元和年間のことである。江西の饒(じよう)州の刺史(しし)(州知事)に斉推(せいすい)という人がいた。
斉推は娘を隴西(ろうせい)の李(り)という者のところへ嫁がせたが、一年ほどたったとき、李は試験を受けに都へ行くことになった。そのとき妻は妊娠していたので、李は妻を斉夫婦にあずけて行った。
李の妻は父母とともに官邸で暮していたが、やがて臨月になって、裏の東側にある一棟へ移った。すると、その夜の夢枕に、いかめしい身なりをした一人の男があらわれ、眼を怒らせ剣を握りしめながら、
「この家は、そなたのような汚れた者のおるところではない。すみやかにほかへ移れ。さもなければひどい目にあわせるぞ」
と言った。李の妻はおそれて、翌日、そのことを父親に話したが、父親は気の強い人だったので、
「気にするな。わたしはこの地の長官だ。わたしの娘であるおまえに、亡霊ごときが何をすることができよう」
と言って、とりあわなかった。
それきり何ごともなかったが、数日たって李の妻が出産をすると、先日の夢枕にあらわれた男がまたあらわれ、寝台に寝たままの李の妻をさんざんなぐりつけた。そのため李の妻は、耳からも目や鼻からも血を出して、死んでしまった。
両親は娘の横死(おうし)をなげきかなしみ、あのとき部屋をかえてやればよかったと後悔したが、もはやどうするすべもない。すぐ使いの者を都へ出して李に知らせ、李が帰ってきたら李家の墓地へ改葬することにして、ひとまずその柩を西北の郊外の野に埋葬した。
一方、李は都で試験を受けたが落第し、家へ帰ろうとしているとき妻が死んだという知らせをきいて、すぐに出発した。饒州までの道のりは遠い。ようやく饒州の近くまできたときは、妻が死んでからもう半年もたっていた。
妻が亡霊に殺されたということは使いの者からきかされていたので、李は恨みも深く、なんとかして仇を討ちたいと思いつめていた。ようやく饒州の郊外まできたのは日暮れどきだったが、ふと見ると、野の中に一人の女が立っている。その姿も着ているものも百姓女らしくないので、李ははっとして馬をとめ、じっと見つめたが、女の姿は木や草の茂みに見えかくれして、はっきりとはわからなかった。馬から降りて近づいて行って見ると、まさしく妻であった。二人は顔を見あわせて涙にかきくれた。しばらくすると妻が言った。
「ねえ、あなた、泣くのはもうおやめになってください。うまくいけば、わたし、生き返れるかもしれないのです。それであなたのお帰りをここで待ちかねておりましたの。うちの父は気が強くて、鬼神(きしん)を信じようとはしませんし、わたしは女の身で、自分から訴え出ることはできませんし、あなたにお願いしようと思って、ずっとお待ちしていたのですけど、半年もたってしまいましたので、もしかしたら、もうまにあわないかもしれませんけれど……」
「どうすればよいのだね」
と李がたずねると、妻は言った。
「ここから西へ、まっすぐ半里あまりいったところに〓亭(はてい)村という村があります。そこに田(でん)というお年寄りが住んでいて、村の子供たちに読み書きを教えていらっしゃいますが、そのかたは、ほんとうは九華洞(きゆうかどう)の仙人なのです。でも、誰もそうとは知りません。そのかたのところへ行って、真心をこめてたのんでくださったら、あるいは、うまくいくかもしれないのですけど……」
そこで李はすぐ〓亭村へ行き、田先生の家をさがして老人を見ると、ひざまずきながら進み寄って、再拝して言った。
「下界の賤しい俗人が、おそれ多くも大仙様に拝謁(はいえつ)させていただきます」
老人は李を見ると、迷惑そうにその拝礼をやめさせながら、
「何をおっしゃる! いまにもこの世にいとまを告げようとしている、この老いぼれに向って……」
と言った。李がいつまでも平伏していると、老人はしきりに手をふって、
「なんでそんなことを……」
と言った。だが、李は日暮れから夜中まで、ずっとそうしつづけていた。
夜がふけてきたとき、ついに老人は言いだした。
「あなたがそれほど熱心にたのむのなら、わしもかくしだてはすまい」
李はそれをきくとほっとして、涙を流しながら妻が横死したいきさつを話した。すると老人は、
「そのことは、わしも前から知っておった」
と言った。
「それで訴えを待っていたのだが、半年たってもなお訴えがなかったので、いまでは屋敷がこわれてしまって、修理してもまにあわんのだ。わしがさきほどからあなたのたのみを受けつけなかったのは、どうしたらよいか思案がつかなかったからだ。だが、それほど熱心にたのむのなら、一つ、あなたのために手を尽くしてみるとしよう」
そして立ちあがると北の方へ出て行き、百歩あまり進んで桑林の中で立ちどまった。
老人はそこで長く叫び声をあげた。と、たちまちそこに大きな役所らしい建物があらわれた。
