後漢のとき、河南の潁川(えいせん)の鍾〓(しようよう)は朝廷に仕えていたが、ある日から急に、朝賀に出席しなくなり、遅れて朝廷へ出てきても、終日ただ茫然としていて、まるで腑(ふ)抜けのようであった。そんな日が幾日もつづいた。
同僚の者が、気が狂ったのではないかとあやしみ、わけをたずねると、
「朝は、いくら起きようとしても、からだに力がはいらなくて、どうしても起きられないのだよ」
と言う。同僚がさらに、
「昼間だっておかしいぞ。まるで夢でもみているように、ぼんやりとしているじゃないか。顔色もわるく、からだも痩せてきたし……。なにかわけがあるのだろう。かくさずに言ってくれ」
と言うと、鍾〓は、
「じつは、夜になると毎晩、どこからか女がやってくるのだ。この世に二人とないようなすばらしい美人で、情を交(かわ)して明け方になると帰っていく」
と言う。同僚は、さては、と思いあたり、
「それは亡霊にちがいない。亡霊と交っていると、次第にからだが衰えていって、ついには死ぬというではないか。いまのうちなら、まだ、もとのからだにもどることができるだろう。今夜その女がきたら、思い切って刺してしまった方がよい。刺したところで、もともと死人だ。どうということはないのだから」
とすすめた。
その夜も女はやってきた。ところが、家へはいってはこずに、戸の外に立ちどまってためらっている様子である。鍾〓が、
「どうしたのだ」
と言うと、女はかなしげな声で、
「あなたは、わたしを刺すおつもりですね」
と言う。
「どうしてそんなことを言うのだ。おかしいではないか」
と言い返すと、女はそのまま黙っていたが、やがて戸をあけてはいってきた。鍾〓はうしろめたい思いもし、情を交してきた女としてかわいそうにも思ったが、思い切って匕首(ひしゆ)を突きつけた。だが、手がしぶって匕首は胸にはあたらず、股を刺した。女はうずくまり、裲襠(うちかけ)の裾から綿を引き抜くと、それで傷口をおさえて逃げて行った。
夜があけてから、鍾〓が女の足跡をたどって行ってみると、それは大きな塚の前で消えていた。そこで塚を掘ってみると、棺の中にあの美しい女が寝ていた。顔はまるで生きているようで、白い練絹の上衣に、刺繍(ししゆう)をほどこした赤い裲襠を着ていたが、股のところを調べて見ると、昨夜の傷口のところに、裲襠から引き抜いた綿がおしあててあった。
その日からもう女はこなくなって、鍾〓のからだは次第にもとどおりになっていった。
六朝『捜神記』