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ずばり東京22

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:    われらは�ロマンの残党� この都でも隅田川の向うへいったらまだ紙芝居をやっている。荒川、葛飾、足立、北、江東のあ
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     われらは�ロマンの残党�
 
 
 この都でも隅田川の向うへいったらまだ紙芝居をやっている。荒川、葛飾、足立、北、江東のあたりである。広い東京に散らばってテレビのすきを狙って歩く孤独なパルチザンの数は五十人ぐらいだともいい、九十人ぐらいだともいう。下町ばかりじゃねえぜ。新宿や中野方面にも業者はまだまだいるんだぜ。紙芝居屋の親方はくやしげに誇らしげにそういった。
 荒川区のある町の路地奥に小さな、みすぼらしい公園があって、あぶらじみたお釜帽にジャンパー姿の老騎士がチャキをたたいて子供を集めていた。公園はおしっこの匂いをたてる苔の群れといったような貧しい家のひしめきのなかにとつぜん目をむいたみたいにあり、ブランコやすべり台などがあった。くたびれた、ひびわれたアパートの壁にまわりをとりかこまれている。家の窓には物干竿がかかり、物干竿にはオムツがかかっている。壁、窓、物干竿、オムツ、おかみさん、赤ン坊、道、空、四月の午後三時なのに、このあたりではすべてのものにたそがれがしみこんでいる。軒さきでふて寝していた焦げ跡だらけの年増のネコがあくびをすると舌が灰いろになっていた。
 子供は手に手に五エン玉や十エン玉をにぎってたそがれのなかを走ってくる。お釜帽の老騎士が手|垢《あか》で光るネタ箱のひきだしをあける。赤や白の薄いセンベイ。焼きソバ。メリケン粉を澱粉で固めて水アメで甘くした�ジャム�なるもの。天ぷら屋からまわってきた揚げ玉。アテモノ。アイスクリームを盛るトウモロコシ製の盃に赤いシロップをついでもらう子もある。いまどきの舌の肥えた子供がこんなものを食べるのだろうかと目を瞠りたくなるようなものばかりだが、つぎからつぎと手がのびてよく売れているようだった。そしてみんなは口のまわりをよごしてうまそうにむさぼり食べた。
 二十五年ほど昔の大阪の町角を思いださずにはいられない。私の頃は朝鮮アメや酢コンブやスルメなどであった。そしてやっぱり、「アタリ」とか「スカ」などと書いたアテモノがあって、一喜一憂させられた。どんな紙芝居であったか、主人公たちをいまではほとんど忘れてしまった。けれど、この原稿を書いているうちに、いくつか思いだした。�黄金バット�があったし、�少年タイガー�があったし、これはマンガだけれど�ポンチ�というのもいたように思う。鼻たれの、眼の速い、いやらしいガキ大将がいてこっそりただ見しようとすると、あ、おっさん、あの子、ただ見やと指さすので、つらい思いをしたものだった。私の父親は小学校の先生で修身教科書に手足をはやしたみたいな人物であったから、紙芝居がおもしろいなどというとチリチリ怒る。母親も合唱して、チリチリ怒る。拍子木の音につられてこっそり家をぬけだすのにひとかたならず苦労した。
 紙芝居を見ると私はボーッとなり、霊感むくむくわきたち、いてもたってもいられなくなって家へとんで帰った。そして画用紙にクレヨンでいろいろな絵をかき、物語をつくって、妹に語ってやって聞かせた。どんな絵や物語をつくったものか、これまたすっかり忘れてしまった。きっと南海の孤島だとかキング・コングだとか、少年ターザンだとか、あ、近藤勇危うし、コケ猿の壺、正義の味方・黄金バット、肉弾三勇士、タコの八ちゃん、タンク・タンクロー……などだったのだろう。
 妹二人をガラス障子の向うにすわらせておいて私はつぎからつぎへと絵をとりかえ、�さておつぎはどうなることでありましょうか、また明日のお楽しみ�、くりかえしくりかえし口上を述べることに夢中であった。いまのように白い原稿用紙をまえにして冷や汗たらたら思案投首《しあんなげくび》というような、そんなことではぜったいなかった。
 お釜帽の老騎士は薄暗い、荒れた、木一本ない公園のなかでマンガを一巻、宇宙ものを一巻、ドサまわりの芝居小屋に売られた少女がいじめられる話を一巻、語って聞かせた。それから、判じ絵まがいのクイズというのもやった。いろいろな絵と字の組合わせを見せて子供にあてさせ、あてた子にはセンベイにメリケン粉のジャムをぬって景品としてわたした。
 
 これ何ァンだ?
 モツが二つだね。
 そう、そう。
 『荷物』だよ。
 
 これ何ァンだ?
 むつかしいよ。
 
(挿絵省略)
 
