韓非子(内儲説篇)
燕の国の李季(りき)という男は、遠方へ旅をすることが好きであった。その留守をさいわいに、李季の妻はある男と私通していた。
あるとき、李季が不意に旅から帰ってきた。男は寝床のなかにいるし、妻がどうしようかとうろたえていると、下女が入れ知恵をしていった。
「あの人を裸にし、髪の毛をふり乱させて表門から飛び出させたらよろしいでしょう。わたしたちは口をあわせて、何も見なかったといえば、きっとうまくいきます」
妻は下女のいうとおりにして、男を表門から飛び出させた。李季がそれを見て、
「あれはいったい何だ?」
といぶかると、家じゅうの者は口をあわせて、
「あれって、何ですか」
「髪をふり乱した裸の男だ」
「まさか、そんなおかしな姿をした男が……。わたしたちには何も見えませんでしたけど……」
李季は不審に思い、
「おかしいなあ。おまえたちには見えなかった? するとおれは亡霊でも見たんだろうか」
「あなたにだけ見えたのでしたら、きっとそうですわ」
と妻がいう。
「そうかもしれん。そうだとすると、おれはどうすればいいのだ」
「お祓いをしなければ……。五牲(せい)(牛・豚・羊・犬・鶏)の小便をとって頭からかけると亡霊を祓うことができますわ」
「仕方がない。そうするか」
李季はそういって、五牲の小便を集め、それを頭からかぶることになった。