南斉の武帝のとき、尚書省の書記に馬道猷(ばどうゆう)という人がいた。
ある日、役所で事務をとっていると、突然、大勢の亡霊が目の前にあらわれた。だが亡霊の姿は馬道猷にだけに見えて、ほかの者には見えない。
「ほら、そこにも、ここにもいるではないか」
と馬道猷が指さして言うと、同僚たちは、
「亡霊など、どこにも見えはしないじゃないか。気のせいだよ。熱でもあるのではないか。帰って養生(ようじよう)したほうがよいぞ」
とすすめた。
やがて二人の亡霊が、それぞれ馬道猷の左右の耳の中へはいってきた。
「おれをどうしようというのだ」
と馬道猷が言うと、二人の亡霊は、
「魂を押し出すのだ」
と言って左右から押し合った。
「それ出た!」
と亡霊が言ったとき、馬道猷はからだから魂が抜け出るのを感じた。はっと思った瞬間、魂が足もとに落ちたので、馬道猷はそれを指さしながら同僚たちに、
「亡霊がおれの耳の中へはいって、おれの魂を押し出してしまった。見ろ、これが魂だ」
と言ったが、同僚たちは口ぐちに、
「何もありゃしないじゃないか」
という。
「君たちには、これが見えないのか」
「見えないよ。魂というのは、いったいどんな形をしてるのだ」
「ちょうど蝦蟇(がま)のような形だ」
馬道猷はそう言ってから、
「おれはもう助かるまい。魂はからだを離れてしまったし、亡霊はいまもまだ耳の中にいるのだ」
と嘆いた。同僚たちが馬道猷の耳の中を見ると、すっかり腫(は)れあがっていた。
「やはり家へ帰って養生したほうがよい」
と、同僚たちは馬道猷を家へ帰らせたが、彼はその翌日死んでしまった。
六朝『述異記』(祖冲之)