宋(そう)の紹興(しようこう)二十四年六月のことである。
江西の彭沢(ほうたく)県の役人の沈持要(しんじよう)という人が、官命で臨江(りんこう)へ行く途中、湖口県から十里ほどはなれたところにある化成寺という寺に泊った。
以下は、そのとき沈持要が寺の住職からきいた実話である。
昨年のことである。一人の客人が仏殿の隣りの棺の置いてある部屋に泊った。ほかに空(あ)いている部屋がなかったからである。
夜中に客人は、棺のなかから光が漏れ出るのを見て不審に思い、じっと見ていると、その光のなかに人の影が動いた。客人はおどろいたが、いざというときには隣りの仏殿へ逃げ込めばよいと思い、寝台の帳(とばり)をかかげて様子をうかがうと、棺のなかの亡霊も、ふたをおしあけてこちらをうかがう様子をした。
客人はおそろしくなり、仏殿へ逃げようとして、寝台からそっと片足をおろした。すると亡霊も棺のなかから片足を出した。ぎょっとして足を引っ込めると、亡霊も足を引っ込ませた。客人がまたそっと足をおろすと、亡霊もまた足を出す。同じことを何度もくりかえしているうちに、客人はもうおそろしくてたまらなくなり、思い切って寝台から飛び降りて逃げだした。すると亡霊も棺から飛び出して追ってくる。客人は仏殿へ逃げ込みながら、大声で救いを求めた。亡霊はすぐうしろまで追い迫ってきた。
客人は魂も身にそわず、脚もなえてしまって、ころげまわりながら逃げつづけたが、ついに力が尽きて柱の下で動けなくなってしまった。と、亡霊はぱっと飛びかかってきたが、そのとき客人は、がちゃん! という音がしたことを覚えているほかは、あとは何も覚えていない。
客人の救いを求める声をきいて僧侶たちが仏殿へ駆けつけて行って見ると、柱の下に客人が半死半生で倒れていて、そのそばには、ばらばらにくずれた骸骨が散らばっていた。
その後、その死人の家から棺を引き取りにきたが、死骸がくだけているのを見ると、寺の者が棺をあばいたのに相違ないと言い、ついに訴訟沙汰(ざた)にまでなったが、そのときの客人の証言で寺は事なきを得た。
宋『夷堅志』