唐の文宗(ぶんそう)の太和四年のことである。
監州の防禦史曾孝安(そうこうあん)の孫に、季衡(きこう)という若者がいた。祖父の官邸の西の離れに一人で住んでいたが、ある日、前の防禦史のときからいる官邸の下男が、季衡にこんなことを話した。
「この離れは、ずっと前に王という州長官の娘さんが住んでいたところです。その娘さんは絶世の美人だったそうですが、どういうわけだったのか、ある日急に亡くなったということです。いまでもその娘さんの亡霊が昼間からあらわれることがありますから、気をつけてくださいませ」
季衡は女好きな若者だったので、絶世の美女ときくと、なんとかしてその亡霊に会いたいものだと思い、香を焚(た)き身を清めて、しきりに、あらわれるのを心待ちにしていた。すると、ある日の夕暮れ、一人の少女がやってきて、ていねいに挨拶(あいさつ)をして言った。
「王家のお嬢さまのお使いでまいりました。あなたさまにお目にかかりたいとのことでございます」
そう言うと、ふっと姿が消えてしまったが、しばらくすると馥郁(ふくいく)たる香りがただよってきた。季衡が身なりをととのえて待っていると、やがてさきほどの少女が、一人の女の手をひいてやってきた。まるで天女と見まがうばかりの美しい女である。季衡が挨拶をして名をたずねると、女は、姓は王で字(あざな)は麗貞(れいてい)と言い、父がこの州の長官をしていたときこの部屋で死んだと言って、
「あなたの愛情が冥界(めいかい)までつたわってまいりましたので、幽明境(さかい)を異(こと)にしながら、ぜひともお会いしたくなって出てまいりました。どうぞお情けをおかけくださいませ」
と言う。季衡はよろこんで女を寝室にひきいれ、情を交(かわ)した。歓(かん)を尽して別れるとき、女は季衡の手を握って、
「明日のいまごろ、またまいります。けっしてほかの人にはお話しにならないでください」
と言い、侍女といっしょに姿を消してしまった。
その日から六十日あまりのあいだ、女は毎日夕方になるとやってきて、季衡と交情をかさねた。季衡はうれしくてならず、ある日、麗貞に口どめをされていたことも忘れて、祖父の配下の将校にこのことを話した。その将校はおどろいて、真偽をたしかめようと思い、
「今晩その女がきたら、壁をたたいて合図をしてください。この目でたしかめないことには信じられませんから」
と言った。その晩も女はきたが、季衡は壁をたたいて知らせることはしなかった。しかしその晩、女はいつもとはちがって元気がなかった。情を交しても、これまでのようにはよろこばないので、
「どうしたの?」
とたずねると、女はすすり泣きながら、
「どうして約束を破って、ほかの人に話しておしまいになりましたの? もう、これきりで、あなたにお会いすることはできなくなってしまいました」
と言う。季衡は将校に話したことを悔(く)いたが、いまとなっては及ばず、答える言葉もなかった。すると女は、
「あなたがわるいのではありません。わたしの運命が尽きたのですわ」
と言い、帯につけていた金糸で編んだ小箱を取り、それに翠玉(すいぎよく)のかんざしを添えて季衡に渡して、
「これからは、これをわたしだと思ってながめてください。これを見るたびにわたしを思い出してくださいね」
季衡も手文庫の中から金の如意(によい)の形をした飾り物を出して女に贈った。
「格別珍しいものでもないが、如意という名に心をひかれてお贈りします。いつまでもこれを持っていてください」
「あと六十年たたなければ、お会いすることはできませんわ」
女はそう言って泣きながら、侍女といっしょに帰って行った。
季衡はそれからは、寝てもさめても女を思いつづけて、日ましに痩(や)せ衰えていったが、知りあいの道士にわけを話し、法術をほどこしてもらって薬を飲んだところ、次第によくなり、数ヵ月たって、やっともとどおりのからだになった。
唐『才鬼記』