福建の建陽県の録事に、陳勲(ちんくん)という人がいた。剛直で、好ききらいがはげしく、人づきあいがわるかったので、県の役人たち十人が共謀して彼を無実の罪におとしいれたが、誰(だれ)も弁護してくれる者がなく、ついに死刑にされてしまった。
その翌年のことである。陳勲の妻は夫の命日に僧を呼んで追善供養をしたが、夫が無実だということを知っていたので口惜(く や)しくてならず、霊前で嘆息しながらつぶやいた。
「あなたは生前はずいぶん剛直なおかたでした。非業の最期をおとげになってからもう一年にもなりますのに、どうして何もなさらないのですか。あなたの霊魂はなぜ静まりかえったままで、あなたを殺した人たちを見のがしていらっしゃるのですか」
すると、その夜の妻の夢枕に陳勲が姿をあらわして言った。
「わしは殺されたとは全く知らなかったのだ。さっきおまえの言うことをきいて、はじめて気がついた次第だ。そういうわけなら、わしは十人のやつらに敵討(かたきう)ちをしなければならん。だが、いきなり役所へ乗り込んで行くわけにはいかんので、明日になったら、おまえ、県の役所へわしの無実を訴えに行ってくれ。わしはそのあとについて行って、必ず敵を討つから」
翌日、妻が言われたとおりに役所へ訴えに行こうとして家を出ると、表に陳勲が剣をつきながら立っているのが見えた。
「いまから行きます」
と妻が言うと、陳勲はうなずいて、あとについてきた。その姿は妻にしか見えないようであった。
やがて役所の前まで行くと、敵の役人の一人が橋の上に立っていて、
「何をしにきたのだ」
と詰(なじ)った。妻が答えようとするよりも早く、陳勲が駆け寄って行って剣でその役人をたたいた。と、役人はそのまま倒れて死んでしまった。
役所の門をはいると、陳勲はまっすぐに広間へはいって行って、つぎつぎに役人をたたいた。その剣にあたった者はみな死んでしまったが、それはすべて陳勲に無実の罪を着せた仲間であった。
こうして十人のうちの八人までが殺された。あとの二人は臨川(りんせん)まで逃げて行ったが、陳勲は追って行ってこれも殺してしまった。
陳勲の家は蓋竹(がいちく)という村にあったが、村人たちはいつも陳勲の亡霊を見かけた。そこで祠(やしろ)を建てて祭り、陳府君(ちんふくん)の廟(びよう)と名づけたところ、亡霊はその後は姿をあらわさなくなった。廟はいまもあって、霊験(れいげん)あらたかな神として尊崇されている。
宋『稽神録』