 ゆっくり考えてごらん。『ポスト』からポを引いて、『葉』に濁りをつけて、そうそう、『ボストンバッグ』だね。そこの坊や、ほら賞品だ。君にあげる。
 
 
 紙芝居は衰退の一途をたどっている。テレビに追いまくられたのである。この大道芸術がさかりの花をひらいたのは昭和六年に『黄金バット』がつくられてからの数年間と戦後の数年間であった。この第二の青春のときにも『黄金バット』はすばらしい人気だったそうである。東京都内だけで三千人、日本全国ではざっと五万人ぐらいも�バイニン�(紙芝居の弁士)がいたことがあるそうだ。なにしろそういう人たちに売る駄菓子をつくるだけで二千万エン儲けた英雄がいるというのだから想像もつかない話である。
 この英雄は背中にコイの滝のぼり、左肩に牡丹の花、右肩に桜の花、つまり合わせて�六三のカブ�(花札で一番の高目)の強気一点張りの彫物をしていた。お江戸は亀戸の生れ。バクチをしないと全身に小きざみのふるえがでるという特異体質。敗戦で引揚げてきてぶらぶらしているうちにフトしたことから紙芝居の駄菓子をつくることを思いついてたちまち巨富を築いた。それがまたなんとも英雄の時代にふさわしい英雄の知恵を発揮したのである。
 その頃、焼け跡では菓子らしい菓子がなにもなかったので、セロハンをストローのように巻いて甘いニッキの汁を入れたものが流れていた。これを�ストロー・ニッキ�という。つぎに犬のマークの入ったのが流行《はや》った。�犬ニッキ�。するとほかの業者が�犬より強い虎ニッキ�というキャッチフレーズでおなじようなニッキをつくった。子供は強いものが好きだから犬ニッキはたちまち負けた。すると犬ニッキは改名して�清正ニッキ�になるのである。清正だから虎より強いだろうというのである。よって虎ニッキはやむなく方向転換、�鬼ニッキ�となる。それッというので清正ニッキは鬼退治の鍾馗《しようき》様にお出まし願って、またまた改名、�鍾馗ニッキ�となった。
 件《くだん》の英雄はこれを見てハッとひらめくものあり、ガリレオ的転回をおこなった。浦安へいって貝殻をトラックいっぱい買いこみ、ブドウ糖をとかしてニッキとまぜたものを一コ一コの貝殻につめこんだ。そして�貝ニッキ�と名づけて発売した。これがすばらしいアタリようで、英雄はたちまち地所を買うやら工場を買いこむやらアパートを建てるやらの大発展。ところが乱世の英雄は体質を変えることができなかったので競艇場に入り浸るようになり、たちまちスッてしまった。貝ニッキで儲けた二千万エンをつぎこんできれいさっぱりスッてしまった。そして時代は変り、テレビが出現して、紙芝居もまたダメになる。
 英雄が�貝ニッキ�という名を思いついた裏にはニッキ合戦を眺めていて、犬より虎より清正より、また鬼より鍾馗様より、なにがつよいといっても女よりつよいものはこの世にねえじゃねいか、だからよ、そこで一発、�貝ニッキ�といこうじゃねいか……という深謀遠慮があったのだが、テレビに力道山が現れるに及んで、無念、コイの滝のぼりも六三のカブもいっこうにきかなかった(加太こうじ氏の話による。氏は二十八年間この世界に暮し、紙芝居の作家で画家で親方で、この世界のことならアリの穴まで知りつくしている人)。
 いまや紙芝居は水ぎわに追いつめられた。テレビ。ラジオ。少年雑誌。マンガ雑誌。大製菓会社の進出。そこへもってきていまの子供は保育園だ、幼稚園だ、学習塾だ、ソロバン塾だと学校の外でも追いたてられていて、とても紙芝居など見ている時間がないのである。自動車があふれてウカウカ子供の歩ける道がなくなったということもある。台東区竜泉寺町にある親方の家へいってみると、親方は家をアパートに改造し、ひまでしょうがないからといいながら茶の間のテーブルのうえに玩具の自動車をいっぱいとり散らかしていた。アルバイトですかなといったら、なにやら口のなかでもぐもぐとつぶやいたあとで、いや、アルバイトじゃねえ、ひまでしょうがねいからな、といった。
「……こうテレビがでてきたんじゃ、どうしようもないですね」
 嘆くがように慰めるがように私がそういうと、親方はにわかに大きな声をあげて、
「いやいや」
 といった。
