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中国怪奇物語195

时间: 2019-05-29    进入日语论坛
核心提示:  ぬれぎぬの怨み 宋の元嘉年間のことである。江蘇(こうそ)の秣陵(まつりよう)県で、李竜(りりよう)という者の一味が強
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   ぬれぎぬの怨み
 
 
 
 
 宋の元嘉年間のことである。江蘇(こうそ)の秣陵(まつりよう)県で、李竜(りりよう)という者の一味が強盗をはたらいた。
 時の秣陵県の知事陶継之(とうけいし)は、部下をあちこちに派遣して内密に捜索させ、ついに李竜一味をことごとく逮捕した。ところがこのとき強盗どもは、宮中の楽師の一人を一味だと自供して、まきぞえにしてしまったのである。
 この楽師は、犯行のあった夜は、仲間の楽師たちといっしょに、ある人の家へ演奏に行き、その家に泊っていて、強盗たちとは何のかかわりもなかったのである。だが、陶継之はくわしく調べもせずに、勝手に自供の調書を作りあげて、上申してしまったのだった。
 そのあとで陶継之は、その楽師の泊った家の主人や、そのときの来客たちの証言で、無実だったことに気づいたが、すでに報告書を出してしまったので、自分の手落ちになることをおそれて、知らぬふりをしていた。
 そのため楽師は、強盗の一味十人といっしょに、郡の城門で斬罪に処せられてしまった。
 楽師は死刑になる前、陶継之を怨んで、
「わたしは身分こそいやしいが、若いころから善行を心がけていて、間違いを犯したことはない。強盗をしたなどというのは、まったくのぬれぎぬだ。陶知事もいまではそのことをご存じのはずだが、それなのにむざむざと殺されるとは! もし亡霊というものがないなら仕方がないが、あれば必ず亡霊になって陶知事に怨みを晴らしてやるぞ」
 と言い、琵琶(びわ)をひき、歌をうたってから死についた。見物の人々は彼が無実であることを知っていたので、みな涙を流して彼のために悲しんだという。
 それから一月あまりたったとき、楽師は陶継之の夢枕にあらわれ、
「無実の罪で殺されてしまって、くやしくてならぬ。そなたのことを天帝に訴えたところ、今日、わたしの訴えの正しいことが認められて、そなたに対するお裁きがくだったから、そなたを連れにきたのだ」
 と言うなり、陶継之の口の中へとび込んで、腹の中まではいって行った。
 陶継之ははっと思って目をさましたが、ばったりと倒れたまま、てんかんのような発作(ほつさ)をおこして苦しみつづけた。しばらくたってから正気にもどったが、ときどき、また発作におそわれた。発作がおこると、からだがねじれ曲がって、頭が背中につくほどになった。こうして四日間、苦しみつづけたあげく、死んでしまった。
 陶継之が死んでからは、陶一家は暮しに困るようになり、二人の息子も困窮の中で若死にしてしまった。あとには孫が一人残ったが、その孫は道端で乞食をしていたという。
六朝『還冤志』 
 
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