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ずばり東京25

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:    世相に流れゆく演歌師 もう遠い、遠い記憶になってしまったけれど、大阪の縁日の見世物に�カンシャク屋�というものが
(单词翻译:双击或拖选)
     世相に流れゆく演歌師
 
 
 もう遠い、遠い記憶になってしまったけれど、大阪の縁日の見世物に�カンシャク屋�というものがあった。金魚屋や射的屋や植木屋や綿菓子屋などはキラキラ輝き、ブウウウンとうなり、いきいきしていたが、カンシャク屋は澱みきっていて、光もなければ声もなく、匂いもなければ色もなかった。ただいちめんに素焼の皿の破片が散らばっているだけだった。何銭か払って人は幕を張った暗い小屋のなかに入ると、素焼の皿何枚かをもらい、一枚、一枚、発ッ止ッとたたきつけて、小屋からでてきた。
 浅草にもこういう虚無を売る小店があったそうだが、縁日のことを思いだすと、光輝や喜びにまじってきまってアセチレン灯の匂いのような陰惨さがしのびこんでくる。あるとき道ばたで老人の演歌師がバイオリンをひきつつメソメソ、ぼそぼそと、�金だ、金だ�とうたう声を聞いて、子供心に私はふるえあがってしまった。陽《ひ》焼け、酒焼けで顔が渋紙《しぶがみ》色になった演歌師は、よれよれの羽織袴、枯木じみた手でバイオリンをひき、道ゆく人をあざ笑うがごとく、媚びるがごとく、威喝《いかつ》するがごとく、哀訴するがごとく、金だ、金だ、すべてこの世は金だという意味の歌を歌った。
 それを聞いていると、ヤケクソの阿呆陀羅経《あほだらきよう》みたいなメロディーはとぼけ果てたお道化でありながら、どうにもこうにも手に負えないものを含んでいて、私はこわくてこわくてならなかった。夏になると川太郎(筆者注・カッパのこと)が便所の底から細長い手をのばしてお尻をピチャリと撫《な》でよるゾという祖父《じい》さんの品のわるい怪談も気味わるいけれど、この演歌師のたたずまいは、どうにもこわくてこわくてならなかった。
 演歌師のことを調べ歩いたついでに、あれはどんな歌だったのだろうかと思って添田知道氏の『演歌の明治大正史』(岩波新書)を見ると、金の歌は明治にも大正にもある。子供の私が聞いたのは昭和十年頃だから、大正時代のではあるまいかと思う。作詞は奇才、|※[#「口+亞」]※[#「虫+單」]坊《あぜんぼう》である。
 
  金、金、
  金、金、
  金、金だ
  捨児カケオチ
  詐欺人殺し
  自殺 情死《しんじゆう》
  気ちがひ 火つけ
  泥棒 二本棒
  ケチンボ 乱暴
  貧乏ベラボー
  辛抱は金だ
  金だ、本《もと》から末まで金だ
  みんな金だよ一切金だ
  金だ金だよ、此世は金だ
 
