馬走る頃であります。
府中だ、中山だ、淀だと数万の群集が週末ごとに競馬新聞片手に流亡、転戦をつづけています。ダービーだけで昨年は七万五千名、一昨年は八万二千名の人間が迷い出しております。この亡者たちがみついだ金は一日で昨年が八億七千万エン、一昨年は十億三千万エン近くでありました。
私、じつは競馬のこと、まったく知りません。バクチ心起る少年期後期より青年期前期にかけてはいわゆる�戦後�のいいところでございまして、食うに食えず、飲むに飲めず、世の中はチャッチャメチャクチャ、額に汗、パンに涙の塩して、ただ生きのびる工夫にその日その日眼がくらんでおりました。旋盤見習工、パン焼工、英会話教師などしてかぼそく息をついて暮していました。その頃も競馬はあったのですが、私のまわりには誰も教えてくれるものがいませんでした。私自身も、からいパンを食べすぎた結果、この人生に�大穴�などあってたまるものかとかたくなに思いきめるようになっていたのです。だから競馬、競輪、なにも知りませんでした。
別種の魅惑の穴には十八歳の晩秋、パン工場の宿直室で、朝まだき、徹夜あけのむらむら、なまづかれのわかだちというもので戦争後家の青い顔した小さな女《ひと》となにやら怪しくなってしまいましたが、その後彼女は行方知れずになりました。わがむさくるしき童貞は浮子《うき》のようにどこかへ流れてしまいました。海は広いな、大きいな、であります。
かくて�穴�にしぶとい夢を抱かなくなった私は、花札、麻雀《マージヤン》、競馬、競輪、競艇、およそことごとくのバクチの誘惑、たまゆらの昂揚、人生の濃縮、決定的瞬間というものから遠ざかることになってしまいました。バクチをする人はしばしばバクチをしない人よりは弱点が多くて、人間としてなじめる人が多いのですが、私の住む小さな世界はそこから離れていたのです。私はその人たちが好きでした。けれど、その人たちは私のところに入ってこようとはしなかった。いや、入ることは入ってもすぐなんとかいって出ていってしまったのです。オレは遊ぶことを知らない人間なんだと考えて何年も私は自分の偏狭さが憂鬱だったことを思いだします。
競馬や競輪を試みなかったわけではないのです。私も何度か競馬場や競輪場へつれてゆかれたことがありました。けれど、競馬は馬についての予備知識があまりにたくさん必要とされたし、競輪については亡者たちの姿のあまりの悲惨と荒廃に私は耐えきれなかったのです。じっさいそれはぬれ雑巾《ぞうきん》のおびただしい塊《かたまり》とでもいうよりほかない群集なのです。
たたかいすんで日が暮れて、競輪場の門からぞろぞろと這いだしてくる群集をごらんなさい。どの男もこの男も猫背、伏眼、汗にまみれ、埃に犯され、がっくりとうなだれて、それが何十、何百、何千と、ただ黙々と、せかせかと、あてどなく、一人一人ばらばらで行進してくるところに正面から出会《でく》わしてごらんなさい。なにかどぶ水がいっせいにあふれだしたのを見るようで悲惨、憂愁、夕空のしたのこの氾濫はなんともすさまじいものであります。
一人の若い予想屋さんと話をしていますと、おもしろいことをいいました。競馬場でも競輪場でもどうしてこう入口が坂になっているのだろう、というのです。入口が坂になっているから客は足速くトットと馬券を買いに走るが、レースがすんでみると、おなじ坂をのろのろぐずぐずとあがらなくちゃいけねえ。あの坂はどこでもああなっている。あの坂はどこでもそうなるようにあらかじめ設計したものだろうか。気軽に誘いこみ気重に追いだすのだ。
どこの競馬場でも競輪場でもそうなっているそうである。入口が坂になっている。だから、入るときは速いが、出るときはおそい。のみこむときは速いが吐きだすときはおそいのだ。
「……それはつまり、アリじごくということじゃないのかね?」
私がたずねると、若い予想屋は、なにごとかをとつぜんさとったように、そうだ、そうだ、そうかも知れねえといいました。
府中にしろ、中山にしろ、淀にしろ、いや、あらゆる競馬、競輪、競艇の場内、場外にあって予想屋というものが、あなたの迷える心をひきこみます。予想屋とはなんですか。それは吠えたて、おびやかし、なだめ、すかし、呪い、訴え、あなたの迷える心をその場その場の呼吸で乗るか乗らぬかにさそいこむ手八丁口八丁の紳士たちであります。いや、あるいは、手八丁口八丁の若者たちであります。
