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ずばり東京29

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:    銀座の裏方さん フランス人は酒場のことを�|夜 の 箱《ボアト・ド・ニユイ》�と呼ぶのであるけれど、ギンザは箱屋
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     銀座の裏方さん
 
 
 フランス人は酒場のことを�|夜 の 箱《ボアト・ド・ニユイ》�と呼ぶのであるけれど、ギンザは箱屋の巨大な倉庫と呼んでいいだろう。一国の首都の中心部にこれだけの広さにわたり、これだけの濃密さにおいて、酒場と料理店だけが集っているという例はほかのどの国の都にも見あたらないことである。パリにもないし、ロンドンにもない。マドリッドにもないし、ベルリンにもない。北京にもないし、モスコーにもない。コペンハーゲンのチボリにはずいぶんの数の料理店があるが、あれは公園であり、遊園地である。ウィーンの森のなかにはグリンチングという名の、中世以来ずっと居酒屋だけでできた小さな村があるけれど、数は知れたものである。
 倉庫であってみれば当然それにふさわしい住人がここにはいる。カ、ハエ、ゴキブリ、ナメクジ、ネズミ、なんでもいる。シャム種やペルシャ種の野良ネコも見かける。みんなまるまると太り、テラテラとあぶら光りがし、顔形が変ってしまうくらい栄養がよい。とりわけネズミとくると、その大胆さ、図々しさ、じつにあっぱれなまでのがいる。トイレで雲古しつつ、存在が意識を決定するのであるか、それとも意識が存在を決定するのであるかと私がいちずに考えこんでいたら、お尻のすぐそばをネズミが通っていったことがある。それも一匹じゃない。二、三四つらなっているのだ。家族づれなのだ。腹ごなしの散歩、それもアペリチフつきの夕食をしたあとだといわんばかりのゆうゆうとした足どりであった。あまりに堂々としてわるびれしないので私はズボンをあげることも忘れ、哲学命題も忘れてこの家族が壁の穴へ消えてゆくのを見送った。
(……まるでジャングルだな)
 水洗の鎖をゆるゆるとひきつつそう考えたはずみに、さきほどからの哲学命題が忽然《こつぜん》として解かれるのを感じた。決定するのは存在である。存在が意識を決定するのである。これはもうたしかなことである。これは、あなた、信じていいことですよ。�ユーレカ!�(発見シタ)と叫んでいいことですよ。
 ひとすすり二千エンも三千エンもとるナポレオン・コニャックを提供する箱のなかに、こういう皮肉な叛逆家が平然と暮しているのだからなんとも愉快な光景であるが、ちょっと気をつけていたら、こんなことはいくらでも見つかる。
 ある日の夕方、人と会う約束があったので、ある酒場へ入っていったら、夜のチョウチョウたちがしきりになにか叫んだり、笑ったりしていた。お客の私をほったらかして彼女たちはトイレに出たり入ったりして悲鳴をあげていた。
「どうしたんや?」
「オバサン、オバサン」
「オバサンがきたのよ。借金をとりにきたのよ。月賦の借金がたまってるのよ。だからトイレにかくれてるの」
「ああ、困った、困った。もうトイレはいっぱいだし、あたし、どこへかくれたらいいかしら」
 そんなことを早口にいい迷っているうちに何人かの女はたまりかねたようにドッと店をとびだし、階段をかけあがってどこかへ消えてしまった。
 あとで聞いたところによると、なんでも酒場専門にブラジャーやらパンティやらストッキングなどを籠に入れて売り歩く�オバサン�なるものがあって、客のいない時刻を見て酒場に入りこむ。そして月賦でチョウチョウたちに品を売る。値段はふつうの洋品店とあまり変らないが、パンティ一つでも月賦にしてくれるし、ツケもきくので大繁昌であるという。これが呉服屋である。ほかにオツマミ屋、アクセサリー屋もあって、おなじ要領でゲリラ浸透活動をやっているそうである。女たちはツケがたまったのでライギョにおそわれた池の小魚のように、あわてふためいてトイレに入って内側から鍵をかけたり散歩にとびだしたりするのである。
