啓顔録
隋(ずい)のとき、ある男が黒豆を車に積んで都(長安)へ売りに出かけたが、長安郊外の〓頭(はとう)まで行ったとき、車が転覆して、豆がすっかり川の中へ落ちてしまった。そこで、家の者を呼んできて川へはいって拾わせようと思い、豆はそのままにして家へ帰ったところ、そのあいだに、〓頭の人々が先をあらそってすっかり拾って行ってしまった。
男が家の者といっしょに引き返して見ると、数千匹の科斗虫(おたまじやくし)が群をなして泳いでいるばかり。男はそれをもとの豆だと思い、川へはいって取ろうとした。すると、科斗虫は人の気配に驚き、ぱっと散ってしまった。男は驚きあやしむことしばし。そして、つぶやいた。
「黒豆よ、おまえたちにはこのおれがわからんのか、おれに背(そむ)いて逃げたりしやがって。それにしても、おれにもおまえたちがわからん、急に尻尾(しつぽ)なんか生やしやがって」