月 日 朝の十一時頃。おきまりの二日酔いでくらくらしながらも起きだして雨戸を繰り、鳥籠を窓のそとにつるす。ブンちゃんがはしゃぐ声をふとんにもどってうつらうつらしながら聞いていると、にわかに声が騒がしくなり、羽音がにぎやかになった。顔をあげてみてびっくりした。別の文鳥が一羽どこからかやってきて、籠のそとからブンちゃんに話しかけようとしてバタバタしているのだった。
カーテンのかげにかくれて、手だけだして鳥籠を部屋のなかへ入れたら、風太郎は夢中でついてきた。ピシャリと窓をしめ、よろよろフラフラしながらとりおさえて、籠のなかへ入れてやった。たちまちブンちゃんと風太郎は気ちがいじみたデュエットをはじめ、水をはねるやら餌を蹴《け》散らすやらの大騒ぎになった。
杉並区高円寺七ノ八九五、楓《かえで》アパートに小さな奇蹟がとびこんだのです。大いなる存在がフー子とブンちゃんを憐れみ給うたのです。硫酸の大瓶みたいにいがらっぽいこの東京のどこでこれまで風太郎のようなひよわい文鳥が暮してこれたのだろうかと思う。
こんないい運はうっかり身うごきすると逃げてしまうと思ったので、朝御飯も昼御飯もぬきで、ふとんのなかにもぐりこみ、とりとめのないことをいろいろと考えてすごした。
けれど、寝ていては食べられないので、七時に銀座の酒場『プロフンデス』にいやいやの御出勤。
月 日 七月の公演は広末保作『|新版 四谷怪談《うらおもてよつやかいだん》』ときまり、今日幹部会で配役が発表された。伊右衛門は南さん、お岩は月さん。私はお岩に一服盛る乳母の役で、これは色気をちらつかせた、いやらしい悪婆ァ。
婆ァさん役は去年の公演からかぞえて二度目。役は役と承知のうえで演技にこれ勤めはいたしますけれど、三度かさなったら承知しませんよ。いくらなんでも。ゆがみますわよ。
月 日 『プロフンデス』に今夜来たお客さんの一人はナントか会社の顧問。白髪温顔の中老紳士だった。戦時中、ずっと中国にいて、戦後、�戦犯�の一人として抑留されていたことがあるらしい。魯迅《ろじん》の話をしているうちに、どうしたことか、ちっとも酔っていないのに静かに涙を流しはじめたので、うろたえた。銀座の客にもこんな人がいるとはおどろきであった。ダックスフントでもスピッツでもないナントカ種の犬を飼っていたことがあって、中国から帰ってきて家に一歩入ったら何年も別れていたのにワンワンと吠《ほ》えながらとびついてきたのだそうだ。
十一時半にハネる。
地下室で人いきれとタバコの煙りを何時間もたてつづけに吸わされたので、毎夜のことながら、ふとんにころがると、貝殻骨がキシキシと音をたてるよう。これで千五百エンはとてもたまらない。
月 日 『新版四谷怪談』は南北の怪談のパロディーで、筋書からすると女の血なまぐさい執念を喜劇仕立てでからかったものだけれど、正直いって、どことなく作者がほんとのところなにをいいたかったのかよくわからないというところがある。
今日の午後、劇団事務所でいいださんに会った。それとなく疑問をうちあけてみたら、いいださんはいろいろなことをしゃべったあとで、�作者の発想をぼくなりに翻訳しての話だけれど�とマクラをふってから、これは近代をひきずった現代を超克するために前近代を否定的媒介として持ってきた作品ではないだろうかという。七音音楽の限界を突破するためにそれ以前の五音音楽を分析しつくした結果、十二音音楽が生れたということであったけれど、そういうものではあるまいかという。
ますますわからない。
いいださんは評判どおりの大学者で優しい人だけれど、いんぎんな口調のどこかには絶望の気配がフッと、匂う。正体はわからないのだけれど、女の直感というもので、ワカル。
劇団のあと、『プロフンデス』へいく。十一時半にハネる。土曜の夜なのでお客が少ない。半ドンで会社が朝のうちに終ってしまうからだ。ガランとした夜の酒場はなにやらすさまじいもので、すみっこでひとりヴェルモットのオンザロックをすすっていると、水族館のガラス槽の底にすわりこんでいるような気がしてくる。朔太郎だったかしら。夜の酒場の壁には、暗い、大きな、緑いろの穴があるとか。
