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ずばり東京20

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:    憂鬱な交通裁判所 錦糸町は東京の下町の一つだけれど、そのはずれに公園や運河がある。公園には炭の木のような木が生え
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     憂鬱な交通裁判所
 
 
 錦糸町は東京の下町の一つだけれど、そのはずれに公園や運河がある。公園には炭の木のような木が生えているが、春ともなると煤《すす》と砂埃でよごれきった枝からちらと新芽が覗く。運河はどろりとした廃水をよどませ、泥の匂いがたちあがる。製材工場か製紙工場でもあるのか、材木がたくさん浮いている。両岸には大小さまざまな工場があって、うなったり、しゃっくりしたりしている。
 公園と運河のあいだに区役所のような建物がある。三階建だが、古い建物で、黒ずんだ灰いろの壁は古ぼけ、老いて、こわばっている。窓もよごれていて、にごった光がよどんでいるところは病んだ眼のようである。そのみすぼらしい建物はどんな権威を持たされているのか、毎日毎日、朝早くから、数知れない種類の乗用車やトラックやオートバイなどを付近の道路にずらりと並べる。アリのようにかけつけてきた車のなかから運転手がうっとうしそうな顔つきでのろのろおりて、玄関の階段をあがって消える。季節にすると三月と九月、週のうちでは金曜日、一日のうちでは午前中がいちばん人が多く、しばしば建物の内部からはみだした人が長い長い行列をつくって道路で順番を待っているのも見られる。
 待っている人びとの顔は老若男女さまざまであるが、こまかく観察すればどの人の顔もうっとうしそうにしているのがわかる。額が憂鬱で重くなっている。しばしば眉をしかめたり、一人で舌うちしたり、いらいらして読みかけの週刊誌をたたきつけたりしているのも見られる。しかし、この群集は一人一人はどうやら不満の火を燃やしているらしいのに、みんなおたがいに知らぬ顔でむっつり黙りこんでいる。競馬場の群集でもなく、野球場の群集でもない。どこか従順である。憂鬱で無力で従順である。しいて例をほかに求めるとしたら、夕方になって競輪場の門から流れでてくる群集の顔だろうか。たたかいすんで日が落ちて、汗のひいたつめたい体を抱いて、よどんだまなざしで、寡黙に、しかしおびただしい数で暗い空のしたにあらわれるあの群集にちょっと似たところがある。
 このちっぽけな、みすぼらしいよごれた、虫食いのクルミの穴のように荒涼とした廊下や階段を持つ建物が、じつは東京で自動車を走らせる人びとの聖地なのであって、�交通裁判所�なのである。墨田簡易裁判所という。人びとの従順と憂鬱と皮膚《ひふ》の外へとびだすことのない不満はそれで理解できようというものである。聖地であれば従順なのがあたりまえだし、裁判所であれば憂鬱になるのがあたりまえだし、�交通�となれば�待つ�とくるのが地球の表皮の正しい反応である。待たされておびえてばかりいる私はここへきていらいらしている人びとを見てなにやら心なごむのをおぼえる。わざわざ歩行者優先のマークのついたところでも命惜しさにたちどまって、つまり、こちらが法を曲げてまでして土下座してやってるのに感謝の挨拶はおろか、ツンと澄まして傲慢にふんぞりかえってとんでゆく連中の横顔を毎日毎日、私は交差点で見せつけられている。とりわけオカラみたいな脳しか持っていないおしゃれの青小僧どもがスポーツカーをとばしていくのを見かけると、この田舎ッペいの猿真似野郎、シラミのようにひねりつぶしてやりたくなる。トラックやタクシーの運転手は追い使われて生活にくたびれきっているのでなんとかこらえようと私は思うが、歩行者優先マークのあるところでおずおずたちどまっている私にタバコよこぐわえで泥水ひっかけてとばしてゆく小僧どもの顔を見ると、どうにもこうにもたまらなくなってくることがある。
 よだんはさておき。
