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中国怪奇物語198

时间: 2019-05-29    进入日语论坛
核心提示:  執念の復讐 晋のときのことである。浙江(せつこう)の富陽県の知事をしていた王範(おうはん)の妾(めかけ)に、桃英(と
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   執念の復讐
 
 
 
 
 晋のときのことである。浙江(せつこう)の富陽県の知事をしていた王範(おうはん)の妾(めかけ)に、桃英(とうえい)という美人がいたが、すこぶる浮気なたちで、王範の部下の丁豊(ていほう)、史華期(しかき)の二人と密通していた。
 王範が出張して家をあけたとき、家中(かちゆう)の取締役の孫元弼(そんげんひつ)が、丁豊の部屋の中で佩玉(はいぎよく)のふれあう音をきき、不審に思ってのぞいて見ると、寝台の上で丁豊と桃英がもつれあっているのだった。孫元弼が扉をたたくと、桃英はあわてて寝台からすべりおり、着物をなおし髪をなでつけ、靴をはいて奥へ逃げて行った。
 その後、孫元弼は、史華期が桃英の身につけている麝香(じやこう)を持っているのを見つけたこともあった。
 孫元弼はそのことを王範には告げず、ひそかに二人に不義をやめるよう忠告しただけだったが、二人は孫元弼が主人に言いつけるにちがいないとおそれ、逆に孫元弼が桃英と不義をはたらいていると訴えた。
 王範が桃英に問いつめると、桃英は泣きながら、
「旦那(だんな)様のお留守のとき、不意に孫元弼に襲いかかられ、おどろきのあまり気を失っているあいだに犯されました」
 と言った。孫元弼は、
「丁豊も史華期も桃英と密通していて、その現場をわたしにおさえられているために、逆にわたしを罪におとしいれて自分たちの罪をかくそうとしているのです」
 と言ったが、王範はかえって孫元弼をあやしみ、
「それはおまえ自身のことだろう。もしおまえの言うとおりだったら、なぜさきにわしに訴えぬ。さあ、いさぎよく白状しろ」
 と言って鞭(むち)で打った。丁豊と史華期はそれを見てせせら笑いながら、
「ちゃんと証人がおります」
 と言って、陳超(ちんちよう)という者を連れてきた。二人からたのまれていた陳超は、
「知事さまがお留守のとき、孫元弼が桃英の口を手でふさいで部屋の中へ連れ込むのをこの目で見ました」
 と証言した。王範はそれをきくと、
「よくもおれに恥をかかせたな!」
 と怒って孫元弼を死罪にしてしまった。
 丁豊と史華期はその後も、王範の目を盗んで桃英と密通していた。
 やがて王範は任期が満ち、桃英を連れて都の建業へ帰って行った。丁豊と史華期も王範について行った。
 もともと王範の部下ではなかった陳超は富陽県に残っていたが、次第に暮しが立たなくなってきたため、王範をたよって都へ行くことにした。その途中、赤亭山の麓にさしかかったとき、夕立にあった。日も暮れてきて行きなやんでいると、不意に何者かがあらわれて陳超を小脇にかかえ、荒れた沼地へ引きずって行った。そのとき稲妻が光って、その者の顔を照らした。それは真っ黒な顔の、眼は白眼(しろめ)ばかりの亡霊だった。
「わたしは孫元弼だ」
 と亡霊は言った。
「おまえはいつわりの証言をして、王範にわたしを殺させた。天帝に訴えたところ、わたしの言いぶんをおききとどけくださったので、わたしはずっとここで、おまえの来るのを待っていたのだ。ようやくおまえに会うことができて、うれしいよ」
 陳超は額から血の出るほど頭を地に打ちつけて、
「おゆるしください、おゆるしください」
 と哀願した。
「丁豊と史華期に金を握らされて、心ならずもうそを言いました。どうか、おゆるしください」
「丁豊と史華期はもう冥府へ連れて行った。二人はいま冥府で責め苦を受けているところだ。あとは、おまえと王範と桃英だが、わたしに直接手をくだしたのは王範だから、あいつからさきにとり殺してやる。そのつぎは桃英だ。おまえはいちばんあとで殺すことになっている」
 陳超は狂ったように地に頭を打ちつけてあやまりつづけたが、やがて夜が白んでくると、亡霊の姿は見えなくなってしまった。
 陳超が建業に着き、王範の屋敷を訪ねて、
「丁豊どのに会いたい」
 と言うと、丁豊は数日前に血を吐いて「助けてくれ、助けてくれ」と言いながら死んだということだった。
「史華期どのは?」
 ときくと、同じ日に同じようにして死んだという。そのとき陳超は、孫元弼の亡霊が外からはいってくるのを見た。亡霊は陳超に、
「おまえはあとまわしだ」
 と言って、王範の寝室へはいって行った。
 その夜、王範はひどくうなされて、しきりに「ゆるしてくれ、ゆるしてくれ」とわめいた。家の者がいくら声をかけても、体をゆすぶっても、王範は目をさまさず、うなされ、わめきつづけている。陳超がわけを話すと、家の者は亡霊除けのまじないに黒牛を引いてきて王範の上に顔を出させ、また、桃の木で作った人形に葦(あし)の索(なわ)を持たせて飾ったところ、明けがた近くなって王範はいくらか正気にかえったが、すぐまた、「ゆるしてくれ、ゆるしてくれ」とわめきだし、十日あまりうなされつづけて死んでしまった。
 妾の桃英も陰部が痛んで苦しみつづけたあげく、そこから血を流して「助けて、助けて」とうめきながら死んでしまった。
 陳超は長干寺(ちようかんじ)へ逃げ込み、名を可規(かき)とあらためて、ひたすら孫元弼の冥福を祈りつづけた。それから五年たった後の三月三日の節句に、陳超はもう孫元弼の亡霊は出ないと安心し、曲水(きよくすい)の宴に出て酒に酔い、
「もう亡霊も怖(こわ)くないわい」
 と言って下を向いたところ、水の中に孫元弼の亡霊があらわれて、
「おまえを冥府へ連れていく期日がきたぞ」
 と言うなり、したたかに手で陳超の鼻柱をなぐりつけた。と、鼻からおびただしい血が流れだしてとまらず、数日後に、ついに死んでしまった。
唐『冥報記』 
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