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中国怪奇物語175

时间: 2019-05-29    进入日语论坛
核心提示:  腋(わき)の下の腫(は)れもの 河南の平輿(へいよ)の南、凾頭村(かんとうそん)に、鶉(うずら)取りを業(なりわい)
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   腋(わき)の下の腫(は)れもの
 
 
 
 
 河南の平輿(へいよ)の南、凾頭村(かんとうそん)に、鶉(うずら)取りを業(なりわい)としている張老という者がいた。
 張老夫婦には、年をとってからできた一人の息子がいるだけだったが、その子が、十四になったとき病死した。夫婦は老後の頼りを失った悲しさに、わが子といっしょに死んでしまいたいと思うほどなげいた。そして死体を埋葬するに忍びず、瓦(かわら)を積んで塚をつくり、その中に棺を納めて、
「わしの子はきっと生き返ってくる」
 と言った。それを見てあわれむ者もあれば、笑う者もあったが、夫婦は他人になんと言われようと、何も耳にははいらなかった。
 死後三日目に、夫婦が塚の前にうずくまって泣いていると、中からかすかに呻(うな)るような声がきこえてきた。
「やっぱり生き返ってくれた!」
 夫婦は大急ぎで瓦をくずし、棺の蓋(ふた)をあけて息子の口のところへ手をやってみると、かすかに息をしている。おどりあがらんばかりによろこび、二人で棺をかついで家へ帰り、息子を寝台の上に横たえてやると、まもなく息子は起きあがって、
「お湯を飲みたい」
 と言った。湯をやると、また、
「粥(かゆ)を食べたい」
 と言った。粥をやると、息子はもう元気になって、生き返った次第を話しだした。
「冥府(めいふ)へ連れて行かれたとき、わたしは王に訴えたのです。父母が老年で、わたしがいなくては困ります。父母に余生をつつがなく送らせて、葬儀万端をすませるまで、どうかわたしをお助けください。そう願い出たところ、王もかわいそうに思ってくれたらしく、それではおまえの孝心を愛(め)でて帰してやることにしよう。帰ったならば父親に話して、今後は鶉取りの商売をやめるように言え。もしやめなければ、おまえをまた呼びもどす。やめたら、おまえの寿命を両親の死後までのばしてやろう。王はそう言ってわたしを帰してくれました」
 張老はそれをきくと、
「やめるとも。たったいまから、殺生(せつしよう)はやめる!」
 と言った。そしてすぐ、網や罠(わな)のたぐいをことごとく焼いてしまい、翌日、息子を連れて仏寺へ参詣(さんけい)した。
 その寺に呂(りよ)という僧がいた。年は四十あまりで、人柄も行儀も正しそうな僧であった。彼は都に近い寺で綱主(こうす)になったこともあるという。その僧を見て、張老の息子が言った。
「あなたも、生き返っておいでになったのですか」
「何をおっしゃるのです」
 と僧は怪訝(けげん)な顔で言った。
「わたしは死んだ覚えはありません。どうしてそんなことをおっしゃるのですか」
「でも、確かに冥府であなたを見た覚えがあります。まちがいはないはずです」
「冥府で? あなたは、亡霊なのですか?」
「いまはちがいます。いちど冥府へ行ったのですが、生き返らせてもらったのです。冥府から帰るときに、わたしはあなたを見ました」
「…………」
「あなたは宮殿の角の銅の柱につながれて、鉄の縄(なわ)で足を縛られていました。獄卒が行ったり来たりして、鉄の棒であなたの腋(わき)の下を突くと、血がだらだらと流れました。わたしが帰るとき獄卒に、あの和尚(おしよう)さんはいったい、なんの罪で責苦(せめく)を受けているのですかとききましたら、経文をはぶいて読んだ罪だと教えてくれました……」
「そうでしたか」
 と僧は蒼白(そうはく)な顔をして言った。
「おっしゃるとおりです。わたしは毎日、夜になると、冥府へ呼び出されて、責苦を受けていたのでしょう。自分ではそうとは思いませんでしたが、夜になると腋を鉄の棒で突かれるような苦しさを覚えますが、それが、あなたが冥府でごらんになったわたしだったのでしょう」
 僧は三年前から腋の下に腫(は)れものができて苦しんでいたのだった。そんなことを知るはずのない張老の息子にそれを言いあてられたのである。
「ありがとうございました。よくお教えくださいました」
 と僧は心から礼を言った。腋の下の腫れものが、経文をとばし読みした罰だということを彼ははじめて知ったのだった。
 その後、僧は一室にこもって、毎日おこたらず経を読みつづけた。だが罰はなお三年つづき、四年目になってから腫れものはようやく癒(い)えた。
元『続夷堅志』 
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