた。
高・劉両家は黄道吉日を選んで、その地で二人の婚礼の式をあげた。二人は仲むつまじく暮し、数人の男の子が二人のあいだに生れた。
このことがあってから、豫章のその土地は礼会村(れいかいそん)と呼ばれるようになった。
唐『広異記』