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ずばり東京18

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:    夫婦の対話「トルコ風呂」 私の妻は二十三歳のときにそれ以上年をとらないという決心をした。だから、いまでも二十三歳
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     夫婦の対話「トルコ風呂」
 
 
 私の妻は二十三歳のときにそれ以上年をとらないという決心をした。だから、いまでも二十三歳である。今年の二月に赤いバラがひらいて�子供�から�娘�になったという年頃の娘が一人あるけれど、妻はやっぱり二十三歳なのである。たまに聞いてみても、うるさいナ、二十三というたら二十三や、とはっきり答えるから、いよいよ二十三歳である。
 だからなにも知らないでいる。文化はその国の主婦が一日のうちに子供のために浪費する時間が少なければ少ないほど高いのだという意見を持っているので、朝から晩まで子供のまわりをうろついて勉強勉強といったり、ピアノのレッスンをしなさいといったり、そうでなければ台所でゴキブリと競走するかPTAに出席して雄弁をふるうかというような暮しかたはなにもしないのである。たまにハクキン懐炉《かいろ》をおなかに入れてスキーにでかけるほかはボウリングもしないし、ダンスにもいかない。つぎからつぎへとでる世界文学全集や美術全集を買いこんでせっせと読み、チェーホフに青い共感の嘆息をついたり、ルノアールの中間色の微妙さに酔ったり、アジャンタの洞窟の浮彫りの女体の異様なエロティシズムにうっとりしたりしながらクコ茶をすすっているのである。
 彼女の夫は十九歳の朝以後年をとらなくなったと、かぼそい主張をしていて、いつ見ても、小説が書けない、小説が書けないとこぼしている小説家である。近頃妙な肥りかたをしてきた。小説が書けないくせに生れつき好奇心だけが旺盛で、バルザックや西鶴やドス・パソスがそうだったのだと弁解しながら、せっせと大東京のあちらこちらに首をつっこんでまわり、なにやらかやらとチョンの間かいま見の見聞録を書きつづり、今週はトルコ風呂をめぐり歩いて海綿みたいにふやけてしまった。
 妻は軽蔑し愛惜しながらその奇妙な特攻隊精神を眺めているうちに、垣根の上にすわっていることができなくなって、かわいい男がかわいそうだと思いだし、世界文学全集をおいてたちあがった。よっしゃ、私《うち》が助けたげる。眼鏡をはずして午後の三時頃に家からかけだして、新宿歌舞伎町のトルコ風呂にかけこみ、青菜に塩みたいな知性の結晶がトマトにホルモン注射したみたいな感性の結晶となり、十八歳の童女みたいな、青森リンゴみたいな赤い頬をして夕方家へ帰ってきた。
 
 
「……どうだった?」
「ええもんや。全身がすっとした。体のあちらこちらから毒が流れて羽根みたいに軽うなったわ。もっと早《は》よう教えてほしかったなあ」
「女の子は親切だったか?」
「田舎からポット出の子が行先に暮れてこういうことをするのやろと思《おも》て、なんや知らん、こう、大力無双の少女が出てくるのかと考えてたんやけど、意外に細い、やせた、青白い子がでてきてね。見るからに都会の澱《おり》がよどんでるという感じやったけど、いろいろつらいことを話しおうてるうちにすっかり仲ようなって、えらいていねいに揉《も》んでくれはった」
「どういうふれこみでいったのだ?」
「大阪から毎月、東京の息子や孫を見にあがってくる気楽な商店街のおばはんやというふれこみでいった。部屋にはいるなり千エン札をだして(筆者注・本誌支払いの取材費なり)、私《うち》は大阪で現金主義や、これでよろしゅう揉《も》んどくなはれと、はじめにポンと札さらけだしたんや」
「人間が人間をいつわって試す権利が許されているのかな」
「寝棺みたいなとこへおしこまれて蒸されたわ。はずかしゅうなるくらい汗と垢がでてきてね。いやもう、全身ぬらぬら、私はこんなに汚かったのかと、つくづくはずかしなったわ。日本の風呂というのは、うわっつらの汗を流すだけで、偽善やね。そう思た」
「おれは風呂嫌いだ」
「一月《ひとつき》ぐらい入れへんでも平気やからね。ええかげんにしとくなはれや」
「日本人が無責任なのは日本酒と風呂に入りすぎるせいやと思うことがあるな」
「また。ヘリクツ!」
「亡びた文明の遺跡の発掘を見てみろ。みんな風呂場からはじまってるぞ。ローマのカラカラ浴場がそうだ。風呂に入りすぎる奴は弱くなって亡びるぞ」