月 日 一週間ぶりに新宿で彼と会う。四谷怪談の筋書を話したら、たちまち閉口したような顔つきになった。キョロキョロとあたりを見まわして、おれ、アバンガルドは苦手なんだ。子供のハシカみたいなもんじゃないかと思っちまうんだ、悪いけど、といった。
ヌーベルバーグもごめん。アンチロマンもごめん。アンチテアトルもごめん。パリの小屋で見たヨネスコ劇はげらげら笑いのコミックだけれど、その面白さの本質はかけあい漫才の面白さであって、たいへんシャレたものじゃあるけれど、一度でたくさんだと思ったそうである。それを日本の新劇がやっているのを見たら、疎外絶望一点張りのカフカ芝居であったので、またまたグッタリとなったという。そのカフカだって英訳で読んでみたらびっくりするくらいユーモラスなところがあるのに、日本訳だと疎外絶望の一点張りなのでどうしたことだろうと、頭をひねっている。
バカ。
お世辞でもいいからはげましてくれたらいいのに、てんで気がつかない。稽古と公演もふくめて一年たった二十日ほどしか生きない私のことをほったらかして高遠なるギロンにふけっている。
とにかく台本を読んでみてよ、といったら、またキョロキョロとした眼つきになって、あ、読む、読む、といった。
『プロフンデス』は休む。
月 日 お岩の役をする月さんと話をしてみたら、天気晴朗ならず波高しであった。彼女は舞芸から発見の会に合流したひとだけれど、新宿の『ムーラン・ルージュ』で�四畳半子�だの、�月待子�だのという源氏名で出ていたことがある。かたわら早稲田の露文になんとなく籍をおく。�戦後�たけなわの頃には宝クジ売りをしたり、花売りをしたこともあった。心臓がたのもしい。ムーランでは見よう見まねで�ラ・クカラチャ�をうたったり、『チャタレー裁判』なるエロ劇でナレーションを入れたり、泣く泣く半ストをやったこともあるのだそうだ。ムーランはモーパッサンの『従卒』を『湯浴《ゆあ》み』としたり、シュニッツラーの『恋愛三昧』を『好色への招待』としてみたりする小屋だった。
浅草でシミキン一座に入ったこともある。文工隊にとびこんだこともある。相模原あたりに出かけて百姓家の納屋に寝泊りし、お芋やカボチャをお礼にもらって紙芝居をしたり、小学校の講堂で芝居をうってまわったりする。栄養失調にかかって寝こむ。舞芸にもどり花田清輝の『泥棒論語』で新人賞を受賞する。
すこしツキだしてテレビのアテレコに出る。『ウッドペッカー』の声の吹替えで食べる。『カビリアの夜』など、ジュリエッタ・マシーナの神秘的な悲惨、無邪気の声も演ずる。でも、マシーナ役でハマるのはいいけれど映画の本数が少ないので稼ぎにはならないチコよ、という。『ウッドペッカー』の吹替えにしたって、本でいえば再版、三版になっているのに、声税、つまり版ごとの印税は入らないのだそうだ。去年、池袋でバーを開いてみる。劇団の仲間の女のコが応援してくれたけれど、公演の稽古がはじまると散りぢりになり、それにつれて客も散りぢりになり、とどのつまりツブレてしまう。病気にかかり、半年寝こむ。今年になってからは心機一転、�飲む・打つ・買う�の三拍子をテーマにしてみようかと思いたってみる。
あっちこっちそんなにころげまわってきたのに彼女はどこかキョトンとして澄んだところのある童女面で、お酒をちびちびと飲み、なにが入っているのかしら、体の1/3ほどもありそうなスーツケースをひきずるようにして池袋の暗いビルの渓谷のなかに消えてゆく。
月 日 彼と新宿で会う。深くて、巧みで、圧倒的だった。となりの部屋の声が壁ごしに聞えてくる。怒った中年男の湿った声が、ここまで来てなんだ、というと、若い娘が、いや、いや、寄らないで、とひくくさけぶ。はじめのうちは笑って聞き流していたけれど、果てしなくつづくので、やりきれない陰惨さがにじんできた。
「……いやな声だな」
彼は舌うちをしてそっぽを向いた。
月 日 朝の十時頃、ドアをたたく音がするので起きてみたら、カナエちゃんが大工の道具入れのような袋を肩にひっかけていた。くたびれきったミミズクのような顔をしていた。役の発表があって一年ぶりにありついた舞台が、カスんだような端役であったので彼女は稽古にも姿をあらわさず消息を絶っていたのである。
「……どこにいたの?」
