浙江(せつこう)の会稽(かいけい)に、厳猛(げんもう)という人がいた。
相思相愛の妻がいたが、山へ薪(まき)を取りに行ったとき、虎に食い殺されてしまった。
それから一年たったとき、厳猛が藪(やぶ)の中を歩いていると、不意に死んだ妻の亡霊があらわれて、
「あなたは今日は外へ出てはいけなかったのです。でも、出てしまった以上、仕方がありません。なんとかしてわたしが助けてあげましょう」
と言った。しばらくすると一匹の虎がおどり出てきて、厳猛におそいかかろうとした。と、妻は厳猛の前に立ちはだかり、虎に向って腕をさし出した。
虎は身構えをしたまま、じっと妻の指さきを見ていた。妻はゆっくりと指さきを右から左へ、左から右へと動かしていたが、やがて、一所を指さした。その指さすさきには、一人の胡人(こじん)が戟(ほこ)をかついで通って行くのが見えた。虎はまっしぐらにその胡人におそいかかって行った。
「さあ、あなた、いまのうちに逃げて」
その声といっしょに妻の姿はなくなっていた。厳猛は必死に逃げて、虎に食い殺されずにすんだのである。
虎に食われた者の亡霊は、みな〓鬼(ちようき)というものになって虎に仕え、虎が人を食うための手引きをさせられるという。厳猛の妻はそれを逆用して夫を助けたのであった。
六朝『異苑』