安徽(あんき)の〓(しよう)郡の夏侯文規(かこうぶんき)という人は、都に住んでいて死んだが、それから一年たったとき、〓郡の家に帰ってきた。
そのとき文規は、子牛に引かせた車に乗り、数十人の小人の供を連れてきて、
「わしはいま、北海郡の太守をしているのだ」
と言った。
家族の者が料理を作って出すと、あっというまにみな食べてしまったが、文規が帰って行ってしまってから見ると、器にはもとどおり料理が残っているのだった。
はじめて文規が帰ってきたとき、家族の者はみな声をあげて泣いたが、文規は、
「泣くな、泣くな。これからは月に一度は帰ってくるから」
と言った。果してそれからは、三、四十日目ごとに帰ってきて、半日ほど家族の者と話しては帰って行くようになった。
文規についてくる小人の供の者は、みな赤い着物を着ていたが、家に着くとみなどこかへ行ってしまって、帰るときになるとまた姿をあらわした。
家族の者たちは慣れるにつれて、文規が帰ってきても亡霊とは思わないようになった。文規には三つになる孫がいたが、あるとき、文規が抱いてみたいと言うので家の者が抱きわたすと、たちまち孫は悶(もだ)えだして気を失ってしまった。幼くて、亡霊の放つ妖気に抵抗できなかったのである。すると文規は、
「やはり、赤ん坊はだめか。早く水を持ってこい」
と言った。家の者が水を持ってくると、文規はそれを口にふくんで孫に吹きかけた。と、孫はすぐ息をふきかえした。
またあるとき、文規は庭の桃の木をながめて、
「この桃はずっと前にわしが植えたのだが、よい実がなるようになったな」
と言った。妻が、
「亡霊は桃をおそれると世間ではいっておりますけど、あれはうそなのですか」
ときくと、
「この桃はこわくない。東南に枝が伸びて太陽のほうを向いている桃がおそろしいのだ。そのほかの桃は別にこわくはない」
と言った。
「にんにくは?」
ときくと、文規は、
「うん、あれはこわい。わしがくるときには、あれは見えないところへかくしておいてくれ」
と言った。事実、文規は、庭の隅ににんにくの皮が落ちていてもすぐ見つけて、顔をそむけ、
「おい、あれを拾って、わしの眼につかぬところへ捨ててくれ」
と言った。
文規の様子から見ると、亡霊というものはにんにくをきらい、東南に枝の伸びた桃をおそれるもののようである。
六朝『甄異伝』