 ギンザにはこういう裏方さんがずいぶんいる。とりわけ春から夏になると、どこからともなく屋台をひっぱってきて町角にアセチレンの灯をともす。酔ってさびしい男の眼にはなつかしいキノコの群れである。ネオンの荒野の里程標である。�繁栄のなかの貧困�である。取締りがきびしくなると消えてしまうかも知れない人びとなので、いまのうちにと思い、一人一人会ってみた。
㈰トウモロコシ屋 冬は焼イモ屋になる。朝五時に起きて築地の青果市場へ買出しにゆく。家は六郷にあり、屋台は築地にあずけてある。一本が七十エン。三本で二百エン(三本で百エンという屋台もあった)。もう十年もやっている。この商売に入るまえは輪タク屋であった。ギンザで屋台をだしている人には輪タク出身の人が多い。「子供には見せたくない恰好だね。家を出るときはパリッとした服で出るんだよ。家に帰るときもそうする。ちゃんとここにズボンが入れてある」
 屋台のしたをゴソゴソやるので覗いてみたら、ほんと、新聞紙にくるんだズボンがあった。
㈪スズムシ屋 スズムシ。クツワムシ。カンタン。マツムシ。キリギリスなどにまじって、カブトムシもいる。小学校では今年の夏休みの宿題にカブトムシがでたので酔っぱらいのなかには屋台を見たはずみに家で待っている息子のことを思いだすものがある。だからムシ屋としては�外道《げどう》�だが問屋から仕入れてきたという。都内にはムシ専門の問屋が二軒あるのだそうである。いちいち野原へとりにでかけるわけではない。スズムシなどはカメに赤土八割、砂二割入れて飼うのだという。けれど飼えないムシもある。そういうムシは毎年減るいっぽうである。カンタンなどはもう秋田の山奥までいかなければだめである。だから、わざわざ秋田へとりにゆく。
 スズムシはオスだけが鳴いて、メスは鳴かない。オスも日によって鳴きがよかったり、わるかったりする。そこでメスを二、三匹籠に入れ、何十匹とオスの入ってる箱のまんなかにおく。するとオスたちは籠のまわりに集って、オレがオレがといっせいに鳴きたてる。これが屋台をにぎやかにし、酔っぱらいの耳をつかまえるコツなのだそうだ。近頃のスズムシはメスのまわりに群がってハイボールを飲みつつ鳴く癖がある。ハイボールを飲みつつ、スズムシは羽をこすりあわせるばかりか、手をたたいたり、ウインクしたりして床踏み鳴らしつつ合唱するそうである。
 
  幸せなら手をたたこう
  幸せなら手をたたこう
  幸せなら態度で示そうよ
  ほらみんなで手をたたこう
 
 それにしても、一匹五十エンでも、この都の夜の町角で虫を売るというのは、なんと優しいことだろうと私は思う。小さな虫が哀れにもリンリンとした声でいっせいに鳴きたてるのを聞いていると、東洋の感情の優しさにうたれる。こころに水が湧く。眼が青く澄みそうだ。まだこんなことがあったのかと、思わずたちどまる。奇蹟である。季節の上に涼しい仮死をまどろみたくなる。
㈫舶来屋 超一流品をすばらしく乱雑な舞台に並びたてるので奇妙な詩情がある。ライターはダンヒル、ロンソン。香水はゲラン、ランヴァン。ほかにオー・ド・コローニュ、口紅、マニキュア、パイプなど。香港渡来のガセネタ(ニセモノ)ではないかと勘ぐる人もあるが、いまはまずそういうことはない。御徒町、横山町あたりから仕入れるのであるが、この屋台で買物をするコツはなるべく値の高いものを買ったほうがトクをするということ。たとえば表通りの百貨店や高級洋品店では一万六千エンのダンヒルのガス・ライターがここでは一万一千エンで買える。言い値がそれだから値切ればまださがるかも知れない。
「道路交通取締法とかなんとかにひっかかるのんとちがうか?」
「あれは公道にでてはいかんということなんです。よくごらんなさい。これは私道ですよ」
 中央大学商学部卒業だという青年はニッコリ、待ってましたとばかりに大地をさした。なるほど彼の屋台はビルの入口の二メートルほどの凹みにぴったりとくっついていて歩道にはみだしてはいなかった。
㈬タコ焼 一串三コで二十五エン。冬はよく売れるのでサービスして一串二十エンにする。一晩に七百五十コから八百コほど売れるそうだが、夏はだめだという。今年の夏はとくにいけないようだという。
「七十日しんぼうしたらつぎの波がくるっていうんだが、どうも先行暗くってなァ。ケ・セラ・セラよ」
 おっさんは汗みずくでタコ焼を焼き、汗ともハナ水ともつかないのを手の甲でふきながら、じつに壮大、かつ突飛な詠嘆をつぶやくのであった。
