晋の末のことである。浙江(せつこう)の故〓(こしよう)県の山奥に、一人娘といっしょに暮している老人がいた。
同じく浙江の余杭(よこう)の、広(こう)という男が、その娘を嫁にもらいたいと申しいれたが、老人はどうしても承知しなかった。
広は娘をあきらめきれずにいたが、そのうちに老人は病気になって死んでしまった。その日、広は偶然、山の裾(すそ)で娘に出会った。
「どこへ行くのです」
と呼びとめると、娘は蒼(あお)い顔を上げて、
「ああ、あなたでしたの。ちょうどよいところでお会いしました。父が亡くなりましたので、町へお棺を買いに行くところです。わたしの家へ行って、わたしが帰るまで父の遺骸の番をしてくださいません? そしたらわたし、あなたのお嫁になりますわ」
「承知しました。すぐ行ってお守りしましょう」
と広が言うと、娘はさらに、
「家の裏の柵の中に豚が飼ってありますから、それを殺してお供(そな)えしておいてくださいません?」
「承知しました」
広は娘に別れて、急いで山道をのぼって行った。家の近くまで行くと、大勢の者が手をたたきながらにぎやかに踊っている声がきこえてきた。不審に思いながら、生け垣をおし分けてのぞいて見ると、大勢の亡霊が老人の死体をかつぎまわっているのである。
「この、亡霊ども!」
広が大声でどなりながら、杖をふり上げてかけつけて行くと、亡霊どもは老人の死体を放りだしてばらばらと逃げて行った。
広は老人の死体を寝台の上に安置し、豚を殺してその前に供えると、香のかわりに木の葉をくすべながら、娘の帰ってくるのを待った。やがて日が暮れかかってきたが、娘は帰ってこなかった。
部屋の中が暗くなったので広があかりをともすと、死体を安置してある寝台の向こうから年を取った亡霊があらわれ、手をのばしながら広に近寄ってきて、
「肉をくれ……」
と言った。広がきこえないふりをして黙っていると、亡霊はさらに近寄ってきて、
「肉をくれ……」
と言う。広はすかさず、その腕をつかまえた。亡霊は逃げようとしてもがいたが、広がますます力をこめて握りしめると、
「たのむ。放してくれ。息子たちに笑いものにされる」
と、情けなさそうな声で言った。同時に家の外で大勢の亡霊どものがやがやとはやしたてる声がきこえた。
「老いぼれじじいの食いしんぼう。ざまあ見ろ。いい気味だ」
「あの亡霊どもは何だ」
と広がきくと、腕をつかまえられている亡霊は、
「うちの息子たちだ。わしを笑いものにしているのだ。たのむから放してくれ」
「わかった。おまえだな、この家の老人を殺したのは。放してほしかったら、早く魂を返せ! 返したら、おれもおまえを放してやる。返さなかったら、このまま町へ連れていって見世物にしてやるぞ」
「わしじゃない。この家の老人の魂を盗んだのは息子たちだよ」
年を取った亡霊は広にそう言うと、家の外の亡霊どもに向って、
「おまえたち! わしが見世物にされてもよいというのか。この老人の魂を返してやってくれ」
家の外の亡霊どもは声をひそめて何やら相談しあっている様子だったが、しばらくすると、何の物音もきこえなくなった。
「外の亡霊どもはどうしたのだ」
と広が年を取った亡霊にきくと、
「もう魂は返したよ。約束どおり、わしを放してくれ。放してくれなければ、また息子たちが魂を盗るぞ」
広が寝台の上の老人を見ると、胸のあたりがかすかに動いて、次第に息を吹き返してくるのがわかった。そこで広が亡霊の腕を放してやると、亡霊の姿はそのまま消えてしまった。
しばらくすると、老人は寝台の上に起きあがって、広を見るなり、
「また、きたのか。娘はやらんというのに」
と言った。ちょうどそこへ娘が、棺桶(かんおけ)を車に積んで帰ってきたが、老人が寝台の上に起きあがっているのを見ると、あっと叫んで気を失ってしまった。
広に介抱されて正気にもどった娘は、広の話をきいてもなかなか信じられずに、
「お父さん、あなたはお父さんの亡霊ではないの」
と言った。すると老人は、
「わしにもわからん。わしはわしの亡霊かもしれん。よく見てくれ」
と言った。しばらくして、三人はいっせいに笑いだした。
広は娘を妻にして、老人と三人でその家で暮した。後、家の近くの谷に幾つもの白骨の埋まっているのが見つかった。むかし谷の上に家があって山津波に流され、家ごと谷底に埋もれてしまった人々のものらしかった。老人と広夫婦はねんごろに供養をしてその霊をなぐさめた。
六朝『幽明録』