 この歌はいまでも通用する。歌詞はなにもかも思いあたることばかりで、捨児、カケオチ、詐欺、人殺し、自殺、情死、気ちがい、火つけ、新しいことのない陽のしたで大地はよごれっぱなしによごれ、いよいよよごれ、私たちは巨大なゴミ箱のなかにすわりこんでいるようである。人の世のつづくかぎり、耳よ、お主《ぬし》はこの歌を聞くべし。
�演歌師�という言葉は演説を歌でやるところからでてきた言葉のようである。自由民権思想を広めるための壮士たちのうたごえ運動から生れた言葉である。オッペケペもダイナマイトどんもヤッテケモッテケ改良せも無茶苦茶だ、わからないも、歌詞に見るかぎりは啓蒙主義運動である。思想を歌で広めることを思いついたのは板垣退助だった。パリヘいって町角で手風琴弾きが歌をうたいつつパンフレットを売るのを見て思いついたのではあるまいかと臆測《おくそく》されている。けれど、演歌がほんとに演歌であったのは明治三十四、五年ごろまでで、それからあとは急速に崩壊、解体、変質しはじめる。この過程はさきの添田知道氏の本にくわしいから、百五十エンだして買って読んでください。これはいい本です。おもしろくてタメになります。それぞれの時代がじつによくわかります。
 いまの演歌師たちはレコード会社のお先棒をかつぐPRボーイであって、流行歌をうたうだけなのだから、演説のかわりという意味で�演歌�ということはできないのである。�演歌�というのは、たとえば、�無茶苦茶ダワカラナイ 腐敗シタ タマラナイ 此頃社会ノ情況ハ道徳全ク地ヲ払ヒ 人情紙ヨリ薄クナリ 怪聞日々ニ絶間ナク 正邪善悪《いいもわるいも》ワカラナイ……�といったぐあいにふんどしをしめあげるものであって、�コンニチハ赤チャン 私ハママヨ�などとキンタマの皺《しわ》をのばして大の男が吠えたてる、これは、なにやら奇怪な、一種異様な、とにかくそのようなモノというしかないのである。だから、夜ふけにギターをかついで酒場から酒場へ歩きまわる人たちはエンカシというよりは、やっぱり、リュウと呼び、流シと呼ぶほうが正しいのだ。
 演歌師が演歌師であった時代には仲間の大道商人から大いに、�先生�、�先生�と尊敬されていたけれど、そびえたって情熱の孤塁を守ってうたう�立チ�から門付《かどづけ》とおなじに流してうたう�流《リユウ》�になってからは、むしろ、ヤクザやテキ屋に使われる身分におちてしまった。
 ヤクザとテキ屋の見わけは、いまでは、とても私などにはつかないけれど、ヤクザであるテキ屋もあれば、ヤクザでないテキ屋もあり、しばしばヤクザであるテキ屋がイチャモンを起すのでヤクザでない真のテキ屋(筆者注・大道商人。大道デパート業者)が誤解の霧にかくされてしまって、たいへん嘆き怒っているのが現状である。
 流しも同様であって、ヤクザであるテキ屋に|使われて《ヽヽヽヽ》いるのもあれば、ヤクザでないテキ屋のところで|働いて《ヽヽヽ》いるのもある。新宿の安田組の事務所へいって話を聞いてみたら、ギターを弾く若者の一人は、親方はヤクザだと自分でいいますけれど僕らは歌の職人ですといった。やがて親方がやってきたのでおなじことを聞いてみたら、オレはヤクザだけれど会員はみんな芸術家なんだといった。この親方は徳田球一にちょっと似た顔をしていて、小指が一本なく、陽気で、大いに気前がよかった。
 この�事務所�というのが、路地の奥の小屋で、『青空楽団』という看板がかかっている。戸口のところに小さなヤマハのオルガンがおいてあるので、どうするのかと聞いてみたら、これでメロディーを練習したり、ギターの弦の調整をやったりするのだということであった。小屋には古ぼけたソファが一つおいてあり、シャツや背広やズボンがいっぱいかかっていて、ギターがいくつとなくおいてあった。壁には名札がたくさんかかっていて、『一班』、『二班』、『三班』……といったぐあいにわかれ、出撃する人は小屋へきて自分の名札を裏返してから出撃するのである。ベニヤ板張りの壁には香《や》具|師《し》の守り神である�神農道�という板額がかかり、また別の額には『会則』があって、すべて会員たるものは仲間の冠・婚・葬・祭にあたっては最低これこれのものをだして助けあわねばならないという意味の文章があって、それぞれ金額が書いてある。
 この『青空楽団』には田舎からポッと出の若者もいるが、もう十四年も十五年も流しをやっている古兵もいる。私のいったときは長崎出身と静岡出身の若者がいた。二人ともギターをひいて歌をうたうのが好きでほかになにもしたくないというので国をとびだしてきたのだそうだ。雨の降る晩はゴム長をはいて傘さしてまわり歩かねばならないのでつらいけれど、あとは好きなことをしているのだから文句をいうことはできないといった。
 聞いてみると、一人でだいたい千曲はおぼえていないと商売はできないという。古兵になると三千曲ぐらいコナすのがいる。二曲で百エン。一晩に十軒から二十軒くらい歩く。ゴールデン・アワーは十時から十一時半頃。出撃はだいたい八時か八時半頃。そろそろ気ちがいたちの脳が熱くなりだした頃を見計らって出撃する。なかには、たった一軒だけの店を持って、その店の専属みたいな形で演奏しているのもいる。昼間は東映のギャング映画で殺され役をやっているのもいれば、ペンキ屋をしているのもいる。ときどき気まぐれな客があらわれて、赤坂の料亭に呼んでくれたり、熱海へつれていったりしてくれることもあるが、そういう上客は稀《まれ》である。十三年この道ひとすじの古兵に聞いてみたら、