彼らはじつに弁舌さわやかにまくしたて、黒を白といいくるめ、白を黒といいくるめます。それが彼らの生業なのであります。生きるための、わざなのであります。彼らはあなたにあらゆる言葉を口説《くど》いて予想を売ります。あの馬にしようか、この馬にしようかと迷い漂うあなたの心を一つの方向に決定させるのが彼らであります。
けれど、どんなつよい甘やかしのせりふ、どんなえげつないはげましのせりふを聞いても、あなたは、�予想ハ予想ナノダ。本番デハナイノダ�という覚悟と知識をわきまえておかなければなりません。予想は予想である。空想である。現実ではない。証拠ではない。その現実でもなければ証拠でもないことをあなたは現実でもなく証拠でもないことを知ったうえで買いこむのです。だからあとでどんなに予想がハズれてもあなたはドナリこんではいけないのです。どこへもドナリこんではいけないのです。あなたの心に対してだけドナリこみなさい。それ以外はまったく無意味です。
�コノ鯛ハ生キテイル!�と叫ぶ魚商人の言葉をあなたはまさか本気で信じているわけじゃないでしょう。タイは決定的に死んでいる。しかし、死んでからの時間に早い遅いの差はあるだろう。その差によってタイは�死んだ�り、�生きた�りするまでのことである。それを本気で生きたタイだと思いこむのがバカなのである。
予想屋はあなたに�予想�を教える。ありとあらゆる口舌《くぜつ》をつくして�予想�を教え、いつも、それがついに決定的な�結果�であるかのように説きたて、ほかにどんな�結果�や�予想�もないかのように説きたてる。けれど、それはついに�予想�でしかないのである。だから、頭からずっぷり�予想�を百発百中だと信じこんで買いにかかる人間は、本来、どうかしているのである。私にはそう思えるのです。
口説かれたままになぜ十が十まであなたは信ずるのですか。予想屋は口説くのが商売なのですよ。その口説きを真にうけてあなたは行動するのですか。ほかのどの人も信じていないのにどうして予想屋だけ信ずるのでしょうか。言葉たくみに訴えたてるにしても予想屋はついに予想屋にしかすぎないじゃありませんか。
なぜあなたが予想屋のカンがはずれたとかアタったとかいって喜んだり悲しんだりしているのか、私にはよくわかりません。あなたは、予想屋はいつもハズレるものだと思って競馬場の門に入っていくくせにそのとちゅうで、きっと予想屋に金を払って今日の予想をたずねていますね。なぜですか。どうしてですか。そしてそのあとでいつもブツブツ文句をいってますね。これまたどういうわけですか?
三人の予想屋に私は会ったのです。関西の赤穂、中部の大平、関東の大川と三人は名乗りました。めいめいはそれぞれの地方でピカ一の予想屋なのだといいました。関西と中部の親方は五十年配の親方で、関東の親方は三十年配の兄さんでした。けれども三人とも銀座の小さな座敷に呼びこんだらすっかり用心してしまって、誰もろくろく飲み食いせず帰っていってしまいました。そして口上屋の習慣として三人めいめいにしゃべりたいことをしゃべって帰っていきました。
競馬を知らない私が話を聞くのですから予想屋にいわせればチョーコー(客)もいいところ、バテチョー(わるい客)の最たるものでしょう。なにを聞いてなにを書けることやらまるでアテというものがありません。第一、この人たちの話が隠語だらけで、さっぱり聞いていてもわからないのですから世話ありません。あまり隠語が多いので、この原稿のあとにまとめて書きとめておきました。小説家というものは、じつにいろいろなことを勉強しなければならないものです。
予想屋にもいろいろあります。競馬の場内で情報を売る人、場外で情報を売る人、またその日その日の情報を売る人もあれば、推計学式に過去のデータを集積してどの日にもあう推理法を本にして売るものもあり、じつにさまざまです。概して私の経験から申しあげますと、場内で十エン、二十エンで情報をチョコマカと紙きれに書いて売るのはあまり頼りになりません。つまり、安かろう、まずかろうという原理です。こういう予想屋のなかには競馬新聞を読みくらべていいかげんなところの情報、それも紙上で公表済みのものをぬきだしてくるのが多い。新聞はたくさんあって亡者の一人一人がみんな全部に目を通しているわけではありませんからそういう商売もできます。
