唐の開元年間の末のことである。洛陽の安宜坊(あんぎぼう)に一人の書生が住んでいた。
ある夜、部屋の戸を閉めて書物を読んでいると、戸のすき間から、何者かがぬっと顔を出した。
「誰だ! 無礼(ぶれい)な!」
とどなると、相手は、
「わたしは亡霊なのです。ちょっとおつきあいを願いたいのですが……」
と言った。
「亡霊のおつきあいなどいやだ。さっさと消えてくれ」
と書生が言うと、亡霊は、
「お願いです。生きている人といっしょでなければ、わたしの役目が果せないのです。それほど手間はとらせませんから、どうぞ外へ出てください」
とたのんだ。
書生が外へ出ると、亡霊は地面に十の字を書き、さきに立って歩きだした。書生がついて行くと、やがて安宜坊を通りぬけて、寺の前へ出た。書生は、
「寺へ参って行こう。素通りしてはいけないよ」
と言ったが、亡霊は、
「いや、わたしについてきてくださればよいのです。参っている暇はありません」
と言い、素通りして定鼎(ていてい)門の方へ歩いて行った。定鼎門は洛陽の西南の門である。門は閉まっていた。すると亡霊は書生を背負い、門のわずかなすきまを通りぬけて城外へ出た。
さらに進んで五橋(ごきよう)まで行くと、道端に一軒の家があって、天窓からあかりが漏れていた。すると亡霊はまた書生を背負い、天窓のそばまでとびあがった。天窓から下をのぞくと、一人の女が病気らしい子供の前で泣いていて、そのそばには夫らしい男がごろ寝をしているのが見えた。
亡霊はまた書生を背負い、天窓を通りぬけて部屋の中へおりた。女には亡霊の姿も書生の姿も見えないようであった。亡霊はあかりのそばへ寄り、両手であかりを覆(おお)った。部屋の中が暗くなると、女はぎょっと表情をひきつらせて、寝ている夫をゆり起した。
「あなた、坊やは死にそうなのですよ。よくもぐうぐう眠っていられますわね。いま、何かいやなものが来て、あかりを暗くしたから、眠いでしょうけど起きて、あかりを明るくしてちょうだい」
夫は起きて、油をつぎ足した。
亡霊は女をよけるようにして子供を見守っていたが、しばらくすると、布の袋を出して、不意に子供をその中へ入れた。子供は袋の中でまだ動いていたが、亡霊はそのまま袋をかつぎ、書生を背負って、いったん天窓の上へとびあがってから、地面へおりた。
こうしてまた定鼎門を通りぬけ、安宜坊の書生の家までもどると、亡霊はていねいに礼を言って、
「わたしは冥府の命令で、子供の魂をあの世へ連れて行く役目をしているのです。ただ、その役目を果すためには生きている人を連れていなければなりませんので、あなたにこんなお手数をかけたわけです。どうぞおゆるしください」
そう言うなり亡霊はどこかへ行ってしまった。
書生が亡霊について歩いていたとき、亡霊は立ちどまるたびに地面に十字を書いていた。翌日、書生は弟を連れて昨夜歩いたあとを調べてみた。と、亡霊の書いた十字はみなそのまま残っていた。さらに城門を出て五橋へ行き、昨夜の家をたずねてみると、やはり子供は死んでいた。
唐『広異記』