啓顔録・笑府・広笑府
〓(う)県の男が銭を持って市場へ買い物に行った。市場の人はその男がおめでたいことを知って、顎が長いのをさいわい、
「きさま、どうしておれの家の驢馬(ろば)の鞍(くら)を盗んで、顎に造りかえやがったんだ」
といい、役所へ突き出すといっておどかした。男は仕方なく、持っていた銭を全部出して鞍の代金にし、手ぶらで家へ帰った。
妻にわけをきかれて男が事の次第を話すと、妻はあきれて、
「鞍がどうして顎に造りかえられますか。たとえお役所へ突き出されても、わけを話せばゆるされるにきまっております。むざむざ銭をやってしまうことはなかったのに」
すると男はいい返した。
「ばかもの! もしわけのわからん役人に会って、顎を切り取って調べるといわれたらどうする。わしのこの顎は、わずかばかりの銭には代えられないんだ」