宋の孝武帝の孝建年間のことである。河南の潁川(えいせん)に〓(ゆ)という者がいたが、病気にかかっていったん死んだものの、一日たったとき、にわかに息を吹きかえして、つぎのような話をした。
息が絶えたとき、黒い服を着た二人の男がやってきて〓を縛りあげ、
「さっさと歩け」
と言って追いたてた。しばらく行くと、城門の高くそびえ立った大きな建物が見えた。二人の男は〓を連れてその城門の中へはいって行った。中には〓と同じようにして連れられてきた大勢の者がいた。
城の中の役所らしい建物の中には、身分の高そうな人が南向きに坐っていて、数百人の護衛がいた。みんなはその人を府君(ふくん)と呼んでいた。府君は右手に筆を、左手に帳簿を持ち、自分の前に連れてこられた者を一人一人点検していたが、やがて〓の番になると、
「この者はまだ寿命が尽きてはおらぬぞ。すぐ送りかえしてやれ」
と言った。すると府君のそばから一人の役人がおりてきて、〓を城門のところまで連れ出し、城門の役人に、
「この者を、人をつけて送りかえしてやってくれ」
と言った。ところが城門の役人は、
「許可を申請して書類をいただかないことには、送りかえすわけにはまいりません」
と言った。〓を連れてきた役人は、
「府君が送りかえせとおっしゃったのだ。書類などいらぬ」
と言ったが、城門の役人は、
「しかし、規則は規則ですから」
と言って従おうとしない。
するとそこへ、一人の娘がやってきた。十五、六歳の、身なりのよい美しい娘であった。娘は〓のそばへきて耳うちをした。
「うまい具合にお帰りになれるというのに、こんなところで引きとめられていらっしゃるのね。城門の役人は袖の下がほしいものだから、あんなことを言っているのですわ。なにかおやりになれば帰してくれますから、そうなさいませ」
「それが、わたしはさっき縛られてきたばかりで、なにも持っていないのです」
と〓が言うと、娘は左の腕にはめていた黄金の腕輪を三つはずして、
「これを役人におやりなさいませ」
と言う。
「ご親切に、ありがとうございます。あなたのお名前をおきかせください」
と〓が言うと、娘は、
「わたしは、姓は張(ちよう)と言います。家は茅渚(ぼうしよ)にあります。昨日、霍乱(かくらん)のために死んでこちらへきたばかりです。あなたは運よくお帰りになれますけど、わたしはもう帰ることはできませんの」
「あなたのご親切は忘れません。わたしは死ぬ前に、家の者に棺を買うために五千貫の金を残してきましたから、もし生きかえれましたら、その金をお家へおとどけしてお礼をいたします」
「いいえ、わたしはただ、あなたのご災難を見て見ぬふりをしていることができなかっただけですの。この腕輪はわたしの物ですから、家へお返しくださるには及びません」
「それでは、ありがたくちょうだいさせていただきます」
〓が娘からもらった腕輪を城門の役人にさし出すと、役人はそれを受け取り、許可の申請をすることもなく、黒い服を着た男に〓を送りとどけるように言いつけた。〓が娘に別れを告げると、娘はため息をつきながら涙をこぼした。
〓は息を吹きかえしてから、何日かして元気をとりもどすと、茅渚へ出かけて行って張という家をさがした。たずねまわって、ようやくさがしあてたところ、はたしてその家では近ごろ霍乱で娘を亡くしたということであった。
六朝『述異記』(祖冲之)