「元禄時代は湯屋と湯女《ゆな》の取締りで幕府がさんざん手を焼きましたけど、この遺物がでてこんのはどういうわけです?」
「風呂桶が木製だからみんな腐ってしまったんです。火事もありましたしね。いや、元禄が現代にそのままつづいてるから、元禄の遺跡というものはないのだ。そう考えるべきだ」
「寝棺のなかに蒸気を入れてブーッと蒸してくれはった。そしたら体がぬらぬらしてきてね、垢のでることというたら」
「浅草のトルコ風呂経営者に聞いたら、ふつうの日本風呂で一里歩いたくらい、トルコ風呂なら三里歩いたくらいのアブラをしぼりとるんだそうだ。ガマみたいなものだ。湿式より乾式のほうが金はかかるけれど、効果はいいといってた」
「私のいったトルコ風呂は湿式と乾式と両方どちらでもやれるというて、やってくれた。おかげでクタクタになったわ」
「そのあげく�お水取り�だ」
「あほらし。私は女でっせ。女のどこからお水を取ります?」
「………」
「あほ!」
「おれは何度もトルコ風呂へいったが、いつも|いちげん《ヽヽヽヽ》の客なのでお嬢さんは出来あいの身上話しかしてくれなかった。何度もかよわなければとてもほんとの話は聞かしてもらえないのだ。とくに男のお水取りをするときどんな気持がするか、ということなど」
「それは聞いた」
「聞いたか?」
「腕や足を揉むのとおんなじやと彼女はいうのやね。たまにはきれいな体をした男がやってくることがあって、そういうときは、やっぱりきれいやなあと思うけれど、それと一緒に暮したいと思う気持とはまるで別物やというてた。どんなみすぼらしい持物をしててもほんとに愛したいと思《おも》たらそんなことはなんにも気にならないというたはった。あんたも自信を持ちなさい」
「………」
「若い独身の男の子なんかはきっとお酒を飲んでやってくる。ひどくはずかしそうに部屋に入ってきて、コナしてもらったらそそくさと帰ってゆく。だから、若い男の子ってのは意外に臆病で気が弱いのよって彼女がいうてたわ。それにくらべたら中年男はおなじ酒飲んでてもいやらしいことをいったりしたりして、でれでれと始末におえないというてた」
「それはそうだろう」
「もう一ついかんのは芸能人、文化人やね。これはもう体も貧弱なら持物も貧弱なくせに、コトがすんだとなったらいじましいやらけちくさいやら、そのくせ傲慢《ごうまん》でどうにも鼻持ちならないと彼女はいうてたわ」
「男は女の体を見たら興奮するけれど、女が男の体を見たってどうってことはないのだ。例外の人は別としても一般的にはそうだろう。女の子が解剖ゴッコなんてしないものね」
「女流作家の小説を読んだらそうでもないようやけど」
「彼女らは男の文体で、男の発想法で、女や男を書こうとしてるのだ。おれはバカにするだけだ。女独自の感じかたというものを教えられたことがない。エロ本読みのセックス知らずというものだ。あさはかな、しらじらしい背のびと無知傲慢があるだけだ。岡本かの子以来、日本にはほんとの女の作家がいないとおれは思う。男にも書けるようなものしか書いていない。ついでにいえば男の作家も人間ずれしていなくて、いつもニキビの純粋小説しか書いていないのだ。いい勝負だな。年をとっても若くてもそうだ。おなじことだと思うな」
「演説はやめてんか」
「やめた」
「お客さんは風呂に入ってええ気持やが彼女らは寒い。お客さんがうだって風呂からでたらええ気持になれるようにつめたくしてあるからお嬢さんらは寒いわけや。昼の二時、三時頃から朝の三時、四時頃までやってる。十二時間、十三時間、労働するわけや。いくらチップをもろても体は五年つづいたら奇蹟や。いつも蒸気のなかで蒸されてるねんよってに、そうは長うつづかんというてた。三日に一日休んで、それもなにしてるかというと、ただゴロ寝するだけやというてたわ。友達と二人で中野にアパート借りて暮してるというてた。私を揉んでくれた子は二カ月か三カ月かに一度、飛行機で神戸へ帰って、お母さんと会うのだけが楽しみやというてた。私の想像したとこではトルコヘくるまえに相当、バーやキャバレーで男苦労をしてきた子らしいけど」
「いまなにがほしいのだ?」
「ほんとに碇《いかり》をおろせる家庭だけがほしいとロマンチックなこというてた」
「疲れたんだな」
「ほしいのは実力と愛情だけや、と彼女はいうてた。トルコさんをして、お水取りでもしてお金ためてほんとに自分を愛してくれる男がほしいというてた。持物なんかどうでもええのやで。ほしいのは愛情だけや、とわかった、というてた。家庭を持ちたいのやね。BGや奥さま族やマダム族なんか、男のオの字も知らないでシャアシャアと澄ましかえってる女なんかを、心の底から憎んでいるのに、やっぱり家庭を持ちたい、というてた」
