唐の憲宗(けんそう)の元和年間のことである。
都の東市(とうし)に李和子(りわし)という悪少年がいた。父親は努眼(どがん)といって、これまたあまり評判のよくない男だった。ことに和子は残忍な性質で、常に犬や猫を盗み取って食い、町の人々からおそれられ、きらわれていた。
ある日、和子が鷹(たか)を臂(ひじ)にとまらせて往来に立っていると、紫の服を着た男が二人近づいてきて、
「あなたは李努眼の息子さんの、和子という人ではありませんか」
とたずねた。
「そうだが、それがどうしたというんだ」
和子がそういうと、二人は、
「人目につかないところでお話ししましょう」
と言い、さきに立って人通りのない脇(わき)道へはいって行った。ついて行くと、二人は和子を物かげへ呼んで、
「わたしたちは冥府の使者です」
と言った。和子が笑って、
「なんだと? 人間ではないというのか。なんでそんなうそを言う! おれが亡霊をおそれるとでも思っているのか」
と言うと、一人が、
「うそではない。あなたがおそれようと、おそれまいと、わたしたちは亡霊なのだ。冥府の命令で、あなたを連れにきたのだ」
と言い、ふところから一枚の書状を取り出して見せた。それには、故(ゆえ)なく彼に殺された犬猫四百六十頭の訴えによって、その罪を断ずる、という意味のことが書かれていた。和子はにわかにおどろきおそれ、臂の鷹を放して、その場にひざまずいて哀願した。
「わたしは死を覚悟しました。しかし、ちょっとのあいだ猶予(ゆうよ)してくださって、酒を一杯だけ飲ましていただけませんでしょうか」
「この世の別れに飲みたいと言うのか」
「はい。そしてあなたがたにも、さしあげたいと思います」
「酒を飲むあいだだけだぞ」
二人がゆるしてくれたので、和子はそのあたりの居酒屋へ案内したが、二人は鼻をおおってはいろうとしない。
和子はそこで、杜(と)という料亭(りようてい)へ二人を連れて行った。二階へあがって席についたが、二人の姿はほかの者には見えないらしく、店の者はあやしんで、
「お客さん、どうなさったのです?」
とたずねた。和子が、
「なにがどうしたと言うのだ!」
とどなると、二人はこわい顔をして和子をにらんだ。和子は店の者に、
「なんでもない。とにかく酒を九杯持ってきてくれ」
と言った。
「九杯もおひとりで?」
「つべこべいわずに持ってこい!」
和子がまたどなると、二人はまた和子をにらんだ。
和子は三杯を自分の前に置き、六杯を二人の前に置いて、
「さあ、めしあがってください」
といった。二人は、しきりに「うまい、うまい」といって飲んだ。
「お気に召(め)しましたら、いくらでも飲んでください」
と言い、和子はさらに六杯注文した。二人はまた「うまい、うまい」といって飲んだ。
「ところで……」
と、和子はおそるおそる言いだした。
「なんとかして助けていただく方便はないものでしょうか……」
すると二人は顔を見あわせ、うなずきあって、一人が言った。
「われわれも一酔(いつすい)の恩を受けたのだから、なんとかとりはからうことにしましょう。しばらくここで待っていてください」
二人の姿はぱっと消えたが、すぐまたあらわれて、
「係りの役人にたのんでみたところ、四十万の金をはらってくだされば、三年だけ命をのばすということでしたが、どうです」
「ありがとうございます。家へ帰って家財道具をみんな売りはらえば、四十万にはなると思います。命にはかえられませんから、そういたしますが、その金をどのようにしてお渡しすればよろしいのでしょう」
「明日の正午にはらっていただきたいのです」
「そのときに、取りにきてくださるのですか」
「いや、われわれは亡霊だから人間の銭はなんの役にもたちません。明日の正午に、四十万の紙銭を焼いてくださればよいのです。必ず約束をたがえないように。もしたがえたら、あなたをすぐ冥府へ連れて行きます」
「必ずおっしゃるとおりにいたします」
和子が約束をすると、二人は、
「それでは」
と言って、姿を消した。二人がすわっていた前には十二の碗(わん)が残っていたが、どの碗にも酒がいっぱいはいっていた。和子が不思議に思って飲んでみると、それは水のように味がなく、しかも歯にしみるほど冷たかった。
和子はいそいで家へ帰り、衣類や道具を売りはらって、その金で四十万の紙銭を買った。
翌日の正午、和子は酒を供えて、その四十万の紙銭を焼いた。すると昨日の二人があらわれて、
「よろしい。これであなたは三年だけ命をのばしてもらえます」
と言って、また姿を消してしまった。
和子はそれから三日たったとき死んだ。
霊界の三年というのは、人間界の三日だったのである。
唐『酉陽雑爼』