〓京(べんけい)に陳叔文(ちんしゆくぶん)という人がいた。
科挙(かきよ)の試験に及第して、江蘇(こうそ)の宜興(ぎこう)県の主簿に任命されたが、長いあいだ試験勉強をしているうちに家はすっかり貧乏になってしまい、いまは数日間の生活費もないありさまだったので、任地へ行くことができなかった。
叔文は顔も姿も人並みすぐれた好男子だったので、妓女(ぎじよ)たちのあいだに人気があった。しかしそれも、まだ遊興する金があったころまでのことで、なくなってしまうと、だれもみな相手にしなくなった。そのなかで、崔蘭英(さいらんえい)という女だけはちがった。
「あなたはいまにきっと出世をなさるから、お金はそのときでいいわ」
と言い、いつ行ってもこころよく迎えてくれた。
任官はしたものの旅費の工面(くめん)がつかず、くさくさしていた叔文は、蘭英のことを思いだし、あの女にたのめば旅費ぐらいは用立ててくれるかもしれないと思って出かけた。
蘭英はいつものようにこころよく迎えて、
「どうなさったの、浮かぬ顔をして」
ときいた。叔文がわけを話すと、蘭英は、
「旅費ぐらいならご用立てしますわ」
と言い、そしてためらいながら、
「わたし、以前から、千貫以上お金がたまったらこの商売をやめて、だれかの奥さんになりたいと思っておりましたの。もしあなたに奥さんがなければ、わたし、よろこんであなたの任地へおともするのですけど……」
「ほんとうか」
と叔文は言った。
「わしはまだ妻帯していない。もしおまえが妻になってくれるというのなら、願ったりかなったりだ」
「ほんとうに? うれしい!」
と蘭英は涙を浮かべながらよろこんだ。そして二人はその場で結婚の約束をした。
叔文はその夜は蘭英の家ですごし、翌朝、家へ帰ると、妻に嘘(うそ)を言った。
「赴任の期日も迫ってきたが、金がないのでいっしょに旅立つことはできそうにもない。昨夜ようやく一人ぶんの旅費だけは工面したから、ひとまず、わしは単身で赴任することにするよ。むこうへ着いたら、おまえの生活費は欠かさず送るから、しばらく一人で暮していてくれ」
妻は納得(なつとく)した。
さて、叔文は蘭英を連れて船に乗り、〓水(べんすい)を東へくだって任地へ着いた。二人は仲むつまじく暮した。叔文は蘭英には内証で、月々の生活費を妻に送っていた。
三年の任期がおわって、二人は都へ帰ることになった。船は〓水をさかのぼって進んだが、都へ近づくにつれて叔文の気持は重たくなる一方だった。
「蘭英の荷物の中には千貫以上の金がはいっているはずだ。あの女はおれに妻があることを知らない。妻のほうも、あの女のことを知らない。どちらも相手を知らないわけだが、都へ帰って二人が顔をあわせたら、どうなることだろう。二人とも承知しないばかりか、訴訟をおこすにちがいない。そうすればおれの前途はめちゃめちゃだ」
なんとかうまくおさめる方法はないものかと考えつづけたが、いくら考えても方法はない。そのあげく叔文は、蘭英を殺してしまおう、と思った。そうすれば、なんのあとくされもなくなる。そうするよりほかに手はない。
そこで、ある夜蘭英といっしょに酒を飲み、したたかに酔わせておいて、夜がふけてから川の中へ突き落とした。さらに、蘭英が連れていた女中も突き落とし、そして大声で泣きわめいてみせた。
「妻が足を踏みはずして川へ落ちた! 女中も妻を引き上げようとして、いっしょに落ちてしまった! すぐ船をとめて、二人をさがしてくれ!」
ちょうど闇夜(やみよ)だったし、それに〓水の流れは矢のように早かった。船頭は急いで船を岸につけ、岸づたいに走ってさがしたが、どこにも二人の姿は見えなかった。
叔文は都へ帰ると、妻に言った。
「わたしたちは、前はひどい貧乏だったが、おまえが都で待っていてくれたおかげで、三年のあいだに二、三千貫の金がたまった。もう、おまえにさびしい思いはさせたくない。役人暮しはやめて、この金をもとでに商売をはじめよう」