お茶をわかす用意をしながら聞くと、彼女はよろよろとたおれるように部屋のなかへ入ってきて、北海道へ遊びにいってたのよといった。釧路のほうへいき、泥水のにじむ草炭の原野をやたらに歩きまわっていたのだそうだ。阿佐谷の路地で、しばらくまえから彼女はお母さんといっしょに小さな喫茶店をひらいたのだけれど、どうにも経営がこれ以上もちきれそうにないので売りにだそうかと決心したのだそうだ。彼女は私のふとんのうえにすわりこむと、夜汽車でくしゃくしゃになった眼をこすりこすり、熱いバターをたっぷりぬったトーストを食べさせて、とか、『島』の北林谷栄はどうしようもなくうまかった、とか、アラスカヘいってエスキモーといっしょにオーロラのなかで暮してみたいといった。
「……どう、ここに寝ない?」
私が誘うと、
「ウン」
彼女はうなずいて、着のみ着のまま、腰まで泥をはねあげたズボンのまま、ふとんのなかにするするともぐりこんだ。そして、眠りにおちこむ一瞬前にひょいと枕から顔をあげて、
「ねえ……」
といった。
「なに?……」
「私、釧路で」
「………」
「遠い沖に儀式を捧げてたのよ」
「………」
気がつくと彼女はもう毛布のなかでリスみたいに体を丸めて、スヤスヤと寝息をたてていた。枕もとにすわってその寝顔を見ていると、流れたアイ・シャドウや煤煙でくしゃくしゃになっているのに膚《はだ》が十八歳の少年のように蒼白く光り、胸をつかれた。
月 日 劇団の幹部会では今度の公演で団員一人に二万エンくらいの切符を切らせようかと相談しているらしい。アタマにきちゃう。本読みしていてもせりふが流れなかったり、きっかけをトチったりして、どうにもいけない。私の心は胃のなかにあるので、ちょっとショックをうけるとたちまち食慾がなくなり、肉がおちてしまう。
大劇団でもお台所は火の車らしいけれど、東京公演してから地方へ持っていくことができるし、労演をスポンサーにつけることができるし、組織をとおして会社や職場に売りこむこともできる。団員一人一人が切符を売ってまわるようなことはもうやっていないらしい。テレビ、ラジオ、映画などにも団員をやすやすと売りこむことができる。
俳優座の人なんかすっかり澄ましちゃって、廊下でプロデューサーとすれちがってもおじぎもしないと聞いたことがある。ゴキゲンなものだから、俳優養成所の入学競争率が三十人か四十人に一人ということになってきて、いよいよゴキゲンである。
けれども私たち中小劇団では話がちがう。まるでちがう。一年に一回、七日間の公演をして、それでおしまいなのだ。あとは男も女も死んだふりをして酒場で働いたり、保母さんをしたり、魚市場で働いたり、ダンプカーの運転手をしたりする。
月さんは酒場をツブスし、カナエちゃんは喫茶店を売りにだす。マスコミに売れる劇団の数は五本の指にも足らず、しかも新劇劇団の数は東京だけでかれこれ八十はあろうかというのだから、私のような暮しかたをしているいい若い女が何百人いることかしらと思う。
しかもあきらめをつけてやめていく人は少なくて、なにやかやいいながらもフラフラ、よろよろしつつ歩いてゆくのである。自分で選びとった道だから誰をうらむわけにもいかないのだけれど、さきのことを考えたら、心も胃もちぢむばかり。ただただ舞台にたって埃と光線と汗のなかでシビれたいばかりに、虚構が現実よりもつよいと知ったばかりに、人まじわりができず、血と肉が青くなってゆく。孤独が眼じりに鳥の足跡をつける。酒場のトイレで鏡にいつまでも見入っていたりして、ふと、死んでやろうかと思う。私なら案外にやれそうだ。ドアのノブをひねるくらいのことのようだ。そのうち、やってみよう。ヤルといったらやりますわよ。
月 日 一時から五時まで本読み。今日の稽古場は豊島公会堂。五時から六時までみんなとペチャクチャ。六時から七時まで銀座を歩く。オート・クーチュールの店(高級衣装店)の飾り窓に眼で穴をあけてまわる。くたくたに疲れ、粉微塵に砕けてしまいたい。歩道ヘネズミのようにつぶれてしまいたい。『プロフンデス』。バカ笑い。駄洒落。がぶ飲み。白い便器の穴をつくづくながめ、�私�は東京湾へ流れていったのだナと考える。太平洋がちょっぴり水かさを増す。壁に暗い大きな、緑いろの穴。ブンちゃんと風太郎は藁《わら》の巣箱のなかでよりそって眠りこける。靴と声が歩道をすべってゆく。あと十五分で十一時半。あのコンニャクたち、螢の光といっしょにさっさと消えろ。