宋(そう)の徽宗(きそう)の宣和(せんな)年間のことである。
都に住んでいたさる士人(しじん)が、上元(節日の一。陰暦一月十五日)の夜、町へ灯籠(とうろう)見物に出かけた。二美楼の近くまで行ったところ、大勢の見物人で、さきへ進むことができない。しばらく足をとめていると、すぐ近くに、何かさがしものでもしているようにうろうろしている、美しい女の姿が目についた。
「どうしたのです」
と声をかけると、女ははじめは警戒するような目で士人を見て黙っていたが、たちまちぱっと安堵(あんど)の色を浮べて、
「わたし、みんなといっしょに灯籠見物にきたのですけど、人ごみのなかで連れの人たちにはぐれてしまって……。ひとりでは家へ帰ることができませんの」
と言った。
「お家はどこです」
ときくと、
「遠くですの」
という。
「遠くのどこです。よければ送って行ってあげましょう」
「それが、どこだかわからないのです」
「わからない? 冗談でしょう?」
「いいえ、ほんとうです。それにわたし、家へは帰りたくありませんの」
「それじゃ、わたしの家にきませんか」
士人が誘ってみると、女はうなずいて、
「もしお宅へ連れていってくださるなら、助かりますわ。こんなところでうろうろしていると、わるい者にかどわかされて、どこかへ売りとばされてしまうのではないかと、さきほどから、わたし、気が気でなかったのです」
「わたしがわるい者でないということが、どうしてわかります?」
「それは、わかりますわ。はじめはちょっと疑いましたけど……」
士人は女の手を引いて、家に帰った。その夜から女は士人の妾(めかけ)になった。士人は女がすっかり気にいってかわいがっていたが、それから半年たっても女をたずねてくる者もなかったので、もう人前に出してもよかろうと思い、ある日、仲のよい友達を招いて酒盛りをしたときに、その女に酌(しやく)をさせた。
するとその翌日、昨夜の客の一人がこっそりたずねてきて言った。
「昨夜の女はどうした?」
「どうしたのだね。奥にいるよ」
「あの女をどこから手に入れたのだね」
「周旋屋(しゆうせんや)から買ったのだ」
「いや、そうではなかろう。ほんとうのことを言ってくれ」
「なぜそんなことを言うのだ」
「実は昨夜、酒を飲みながらあの女を見ていると、ともしびのうしろを通るたびに必ず顔色が変るのだ。あれはたぶん人間ではあるまい。気をつけたほうがいいぞ」
「ばかなことをいうな! 半年もいっしょに暮しているのだが、何も変ったことはない。変ったことがないばかりか、この世にまれなくらい夜のすばらしい女だ」
「ほんとうに周旋屋から買ったのか。どこのなんという周旋屋だ」
「実は上元の夜、町で拾ってきたのだ」
「そうだろうと思っていた。葆真宮(ほうしんきゆう)の王文卿(おうぶんけい)法師に会ってみるがよい。もしあの女が、君の言うとおり、ただ、夜がすばらしいだけの女なら、それはそれでよかろう。会ってみても君に損はないじゃないか」
士人はそう言われて心がぐらつき、葆真宮へ行ってみた。王文卿法師は士人を一目見るなり、おどろいた様子で、
「妖気(ようき)が濃くたちこめている。もう手のほどこしようもないほどになりかけている。そなたにとりついているのは亡霊ではなくて、離魂というものだ」
と言い、その場に居合せた客の一人一人を指さして、
「みなさんにも、いずれ証人になってもらわなければなりません。いまからたのんでおきますぞ」
士人がかくさずに、はじめて会った上元の夜のことから、閨房(けいぼう)のことまで、いっさいを話すと、法師は、
「その女が日ごろ、いちばんだいじにしている物は?」
ときいた。士人が考えていると、
「いつも身につけている物が何かあろう。早く思いだしなさい」
とせかした。
「小さい銭箱を腰に下げております。たいへん精巧なつくりの箱ですが、腰に下げたまま、人に見せようとはしません」
法師はうなずいて、すぐ朱筆で二枚の護符を書き、士人に渡して言った。
「家へ帰って、その女が眠っているあいだに、一枚を頭の上へ置き、一枚を箱のなかへ入れなさい」
士人が家へ帰ると、女は顔色を変え声を荒だてて士人に言った。
「あなたのところへきてから、もう半年にもなりますのに、まだわたしを疑って、道士に護符を書かせるなんて! そんな護符なんかすぐ焼き捨ててください!」
士人がとぼけて、
「護符なんて持っていないよ。おまえはどうしてそんなことを言うのだ」
と言うと、女はいっそう青ざめた顔をして、
「かくしても、わかります」
「どうしてわかるのだ」
「下男にききました。一枚はわたしの頭の上へ置き、一枚はわたしの箱のなかに入れるのだと。さあ、かくさずに早く焼き捨ててください」
女はそう言うと、泣きながら奥の部屋へ駆けこんで行った。
士人が下男にきいてみると、
「護符ってなんですか」
とききかえした。うそを言っているとは見えない。
「今朝からずっと奥さまにはお会いしておりません」
とも言った。これまで半信半疑だった士人は、そのときはじめてほんとうに女を疑うようになった。
その夜、女は士人を寄せつけなかった。
「まだ護符を持っているのね。それを焼き捨ててしまわなければ、わたし、いやです」
と言い、夜がふけても自分の部屋にこもったきり、あかりをつけていつまでも針仕事をしていた。そして、そのまま朝まで寝なかった。
士人は女が眠らなかったのでどうすることもできず、夜があけると葆真宮へ行って、事の次第を告げた。すると法師はよろこんで、
「それでよいのじゃ」
と言った。
「あの女は一晩だけは眠らずにおられるが、今夜はいくら自分で眠るまいとしても眠らずにはおられないのだ。眠ったら、わしが昨日言ったようにすればよい」
その夜、女はしばらく起きていたが、まもなくぐっすり眠り込んでしまった。そこで士人は教えられたとおりに護符を置いた。
夜があけてから女の部屋へ行って見ると、女はいなくなっていた。寝台の上をさがしてみたが護符もなくなっていた。
それから二日たったとき、王文卿法師は役人に逮捕されて牢(ろう)へおし込められた。それはつぎのような訴えがあったからだった。
ある家の娘が三年間ずっと病気で寝ていたが、一昨日、ついに死んだ。ところが、その娘は臨終のとき、不意に大声で、
「葆真宮の王法師がわたしを殺す!」
と叫び、そして息を引き取ったという。家の者がその遺骸を納棺するときに調べてみると、頭の上と腰につけた銭箱のなかとに、王法師の書いた護符があった。そこで役所へ訴えて、
「王法師は妖術(ようじゆつ)によってうちの娘をとり殺しました」
と申したてたのであった。
王法師は役所でありのままを述べた。そこで、士人と、士人が葆真宮へいったとき居あわせた客たちが証人として呼び出された。その証言によって法師は罪をのがれることができたのである。
王文卿法師は建昌(けんしよう)の人である。
この話は、筆者が林亮功からきいた実話である。林亮功は、この話の士人と親しくつきあっていたことがあった。
宋『夷堅志』