 この墨田簡易裁判所は主に交通違反をした人びとを呼び集めて罰金をとるのが仕事であって、ぶつかった、ひしゃげた、血が流れたというような事件は刑事犯の対象となるので別のところへおいでを願う。ここで扱うのは、スピードを超過したとか、左へ曲るのを右へ曲ったとか、駐車してはいけないところへ駐車したとか、軽くキッスしあったとか、無免許運転をやったとか、そのほかいろいろの、いわば交通戦争のなかでの軽犯罪を犯した人びとから罰金をとって訓戒を垂れるのが仕事なのである。つまりお酒に酔って道を歩いていて立小便をしたとか、青い純真無知な少女のお尻を通りすがりにつるりと撫でたとか、飲み屋で人をなぐったとか、なんの愛も憎しみもないのにただ巡査の顔を見ただけでなぐさめつつからかいたくなったとか、いわば一般市民生活にあってはそういった種類に属するような性質のことをハンドルにぎっていてついついやっちまったというようなことをここでは調べて罰金をとる。
 一日のうちに、だいたい二千人から三千人の人がこの悲しみの門をくぐる。三階建であって、一階は警視庁、二階は検察庁、三階は裁判所というぐあいになっているのである。みんなはこの建物がすべて裁判所のように思いこんでいて、待たされたり、じらされたりした恨みつらみをみんな裁判官のせいにしようと考えているらしいけれど、それは正確ではない。警察は警察、検察は検察、裁判官は裁判官というぐあいに、それぞれの領分をもって、あなたのおずおずとさしだすピンク色の票を調べているのである。
 それは、あなたが女友達にちょっとでも早く会いたいために右へ曲ってはいけない道を右へ曲ってしまったために、たまたまたいくつしていた巡査に見つかり、いろいろ聞かれてそうですとか、いいえとか、すみませんとか答えて鉛筆でしるしをつけられたあげく運転免許証をとりあげられた、その票なのである。このピンク色の票に書きこまれた巡査の鉛筆の跡がすべての判断の基礎となる。あなたがよほどのお金持であって弁護士をやとって抗弁、否認、抵抗できるゆとりがあるか、たとえお金持でなくてもふと町角や酒場で耳にした�やるといったらどこまでやるぞそれが男の生きる道�というような、せりふの勇壮さにしては節《ふし》がなっちゃいないほどたよりなく濡れしょびれた歌の一節、二節、それにそそのかされて抗弁、否認、抵抗にでたとしても、結局のところ違反の現場状況は巡査の書きこんだものだけをたよりにして判断するほかないのである。
 票は四連式で四枚一綴りになっていて、警察、検察、裁判所、一階から二階、二階から三階へとベルト・コンベヤーでつぎつぎとハンコをおされ、書きこまれして送られてゆき、とどのつまり、罰金何千何百エンを支払われたしということになって、票にくっついてマイクで呼びだされつつ一階から二階、二階から三階へとあがってきたあなたは、さいごにまた一階へおりて、いやだ、いやだといってダダをこねる財布のチャックをむりやりひらいてお金をだすということになるのである。この窓口のうしろには日銀の代理で三和銀行が金庫を持って出張してきている。あなたが�螢の光�をうたいつつさしだしたお金はその金庫にさらいこまれ、日銀へ直行する。つまり国庫へそのまま、いっちまう。あなたは一日に三千人の立小便仲間がひきもきらずに払ってゆくお金を眺め、それから、あなたがさんざんいらいらセカセカしつつ待たされた一階、二階、三階の廊下のことを思いだす。壁はむきだしで薄暗く、廊下の両側に板張りのベンチがあるだけで、まったくそれは荒涼としていてクルミにあけられた虫の穴の跡のようである。ラジオもなければテレビもなく、人いきれがむんむん、タバコの煙がもうもう、ひどい日には便所へいくこともできないほどぎっしりたてこんでいるのである。
「……バカにするなッ!」
「ウマじゃねえぞ!」
 声のあがることもある。
 この難民船みたいな貧困と、窓口にひきもきらず流れこむ千エン札のことを考えあわせ、あなたはつい短い結論をだしたくなってくるのである。つまり、裁判所は罰金をそのままポッポヘないないしてハッピー・カム・カムなのじゃあるまいか、おれたちをコンクリ穴で立ちん坊させながら……そういうふうに、ついついあなたは思いたくなるのである。
 なにしろこの建物には一日に二千人から三千人の人間が出入りし現金にして六百万エンから七百万エンの罰金が流れこむのである。年間を通じてざっと十六億エンから十七億エンの収入がある。人呼んでこの建物を、�バッキンガム宮殿�というほどである。バッキンガム宮殿。罰金噛む宮殿。このブタ小屋をね、宮殿とはね。庶民はつねに痛烈ですなあ。
 しかし、あなたの焦慮の感想は短絡しすぎているのである。いくら一日に現ナマで罰金が七百万エンころがりこんでも、それはすべて国庫に直行し、汗水たらしてはたらいている役人たちのポケットにはいっこうもどってこないのである。国庫にもどった十七億エンは道路だの、造船だの、自動車だの、海外貿易振興を口実にイザとなれば�肉だんご�(�日の丸�のことをアメリカ人がそういっていると、アメリカ人が私に教えてくれた)にもたれかかって救ってもらうことをアテにしている重要産業へ焼石の水のようにジュッと吸いこまれ、また、汚職かなにかで、ジュッと吸いこまれ、跡形もなくなるのである。