そこで倉を建てて、質屋をはじめた。店は繁盛し、一年もたたぬうちに見ちがえるほどの豊かな暮しになった。
やがて冬至(とうじ)になった。冬至の日には〓京では着飾って寺へ参るのがしきたりになっていた。叔文は妻といっしょに相国寺へ参詣(さんけい)したが、寺の前まで行ったとき、人ごみの中から二人の女があとをつけてくるのに気づいた。ふりかえって見ると、それは死んだはずの蘭英と女中によく似ていた。
女はそっと叔文に手招きをした。叔文は用事にかこつけて妻をさきにやり、蘭英について行った。ついて行くと蘭英は相国寺の廻廊の下の石に腰をかけた。叔文がそばへ行って、
「おまえ、無事だったのか」
というと、蘭英は、
「ええ。女中と二人で抱きあったまま一里か二里のあいだ、浮きつ沈みつ流されていくうちに、木にひっかかってとまりましたので、声をあげて救いを求め、助けられたのです」
といった。叔文はどぎまぎしながら言った。
「そうだったのか。あのときおまえはひどく酔っていた。船べりに立って酔いをさましているうちに、足を踏みはずして川へ落ちたのだ。女中もおまえを助けようとして落ちてしまったんだよ」
「前のことはもう何もおっしゃらないでください。きけば口惜(く や)しくなるばかりです。でも、わたしは助かったのですから、あなたを恨みには思いません。わたしはいま魚巷城(ぎよこうじよう)の近くに住んでおりますの。明日、わたしをたずねてきてくださいな。もしきてくださらなかったら、わたし、あなたをお上に訴えますから。そうすれば、都じゅうの人々が大さわぎをするほどの大事件になるかもしれませんわ」
「行くとも。魚巷城の近くのどのあたりだ」
「女中が迎えに出ますから、すぐわかりますわ」
その日、叔文は家に帰ってからも心配でならず、近くで子どもを集めて読み書きを教えている王震臣(おうしんしん)という友人をたずねて、ありのままを話し、どうしたらよかろうかと相談をした。
「行かなかったら、女はきっと訴えるでしょう。そうすればあなたの不利なことは火を見るよりも明らかです。行って心から謝罪し、女の気のすむようにつぐないをするよりほかないでしょう」
王震臣はそう言った。
翌日、叔文はさまざまな料理や酒を買い込み、家の者に気づかれないように、よその町の小僧を雇って荷をかつがせ、いっしょに魚巷城へ出かけた。
魚巷城の近くまで行くと、女中が門前に出迎えている大きな屋敷があった。叔文は小僧を外に待たせて、女中のあとについて門のなかへはいって行った。
そのまま、日が暮れてきても叔文はその屋敷から出てこなかった。料理をいれた荷をかついできた小僧が門の外でいらいらしていると、近所の人があやしんで声をかけた。
「おまえ、そこで何をしているのだね。主人にでも叱られて、帰るに帰れないのか」
「いいえ、わたしはある人のお供をしてきたのです。その人はここで待っているようにと言って、このお屋敷のなかへはいって行ったのですが、まだ出てこないので、仕方なしに待っているのです」
小僧がそう言うと、近所の人は、
「なんだと? その家はずっと前から空き家だぞ」
と言い、あかりをつけて小僧といっしょになかへはいってみた。と、一部屋に叔文があおむけになって倒れていた。近寄って見ると、死んでいた。不思議なことに、両手をうしろへまわして組みあわせている。その形は死刑を執行された者の姿勢とそっくりであった。
近所の人はすぐ役所へとどけた。役人が調べたが傷害のあとはどこにもなかった。小僧の供述から、どうやら死人は質屋の陳叔文らしいとわかり、妻を呼んで検分させると、たしかに夫だと言った。
役人は不可解な事件だと思ったが、頓死(とんし)したとしか考えようがないので、妻に死体を引き取って葬るように命じ、みな首をかしげながら引きあげて行った。
宋『青瑣高議』