銭符(せんふ)は字(あざな)を合夫といって、紹興(しようこう)十三年に浙江(せつこう)の台州の補佐官になった。
そのときのことである。裁判のために寧海(ねいかい)県へ出向いて、七月二十六日、妙相寺(みようそうじ)に宿をとった。机にもたれながら、たいくつしのぎに字を書いていると、筆を引っぱる者がある。びっくりしてふりむいたが、だれもいなかった。眠気(ねむけ)がさしてきて、筆を引っぱられたような気がしたのかもしれぬ。銭符はそう思って、格別気にもせずに寝た。
その夜、ふと目をさますと、寝台のそばにだれかが立っているようであった。目をこらして見ると、薄い人影が見えた。銭符は従卒を呼びおこし、あかりをつけさせて見た。薄い人影は、あかりをつけない前と同じ濃さで寝台のそばに立っていた。銭符は指さして、
「ほら、そこに人影が見える」
と言ったが、従卒は、
「何も見えません。気のせいでございましょう」
と言った。すると、その人影は消えてしまった。気のせいかもしれぬ。銭符はそう思ってまた寝た。そのまま、その夜は格別のこともなかった。
ところが、翌晩もその人影はあらわれて、寝台のそばに立った。銭符はもう従卒をおこさず、その人影に向ってたずねた。
「亡霊か妖怪(ようかい)か。もし亡霊なら、そこの衝立(ついたて)をたたいてみよ」
すると、とんとんと衝立をたたく音がした。銭符はその音をきくとおそろしくなり、二本の大蝋燭(ろうそく)をあかあかとともした。と、すぐ大きな蛾(が)が飛んできて、火をたたき消してしまった。人影は寝台の横の腰掛けにすわり、むこうを向いたまま、じっとしている。
よく見ると、しだいにその影は濃くなってきて、女のようであった。円い冠をつけ、淡い青色の上衣を着、明るい黄色の裳(もすそ)を垂れている。全体の形は小さく、いつまでも身動きをしなかった。
銭符はそのとき道士から呪文を習ったことを思い出し、口のなかで何度も天蓬呪(てんほうじゆ)をとなえた。すると、まもなく人影は消えた。同時に外で、宿直の部下たちのがやがやとさわぐ声がきこえてきた。
銭符が出て行ってみると、部下の者は口々に、
「女が奥から飛び出してきたのですが、風のような早さで、寝ているみんなの顔を踏みながらどこかへ行ってしまいました」
と言った。
「どこへ行った」
「それがわからないものですから、さがしているところです」
「どんな衣装の女だった」
ときくと、だれもはっきりと覚えている者はいなかったが、ある者は円い冠をつけていたようだと言い、ある者は淡い青色の上衣を着ていたと言い、ある者は裳は明るい黄色だったと言った。
「みんなでさがしても見つからないのなら、どこかへ行ってしまったろう。さわがずにもう寝るがよい」
銭符はそう言って部屋へもどり、また寝台へあがって寝た。疲れていたせいか、まもなく眠ってしまった。すると夢の中に、さっきの女がまたあらわれ、ためらいもせずに衣装をぬいで寝台へあがってくるなり、銭符の左の肩を枕(まくら)にして寝た。その体は氷のようにつめたかった。銭符はぞっとしたが、呪文をとなえるいとまもなく、女が言った。
「わたしは蒋(しよう)通判の娘です。お産のためにまだ若い身そらでこの寝台の上で死んでしまいました。それ以来、男の人の肌(はだ)が恋しくて……」
そう言いながら、しきりに銭符の体をまさぐり、いどみかかってきた。銭符は必死になって防ぎつづけたが、女はどうしてもはなれない。女がついに銭符におおいかぶさって、ぴったりと体をつけてきたとき、銭符は悲鳴をあげて目をさました。
翌日、この寺に仮寓(かぐう)している郭(かく)元章という人にたずねてみたところ、くわしくその女のことを話してくれたが、それは銭符が見た亡霊とぴったりと一致した。銭符の泊った部屋は女が産室にしていた部屋で、寝台はそのときの寝台ではなかったが、置いてある場所は女が死んだ場所だったという。
これは筆者が銭符からきいた話である。
宋『夷堅志』