「年とった男がいうのとおなじことを若い娘がいってるのだな」
「家へ帰ったら奥さんなんか見向きもしないような中年男のくせにここへ来て、わざわざチップを払って肩を揉んだろかといいだすのもいるそうや」
「責任を持たなくていいやつに対してだけ人間は寛容になるんだ。外人に対してこれだけ親切な国民は日本のほかにいないが、日本人同士は知らぬ顔だ。それと似たようなものじゃないか。責任がなければ愛想よくなれるのだ」
「トルコ風呂は入浴料が八百エン、マッサージ料が三百エン。合計千百エンや。最低千百エンいるのや。ほかにチップやお水取りやとなったら、二千エンから二千五百エンぐらいいる。本番は五千エンとかいうてた。若い男の子が月に何回もいけるというとこではないわ」
「パリのトルコ風呂は毛むくじゃらの男が柔道みたいなマッサージをして四千エンぐらいふんだくった。旅館で風呂へ入るには九十エンぐらい払わなければならなかった」
「ヘヘえ、聞きはじめや」
「だいたい日本はサービス業は世界に冠たるものだということになってるんだ。二千エンで男の子が蒸されて、ゆがかれて、揉まれて、そのうえコナされて耳垢をほじって靴下をはかせてもらえるってのは世界のどこにもないのだな」
「なんでや?」
「人間が安いからだ」
「トルコ風呂は高いと外人もいうやないか?」
「一日に五回も入るイスラム教徒のトルコ人だけがそういうのだわ。彼らは斎戒沐浴《さいかいもくよく》が目的で健康や女が目的じゃない。トルコ人には日本のトルコ風呂は高すぎる」
「えらい勉強したね」
「ひやかすな。こういうトルコ風呂が流行《はや》るのは結局のところ日本の貧しさだ。田舎のポット出の女の子がコネも縁故もなくて都会の会社に入ってBGになる。収入はタカが知れてる。貯金もろくにできない。いい金ヅルを持った男の子はみんないいところの娘と結婚してしまう。バーやキャバレーにでると、空気はわるいし、肺は痛むし、お化粧代の、ドレスだのとバカ銭かかる。とられるばかりでなにものこらない。そこで考えに考えたあげくトルコ風呂にやってくる、ここなら口紅もドレスもいらず、裸で稼ぐことができる。チップで月に五、六万は最低稼げるだろう。税金もないしな。近頃は同業者が多くなったのと物価倍増とで彼女らも苦しいだろうが、ほんとに日本の若い娘が自力で金をためて人生のカラさ、甘さをさんざん味わったあげくにほんとの独立を考えようとなったらこれよりほかに道がないだろうな。三年勤めたら三十万エンの結婚資金ができるというのは生糸女工員のための最近の広告だけれど、月収にすればわずかなものだ」
「体を汚さんでもすむ」
「くだらんこというな。体なんかいくら汚したっていいじゃないか。きれいなつらしやがってどれだけ男のことも知らず無知傲慢で澄ましかえってやがる低能高級女が多いことか。十年結婚しても、セックスのセの字も知らずに平気でいやがる。日本のいかさまハイ・ソサエティなんてセックス知らずの鈍感女のヒステリーの井戸端会議にすぎないんだぞ。やつらがどんなに無学無教養かなんて、君は知らないんだ」
「また演説や」
「わるかった」
「私としてはトルコ風呂がもっと安うなって、ほとんど銭湯ぐらいに男も女も楽しめるというようなぐあいになってほしいと思うだけや。健康にはこれほどええもんもないと思うしね」
「それはそうだ」
「トルコ協会の名誉会長は大野伴睦やそうやけど、私はこの人が本気で政治家としてなにを考えてるのかさっぱりわからんわ」
「おれにもわからんわ。とぼけたような顔を新聞で見るだけだ」
「トルコ屋となんぞあるのんとちがうか、と考えるのは、私が疑いぶこうすぎるのんやろか」
「そうやろな」
「正直なトルコ屋さんがめいわくするやろな」
「正直も不正直もよろこんでるやろ。かつぎだしてなにか献上すればなにか返ってくるんだから」
「世間ではトルコ風呂は悪の温床やというてるらしい」
「深夜喫茶やトルコ風呂やボウリング場がなくなっても不良少年はどんどんでてくる」
「しかしオリンピックで外人がたくさんきて、変なところを見られたくないというので、トルコ風呂もヤリ玉の一つにあがってるらしいけれど、なんやしらん、あほらしい話やないか。なんでそんなにお体裁ぶらんならんのや。ありのままを見せても、ええやないか」
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