建物のまわりには、侍従たちがおごそかに立ち並んでいる。田先生は役所の正面の席に、紫の上衣をまとって机に肘をついて腰をかけ、左右には獄卒(ごくそつ)たちが居並んでいた。
「地上神をお召しじゃ」
という声が地ひびきのようにつたわった。と、まもなく、十幾つかの隊伍がそれぞれ百騎あまりを一隊として、さきになりあとになりして馳(は)せつけてくるのが見えた。各隊の統率者はみな身のたけ一丈あまり、いかめしい顔つきをしている。彼らは門の外に並んで服装をととのえながら、
「このたびは、いったい何ごとがおこったのかな」
と言いあっている。
しばらくすると取次ぎの役人が、
「地上界の廬山の神、江涜(こうとく)の神、彭蠡(ほうれい)の神の到着でございます」
と言うと、田先生の、
「みな、通せ……」
と言う声がきこえた。神々が役所の中へはいると、田先生は言った。
「さきごろこの州の刺史の娘が、出産のおり横暴な亡霊によって殺された。まことに非道きわまる事件だが、その方どもは知っておるか」
神々はいっせいに平伏して、
「知っております」
と言った。
「知っておるならば、何ゆえ恨みを晴らしてやらぬのだ」
「訴訟には告訴するものが必要でございます。この事件については誰も訴え出ませんので、摘発のしようがございません」
「犯人の姓名を知っているか」
すると一人が言った。
「前漢の〓(は)県の王、呉〓(ごぜい)でございます。いまの刺史の官邸はむかし呉〓が住んでいたところなのでございます。呉〓はいまでも豪雄を誇り、土地を占拠いたしまして、たびたび暴虐なふるまいをいたしますが、人間にはそれをどうすることもできないのでございます」
「よし、ただちに呉〓を捕えてまいれ」
まもなく呉〓縛られたまま連行されてきた。田先生は尋問したが、呉〓は罪を認めない。
「李の妻を連れてまいれ」
と田先生が言うと、まもなく妻が連行されてきて、呉〓対決がはじまった。呉〓言い負かされると、
「この女は産後の衰弱のため、わたしを見て恐怖のあまり息が絶えたのでございます。故意に殺したのではございません」
と言いのがれをした。
「刀を使おうと棒を使おうと、手で打とうと恐怖を与えてであろうと、殺したことにかわりはない」
田先生はそう言って、
「この者を天上界の役所へ護送せよ」
と命令し、さらに、
「李の妻の寿命は本来あと何年あるか、すぐに調べよ」
と言いつけた。まもなく役人の報告があって、
「本来はあと三十二年の寿命がありまして、四男三女を産むことになっております」
と言った。田先生はそこで役人たちに言った。
「李の妻はまだ三十二年も寿命があるはずなのに、不当にも呉〓に殺されたのだ。生き返らせてやらなければならないが、どうすればよいか」
すると一人の年取った役人が進み出て言った。
「東晋のとき、河南の〓(ぎよう)に非業の死をとげた者がおりましたが、ちょうどこの女と同じ事例でございました。そのとき前任の長官であらせられた葛真君(かつしんくん)様は、魂に形を与えて肉体とされ、人間界へ帰されました。その者は飲食も嗜好(しこう)も遊楽もいっさいのことが常の人間とかわりませんでしたが、ただ寿命が尽きて死んだとき、あとに死体が残らなかったのでございます」
田先生はたずねた。
「魂に形を与えるというのは、どのようにすることか」
すると年取った役人が答えた。
「生きている人間には三魂(さんこん)と七魄(しちはく)がございまして、死ねばばらばらになってしまいます。それらの魂魄を一つに寄せ集め、続玄膠(ぞくげんこう)を塗った上で、大王様がじきじき送り出して人間界へお帰しになれば、もとのからだと同じになるはずでございます」
田先生はそれをきくと、李の妻に向って言った。
「そのように処置してよいか?」
「ありがたいしあわせでございます」
李の妻がそう言うと、たちまち役人たちが李の妻に似た七、八人の女を連れてきた。そしてその女たちを李の妻におしつけ、一人が器にいれた飴(あめ)のような薬を李の妻のからだに塗りつけた。そのとき李の妻は、まるで体が天空から落ちてゆくような気がして、まもなく意識をなくしてしまったという。
夜があけると、昨夜の情景はすっかり消え失せて、田先生と李の夫婦の三人だけが、桑林の中に立っていた。
田先生は李に向って言った。
「できるだけの手を尽くしてみた。うまくいってよかったな。すぐ連れて行って、身うちの人々に会わせなさい。ただ、生き返ったとだけ言うのだぞ。ほかのことは話してはならぬぞ。さあ、これでお別れしよう」
李は言われるままに妻を連れて、饒州の城内に帰った。家族の人々はおどろいて、はじめは亡霊かと疑ったが、やがてほんとうに生きていることがわかると、またひとしきりおどろき、そしてよろこびあった。
その後、李の妻は四男三女を産んだ。親戚の者のなかにはうすうす事情を知っている者がいて、
「なにもかわったところはないが、ただ身のこなしが軽くて早いところが、普通の人とはちがう」
と話しあったという。
唐『玄怪録』