 ためしに検察官を見ようか。この宮殿で朝から晩まではたらいている検察官たちは一日のうちに仕事を処理しきれないので三時間、四時間、いつも残業をすることになっているが、それだけあくせくはたらいても、残業手当がでるのはその二分の一か三分の一の時間に対してだけである。あとはすべて、乞食なみの、ただばたらきなのである。検察官の一人がじかに私にそういったのである。そしてその検察官は、私に、�記事を|よく《ヽヽ》書いてください�といった。そんなに毎日つらい思いをしてただ働きしていながらなぜ事実を事実として伝えられることをおそれるのだろうか。なぜ貧しさやつらさをそのまま貧しさやつらさとして直視しようとしないのだ。あなたは検察官ではないか。事実を事実として�検察�するのがあなたの職業ではないか。なぜ一人の貧しい小説家ごときに媚《こ》びなければならないのか。
「……するとこういうことになりませんか。罰金をとる方もとられる方も窓口の向うとこちらでおなじようにイライラしているのだと、こういえませんか?」
「そういえないことはないと推測できる余地がないとは誰にも断言できないと考えられる許容性があるのですから、そうもハッキリいいきれないとはしても、とにかく私たちは仕事をしています」
 裁判官は書類だけの略式裁判で六人、これは窓口の呼出しであって受験生のそれと大差ないが、ほかにわざわざ被告を別室にちょっと格式張って呼出す�即決裁判�というものもあり、この裁判官は一人である。私は傍聴にいってみたが、すべての被告が裁判官の読みあげる訴文をそのまま率直にみとめ、さっさと罰金を払って逃げていった。
 三階は裁判所になっている。面会を求めると、白髪温顔の上級裁判官が一人やってきたが、この人はどういうものか、ニコニコつやつやと笑いながら必要以上のことはこちらの洒落《しやれ》や冗談にものらない厳格さをたえず保っておられて、さすがは人を裁くだけのことはあると思われる慎重な厳格居士であった。ときどき口をすぼめてひかえめに、ホッ、ホッ、ホッと笑った。私は大学では法科に籍をおくだけはおいたけれど、こんな笑いかたしかできないようならやっぱり裁判官の道に進まなくてよかったとつくづく思った。
 思うに東京ではトラックであれオートバイであれ、とにかくモーターがついて陸運局に届けられている�うごき物�の数字は、じつに、毎月、一万台である。毎月毎月、一万台の自動車がふえつつあるのである。一年を通じてこの�うごき物�の氾濫のために一千人の人間が死に、五万人の人間が負傷をしている。自動車屋はどんどんマスプロする。道路はそれほど多くはならない。生活はいそがしくなるいっぽうである。
 してみれば、駐車違反などは立小便みたいなもので、どんどんふえるいっぽうではないか。つかまるやつはたまたま運がわるかったのだと思うだけのことである。見つかるか見つからないかというだけの問題で、みな違反を犯している。いや、犯さずにはやっていけない状態にあるらしい。とするといったい裁判所はなんのために存在するのであるか。
 私がおおむねそのような意味のことをたずねると、白髪童顔、キリキリきびしくニコニコおだやかな紳士は、長嘆息して答えた。
「……私は一日三百件も扱うんです。なにがなにやらわからないけれど、とにかくそういう根本的なことは考えないで、ただ夢中になって毎日の仕事を果しているだけです。それだけでせいいっぱいですよ。家に帰ったら本も読めません。寝るだけです」
 実業家に会っても、政治家の秘書に会っても、作家に会っても、女優に会っても、経営者に会っても、サラリーマンに会っても、いつも私はこの答えだけしか聞かされないような気がする。ときどき東京の生活と意見、この都の声とはただこの一語につきるのではないかと思わせられることがある。なんとみすぼらしい、いたいたしい声ではないか。そしてそのまま寝床にもぐりこんでだまってしまう、なんと優しく謙虚な自己抑制ではないか。
 一階、二階、三階と廊下を歩きまわってみると、むんむんつめかけて憂鬱に黙りこんでいる人びとは十人が十人といってよいほど貧しくみすぼらしい人ばかりであった。一説によればちょっとした人たちはみんな警察にコネを見つけてすませてしまうのだそうだ。なんのコネもツテもない人たちだけがここへやってきて一日を棒にふる。
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