長白山の西に、夫人の墓というのがある。誰(だれ)の墓であるかわからない。
魏(ぎ)の孝昭帝のとき、広く天下の俊才を集めたことがあった。清河の崔羅什(さいらじゆう)という青年はまだ弱冠ながら才名が高く、召されて都へ行くことになったが、その途中、この墓のほとりを通った。と、たちまち朱門白壁の楼台が眼の前にあらわれ、中から一人の侍女らしい女が出てきて、
「お嬢さまがあなたにお目にかかりたいとのことでございます」
と言った。崔が馬を下りてついて行くと、二重の門を通りぬけたところに、また一人の女が待っていて案内をしようとした。崔が一応辞退すると、女は、
「お嬢さまは侍中の呉質さまの娘御(むすめご)で、平陵の劉府君(りゆうふくん)の奥さまでございますが、府君がさきにお亡くなりになりましたので、さびしく暮しておいでです。どうかおなぐさめしてあげてくださいませ」
と言い、強(し)いて崔を誘い入れた。
あるじの女は部屋の戸口に立って崔を迎えた。この世の人とは思われぬほど美しく、しかも詩文の才能もゆたかで、崔はすっかり心を奪われてしまったが、このような人がこんなところに住んでいるのはおかしい、おそらくただの人ではあるまい、と思った。そこで、
「ご主人が劉とおっしゃるということは先刻うかがいましたが、お名前はなんとおっしゃるのですか」
ときくと、女は、
「夫は、名は瑶(よう)、字(あざな)は仲璋(ちゆうしよう)と申しました。罪を得て遠方へ流されましたきり、もどってまいりませず、毎日、さびしく暮しております」
と言った。崔は女の美しさに心をひかれ、そのさびしさをあわれんで契りを結び、なおしばらく話をしてから暇(いとま)を告げると、女は、
「十年たちましたら、必ずまたお目にかかりましょう」
と言い、玉の指輪を崔にくれた。崔は約束のしるしとして玳瑁(たいまい)のかんざしを女に贈った。
侍女に送られて門を出、馬に乗ってしばらくいってからふりかえると、楼台はあとかたもなく消えていて、そこには大きな塚が横たわっているだけであった。
その後、崔は僧をたのんで女のために供養をしてもらい、指輪は布施として僧に与えた。
天統(てんとう)の末年、崔は官命によって黄河の堤の修築の監督をしていたが、その工事中、部下の者に昔話をして、涙を流しながら、
「今年は約束の十年目にあたるのだが、どうしたらよかろう」
と言った。部下はどう答えてよいかわからなかった。やがて工事はとどこおりなくすんだ。ある日、崔は自分の家で杏(あんず)の実を食べようとしたが、にわかにまたはげしく女を思い出して、
「奥さん、もしわたしに約束をたがえさせたくなかったら、この杏の実を食べさせないでください」
と言った。と、崔は一つの杏の実を食べ尽くさないうちに、にわかに倒れて死んでしまった。
唐『酉陽雑爼』