場外で情報を売る予想屋にも二種類あります。一つはその日その日の予想を売るもの、一つはどの日にも通ずる予想を売るものです。その日その日の予想を売る人間は競馬新聞をすみからすみまで読み、またわざわざ馬場まで訓練を見に出かけたりしてそのあげくに編みだした自分の予想を売るのです。どの日にも通ずる予想を売る人というのは、手がこんでいて、頭を使っていて、言葉はわるいけれど一種の知能犯みたいなところがある。過去何十回、何百回かの馬の成績を記録しておいたうえで、どういう場合のどれくらいの配当金のあてこみにはどういう馬券を買えばよいかということを統計的に数式で割りだしてパンフレットを売るんです。
この人たちの売る数表は定価が�六五〇〇エン�となっているのに買うとなるとにわかにおちて�二〇〇〇エン�となるので妙な感じがします。けれど、聞いてみると、この数表は、一発打って百発百中ということは狙わず、何発か打てばそのうちの一発はきっと当って損をしないということを狙ってつくってあるのだそうです。
�中部の大平�氏がそういいました。つまり、最低を狙ってつくった数表であって、あたることはあたるけれどいくらの配当金かということは明示していない。だから、一発打って百四十エンの配当になることがあるかも知れないし、一万エンの配当になることがあるかも知れない。それはそのときどきの運というもので、何人もクチバシをはさむことができない。しかし、この数表を使えば、とにかく�アタル�ことはあたるのである。
「……予想屋の暮しは楽なものなんですか?」
「いえ、いえ。予想屋殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の十日も降ればよいといいまっせ」
「十日も保《も》たんのですか?」
「保ちまへん、保ちまへん。一日旅すりゃ三千エンとぶ。わしらはあちゃこちゃ競馬場をアテにして旅行するよってにね。それが十日で三万エンになる。とてもあきまへんな。お手あげですわ」
「しかし、いまさき、あんたは千や二千は金に見えないというたやありまへんか?」
初老の予想屋はがっくりとうなだれて、うなずいた。そして、ぶつぶつというのであった。たしかに千や二千は金には見えぬ。おれたちも一万、二万と張る。これが病気だ。どうしてもぬけない。自前で張るとなるとどんなにこれまで競馬でスッて痛い目にあわされていても、冷静な判断が狂う。つまり、自分のつくった数表にたよりきれないで、二点張り、三点張り、四点張りと、チョッカイを出すようになる。これがいつも命とりになって失敗するのである。勝負のコツは無欲と信念である。儲《もう》けようと思わず、また、コレダッ! と思ったものを徹底的に買いこむことで、意外の成績をあげたりするものなのである。
ところが、はずかしいことに、十何年もこの商売をやっていて、いまだに自前でやるとなると気がオヨイでしまっていけないのである。予想屋という予想屋はたいていそうである。だから予想屋は他人の運勢を占っていながら自分は貧乏で、いつもハラハラぴいぴいしている。そのくせ金を金とも思わず、また、女を女とも思わなくなる。あげく夜逃げか、首つりか。畳のうえでは死ねない身分になっているのである。
「……けったいな話でっせ。どう考えてもけったいな話でっせ。病いがいかんのです。病いさえなけりゃいいんですが」
初老の予想屋は顔が陽に焼け、年よりはるかに若い眼をし、いきいきとしゃがれ声でしゃべりながらもどこかうちひしがれたような沈痛な声でつぶやくのであった。
タンカ……口上のことである。予想の効能を述べたあて口上のことである。
オヨグ……あの馬にしようか、この馬にしようかと気持の迷うこと。
ダク……客を集めること。
チョーコー……客のこと。
マブチョー……いいお客。
バテチョー……わるいお客。足もとを見ればわかる。靴がきたない。
マチコ……予想がアタらなかったといって文句をいいにくる客のこと。別にまた、ヤクマチともいう。�厄待ち�のことか。
オトシ……客が予想を買うことである。�オトシにかかった�というふうに使う。意味はあきらかであろう。
エサ……ナマともいう。金のこと。現金《ゲンナマ》の、ナマなり。
ジミ屋……競馬場で捨てられた馬券を拾い集めてオコボレをしらべる人のこと。おおむねルンペンである。