「テレビとの戦争はもうすんだ。おちるところまで紙芝居はおちきったんだ。だからよ。ここ二、三年は業者の数がちっとも減らなくなってるんだ。やっぱり紙芝居は求められてるんだ。おれなんかそう思うぜ。子供は紙芝居が好きなんだ。それが証拠によ、近頃じゃあチャキの音が聞えたらテレビほうりだしてかけてくる子供さえでてきてるんだ。エイトマンだの鉄人28号だのに紙芝居は勝つことだってあるんだ」
 私は嘆くような慰めるような声で、つよいことをいいながらしょんぼりした顔つきでいる親方にいった。
 考えてもごらんなさい、大人は歌舞伎だ、能だ、映画だ、バレエだというが何百エンも払って大群集にまぎれて遠い遠い席で小さくなって聞いている。役者の声もよく聞きとれないのにきゅうくつな恰好してわかったような顔をしていなくちゃいけない。講談、落語、浪曲、みんなそうだ。ところが子供はたった五エンで、かぶりつきの特等席で、アメ玉なめつつ、大の大人の肉声の芸をたのしむことができるじゃありませんか。生《なま》の声の芸がたった五エンで見られるんですぜ。こんな豪奢《ごうしや》なことはほかにありませんぜ。じつに贅沢《ぜいたく》なもんですぜ。テレビに飽いた子供が紙芝居にもどるのは立派な見巧者《みこうしや》です。なんといったってこれは生の声の芸なんだから、筋からいってもこっちのほうが本筋というもんです。
 親方は甘酸《あまず》っぱそうな、うれしそうな、ちょっと煙たいような顔つきで聞いていたが、やがてさびしそうにつぶやいた。
「……戦後の業者はダメなんだよ。昔みたいに夢中にならねいんだ。自分の芸を大事にする気構えがねえんだね。心がけがちがう。昔は夢中になるあまりタクづけしてるときは子供がアメ玉をおくれといってもシッシッと叱ったりする人がいたくらいです。けれど、いまじゃあ、あべこべに子供にせりふを教えてもらっている業者がいたりして、こう不勉強じゃあ、滅びるのがあたりまえさね。勉強する熱が湧かないという気持もよくわかりますがね」
 親方は嘆息をつくと、ぬる茶をガブリと飲み、レンコンの砂糖まぶしをちびちびとかじった。
 加太こうじ氏の話によると、紙芝居は昔はテキ屋と失業者とが圧倒的に多く、この大道芸術はハッキリと昭和初期の大恐慌が生みだしたルンペン・プロレタリアートの産物だといえるということである。左翼運動や自由主義が弾圧窒息させられると島国の闘士たちは海外亡命できないので紙芝居のなかに亡命した。
 戦後は引揚者や闇屋などが手あたり次第にとびこみ、レッド・パージされた人びとが、ふたたびもぐりこんできた。自動車がないので、運転手だった人もたくさんきた。
 しかし、朝鮮戦争後、日本の景気が回復するにつれて運転手はタクシーにもどり、闘士たちは仲間のつてをたよって去っていった。闇屋は正業に帰り、引揚者もどこかへ漂着、吸収された。いま紙芝居をしているのは、たいてい六十歳くらいの老人で、どこへいくにもいきようのない人たちだけである。枯葉の吹きだまりなのである。
 いま私たちが季節のない町の荒涼とした公園で聞く声は枯葉の舞う音である。土に帰る日までのしばらくのたゆたいの時間に、枯葉は毎日重い自転車をひいて東西南北に向って散ってゆき、埃にまみれた若葉たちに話しかけているのである。正義、平等、愛、非道、悲哀、夢、異国、黒い心、赤い怒り、蒼い不安、奔放な幻想や、ほどける微笑や、よどむ涙などをぼそぼそと語る疲れたモグラの声は子供をかつは笑わせ、かつはおびえさせ、煙霧で錆《さ》びた空のしたでどこへともなく吸われてゆく。
 戦前、戦中、戦後をとおして何百人、何千人、何万人かの追いつめられた日本の大人たちが、生きのびたい一心で書きまくり、物語り、議論したり沈思にふけったりしながら、薄暗い屋根のしたでつくりだした絵の群れは、日本全国の町と村を歩きまわって帰ってきた。手垢と唾と傷で、それはなにか湿った粘土のように重い。血を流したように泥絵具が閃き輝く。
 親方の家の土間の棚につみあげられた、おびただしい数の絵の堆積(トラックに五台か六台分あるそうだ)には、なにか、すさまじい執念と虚無がこもっているように感じられる。生きたい一心で発揮された力の堆積なのに、それは見あげると、たじろがずにはいられない圧力を発散する、異様にして怪奇な記念碑ではあるまいか。
 紙芝居がやがて全滅したときには、これらの数万枚を焼いたり捨てたりすることなく国立図書館か美術館かにナフタリンで丁重に保護して収蔵するよう、私は提案したい。
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