「……冬の氷雨の降る晩にですよ、三時間も焼鳥屋の窓のしたでぶっつづけにやらされたことがあるんで、これくらいつらいことはなかったね。野郎は二階でスケと飲んでやがる。それをこちらが雨ン中で三時間もかきたてるという図で、たまったもんじゃねえ。お鳥目《ちようもく》は相当に頂きましたけれど、もうやめだと思いましたね」
 こういう話をしているところへ徳球に似た小指のない親方がやってきて、ビールを私におごってくれ、古兵に、景気のええとこを一曲やってんかと、関西弁でたのんだ。古兵は黄いろい、黄いろい、けれどリンリンと張りもあればツヤもある声で『ソーラン・ヤクザ』を小屋もふるえよとうたいあげ、お粗末さまと会釈して出ていくのであった。
 東京都内だけでざっと千人ぐらいは流しがいるのじゃないかという噂がある。盛り場では新宿がいちばん盛んで、三味線の門付なんかもいれると、だいたい二百人から三百人ぐらいいるのじゃないかという。流しの事務所だけでも三つか四つある。『青空楽団』のようにキチンとしたものもあるが、なかにはヤクザにとけこんだヤクザ楽士もいて、ボッて歩いているのじゃあるまいかという噂もあちこちで聞いたが、たしかめたわけではないので、書くわけにはいかない。
 だいたい一人で千曲はおぼえていなければ商売にならないのだけれど、東京で稼ぐには、流行歌やジャズや映画主題歌や|なつメロ《ヽヽヽヽ》のほかに、旧制高等学校の寮歌、六大学の校歌、それから、近頃の現象ではあるけれど、酔っぱらいのなかにはCMソングをやれといいだすのもいたりするものだから、オチオチしていられない。よれよれの小型の大学ノートに歌詞をぎっしりと目次入りで書きこんでトラの巻にして持ち歩いている流しもたくさんいる。
 その一人をつかまえて、
「あんたのトラの巻だね」
 といったら、
「いえ。お客さんがせりふを忘れてらっしゃるんで、こうでもしないと、いっしょに楽しめませんから……」
 と答えた。
 新宿もさまざまである。
 だいたい私は歌舞伎町界隈、それもほとんど、小さくて暗くてつつましい酒場あたりで溶解する習慣になっているのだが、ここにも流《りゆう》さまたちが一夜に何組もやってくる。
 二人づれの場合は一人がきっと若僧で、先輩がアコーデオンなりギターなりを弾いて歌っているあいだ、たいていブンジャッチャ、ブンジャッチャと合いの手を入れるだけである。アコーデオンを一人で弾く五十年配のおじさまは、戦時中、駆りたてられて、華北、華南の前線を慰問して歩いたという。この人はオジサマ知識人たちに人気があり、『パリの屋根の下』、『狂乱のモンテカルロ』、『かっぱらいの一夜』、『会議は踊る』などの古曲《ヽヽ》にくわしく、『聖者きたりなば』とか『モスコー郊外』などの新曲を注文すると頭をおかきになる。
 このあたりにはたった一人で古曲ばかり弾くバイオリンの老人もいる。『チゴイネルワイゼン』とか『ウンター・デン・リンデン』とか『野バラ』、せいぜい新しくて『チッペラリは遠し』というのだから、高遠な正統派なのである。この老人はいくら年をとっても自分のひく曲に自分から酔ってしまって、蒙昧な客がもうたくさんだ、もうたくさんだと音《ね》をあげても、ひとりうっとりとなってひきつづけるのである。
 通称�小松ッちゃん�というおじさまもこの界隈の一人である。たそがれの上げ潮にのってどこからともなくお出ましになる。いでたちは羽織、袴。草履。バイオリンを黒い布の袋に入れ、一曲やってヨ、と声をかけると、へ、ヘッと不必要にかしこまり、やおらひきにかかるのが、『パリ祭』だの『チッペラリは遠し』よりまだまだ古く、『オッペケペ』であり、『ナッチョラン』であり、ああ、『日清談判破裂して』なのだから、いまや、この人、歌う博物館ともいうべきか。
 名刺をもらったら、肩書に『なつかしのメロディー演|唄《ヽ》(筆者注・歌《ヽ》のまちがいか)四十年芸名小松』とあった。話を聞けば、妻には死なれ、娘には逃げられ、いまや天涯孤独となって夜ごと新宿を放浪し、古い客ばかりをあさって歩く身分だという。※[#「口+亞」]※[#「虫+單」]坊の家の近くに住んだことがあり、石田一松と棒組になって新宿駅前の草ッ原でやったこともあるというのだ。
 十八番は、オッペケペ、ノンキ節、ナッチョラン節、浜町河岸、湯島通れば、日清談判破裂して、行こうかもどろか、それにジンタの�空ニイイ囀《さ》ええずるううッ�などである。
 飲み屋の二階へあがって話を聞いていると、やがておじさんは興奮し、信玄袋みたいな袋から愛器をぬきだして、昔の客は乱暴だが人情深かったけれど、いまの客はおとなしいけどつめたいようだとつぶやきつつ、聞ケッ! とばかりに十八番をひきだしたのである。
 
  社会保障 お頼みします
  清き一票を 捧げた国民に
  最低限度の 生活さえも
  ダメなら これから
  投票はいたしませんヨ
  ハハ、ノンキダネエエエエッ
 
「おっちゃん、いいたいこというやないか」
 というと、小松ッちゃんは羽織袴でヘッヘッと恐縮したように笑い、
「いえ、お粗末」
 きょろりとあたりをうかがってから、ひくい声で、変りゃ変るだけ、いよいよおなじこってサァとつぶやいた。
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