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中国怪奇物語167

时间: 2019-05-29    进入日语论坛
核心提示:  泣き明かした女 安徽(あんき)の廬江(ろこう)の郊外に、馮媼(ふうおう)という百姓の老婆がいた。夫には先立たれて、子
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   泣き明かした女
 
 
 
 
 安徽(あんき)の廬江(ろこう)の郊外に、馮媼(ふうおう)という百姓の老婆がいた。夫には先立たれて、子供もなく、貧乏だったので、村の人々から馬鹿にされて、誰も相手にする者がいなかった。
 唐の憲宗の元和四年、この地方一帯が大饑饉(ききん)にみまわれたときのことである。馮媼は食糧を求めて舒(じよ)州へ行こうとした。その途中、ある牧場へさしかかったとき、日が暮れてきたうえに風が吹きだし、雨さえ降ってきたので、桑の木陰に身を寄せて途方にくれていたところ、ふと見ると、山の裾(すそ)に一軒の家があって、ともしびが漏れている。馮媼はよろこんで、一夜の宿をたのもうと、その家の前まで駆けて行った。
 と、表に一人の女が立っていた。年は二十歳あまりで、きれいな衣装を身につけ、三つくらいの子供を抱いて、戸口によりかかったまま悲しそうに泣いているのである。
 声をかけても返事をしない。そこで家の中へはいって見ると、寝台の上に老人とその妻らしい婦人とが坐っていて、戸口の若い女に向って、何やらがみがみと叱りつけていたところらしかった。だが、馮媼がはいってきたのを見ると二人は黙ってしまい、何もいわずに部屋から出て行ってしまった。
 それを見ると若い女は泣くのをやめて家の中へはいってきた。そして食事の支度をし、寝床をととのえて、
「さあ、これを召しあがって、ゆっくりお休みになってください」
 と言った。馮媼が礼を言って、
「さっきはどうして泣いていらっしゃったのですか」
 ときくと、若い女はまた泣きだして、
「この子の父親はわたしの夫なのですけど、あした、ほかの女を嫁に迎えようとしているのです」
 と言う。
「それは無体な。さっきここにおられたご老人たちはどなたなのです。何やらあなたにがみがみ言っておられたようですが……」
「あれはわたしの舅(しゆうと)と姑(しゆうとめ)なのです。夫の両親でございます。あした息子がほかの嫁を迎えるというので、舅と姑はわたしの化粧道具や裁縫道具、それから一家の主婦のあずかる先祖を祭るための家伝来の祭具を、わたしから取りあげて新しい嫁に渡そうとしているのです。わたしがどうしても手ばなそうとしませんので、あんなにがみがみとわたしを叱りつけていたのです」
「あなたが手ばなそうとなさらないのは、あたりまえですよ。ところで、あなたのご主人というのは、どういう人なのです?」
「わたしは准陰(わいいん)県の知事の梁倩(りようせん)という者の娘です。夫のもとに嫁いできてから、もう七年になります。男の子を二人と、女の子を一人もうけましたが、男の子は二人ともいま父親のところにおります。わたしがいま抱いているのは女の子です。夫は董江(とうこう)という名で、このさきの村に住んでおります。〓(さん)県の副知事をしていて、家は大金持ちなのです」
 若い女はそう言ったきり、あとはただ泣きつづけていた。馮媼は夫婦が別居しているについては何か深いわけがあってのことだろうと思い、格別不審にも思わなかったし、それに、飢えと寒さに長いあいだ悩まされていたところだったので、久しぶりにおいしい食事にありつき、やわらかい寝床を与えられたので、まもなく眠ってしまった。女は夜明けまで泣きつづけていたようである。馮媼は一晩じゅう、ずっと夢うつつのなかでその声をきいていた。
 夜が明けると馮媼は若い女に別れを告げ、その家を出て旅をつづけた。やがて桐城県に着くと、県城の東にりっぱな屋敷があって、幕を張りめぐらし、婚礼の引き出物や子羊や雁(がん)が並べてあって、人々が大勢つめかけていた。村の人に、
「おめでたですかね」
 ときくと、
「今夜、このお屋敷で婚礼があるのだよ」
 と言う。
「花婿さんは何というお人です?」
 ときいてみると、
「〓県の副知事の董江様だよ」
「董江様には奥様もお子さんもおありのはずなのに、どうしてまたお嫁さんをお迎えになるのです?」
 馮媼がそうきいてみると、村人は、
「董江様の奥様とお嬢様は、亡くなられたのだよ。それで後添(のちぞ)いをお迎えになるのさ」
 と言う。馮媼が不審に思いながら、
「そんなはずはないよ。わたしは昨夜、雨に降られて董江様の奥様のお宅へ泊めていただいたのだもの」
 と言うと、村人たちは馮媼に、その家はどこだとたずねた。牧場の近くの山の裾だと言うと、
「そこなら、前の奥様とお嬢様の墓地だ。董江様のご両親の墓地もそこにある」
 と村人は言った。馮媼が昨夜見た二人の老人の顔かたちを話すと、まちがいなく董江の亡くなった両親だと村人は言った。董江はもともと舒州の人だったので、村人たちはその両親のことも知っていたのである。
 村人の一人が董江にこのことを告げると、董江は不快な顔をして、
「あやしいことを言いふらして人をまどわせる婆(ばばあ)だ」
 と言い、部下に言いつけて馮媼を村から追い出させた。そしてその夜、予定どおりに婚礼の式をあげた。
 しかし、馮媼の話したことは村人たちの口から口へと伝えられた。それをきいて嘆声を漏らさない者はなかったという。
 
 元和六年五月、私は江南従事として公務で都へ上った帰りに漢水の南に泊り、たまたま、渤海(ぼつかい)の高鉞(こうえつ)、天水の趙〓(ちようさん)、河南の宇文鼎(うぶんてい)の三人に落ちあい、夜の宿のつれづれにそれぞれ見聞した不思議な話を語りあったことがあった。この話はそのとき高鉞がきかせてくれた話である。ここに記録しておく次第である。
唐『廬江馮媼伝』 
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