「なんしろよ、この七月ってやつはアメリカの会計年度の変りめだからよ。だからよ、いよいよ不景気なんだよナ」
 こういう警抜な景気観測には出会ったことがない。アメリカの会計年度の更新がギンザのタコ焼の売行きにひびくというのだ。極大と極小をつなぐこのすばらしい想像力を見よ。日本の資本主義はそこまでアメリカに抱きこまれてしまったのであるか。
㈭ケツネウドン 一杯八十エンである。夏で一日に百杯、冬だと二百杯ぐらい売れるという。ダシ、湯掻きぐあい、オボロコブ、油揚げの煮しめかげん、まずは純正関西ウドンである。申し分ない。けれど私はイヤなものを感ずる。�|けつね《ヽヽヽ》うどん�という看板がイヤなのだ。もう大阪ではみんな�きつね�と呼んで、�けつね�と呼ぶのは一人もいないのだ。だのにわざわざ�けつね�と看板に書くところ、なにかしら神経を逆撫でされるような気がする。粋がって化けそこねているのだ。イヤ味というものだ。
㈮甘栗屋 問屋から買ってきて売るのであるけれど、売上高によって日給に歩合をつけてもらう。だから、日によって三百エンの日給のときもあれば三百五十エンのときもある。二千エンから三千エンぐらい売ると四百エンの日給になることがあるが、夏は思わしくないという。
㈯花売り カーネーション、原価は一束五十エンのを百エンに売るが一晩に二十束売れたらいいほうだという。今年はどうもよくないようだと、ここでも不景気の嘆きを聞かされた。いっそダンゴ屋に転向しようかと思いたくなるくらいなのだそうだ。
㉀靴磨き 胸に番号札がついているのは警察の登録番号。一人五十エンで、だいたい一日に三十人から五十人。場所は警察がきめてくれ、縄張りというようなものはとくにない。お婆さんの一人に話を聞くと、昼の暑いときは喫茶店かビルのかげにゆく。ドアがあくたびに冷房の風が吹きだしてきていいぐあいなのである。冬は日だまりを追って一日のうちに何度も移動する。客がないとすわったまま居眠りをすることもある。雨になるか曇になるかは、空を見なくても道がチクチクと関節に教えてくれる。
 もう十四、五年ここで靴を麿いてきたという一人のお婆さんは、ひどく陽気な声で、まっ黒な顔を皺《しわ》だらけにして、
「……はずかしいからやめろやめろって息子がいってくれるけれど、|あたし《ヽヽヽ》が働くのをやめたら老けこむだけだからね。婆さん婆さんになるのはイヤだからね。そうでなくても日本の女は老けやすいって悪口をいわれるんだから、まだまだ|あたし《ヽヽヽ》はやるつもりなんだ」
 カラカラと笑ったところ、背骨はエビのようになったが精神は大いに活性状態にあった。
㈷似顔画 ふつうだと二百エンだが、精密に描いてもらうと三百エンである。外人客用に英語で "Precision ¥300.─" とも書いてあった。一晩に十人ぐらい描いたらヘトヘトに疲れる。デッサンの勉強だと思うことにしていると、その中年のベレ帽氏はつぶやいた。
 一枚描いてもらったが、出来はあまりよくなかった。しかし、パリのモンマルトルの丘にたむろする似顔画描きの、お話にならぬぶざま、ぞんざい、下手くそぶりにくらべたら、だいたい日本の先生たちのははるかにうまいようだ。
「……これでも本業のほうはアンデパンダンに二度出たことがあるんですよ」
 ベレ帽氏は画用紙のすみにサインを入れながらつぶやいた。
㉂サル屋 屋台に手乗り文鳥やカナリヤなどをのせて売り歩いている。すばらしくかわいい生後六カ月のタイワン・ザルも一匹いた。ほんの赤ン坊なのに、ひどく老けた顔をし、大きな目玉には七十歳の悲観主義哲学者のそれに似た知恵と諦念の秋色が澄んでいた。これに金太郎の前垂れか陣羽織を着せて、夜なかに私が�おい、金太郎酒持ってこい!�と叫んだら、黒い皺だらけの手でグラスと瓶を抱きかかえてヨチヨチいちもくさんにやってくるというようなぐあいに仕込んだらどんなに愉快だろうと思ったが、一万八千エンだと聞かされてはどうしようもない。
㉃手相見 見料は三百エンから五百エンぐらい。一晩に客は七人か八人ぐらい。ギンザに二十七人か八人ぐらいいるという。�見る�コツは�喋《しやべ》る�コツにあって、科学的、直観的、ロマン的、教師的、漫才的、感傷的と、テはいくらでもあり、どれを使ってもよろしいが、グサリと客を刺して致命傷になるようなわるいことをいってはいけない。なにしろ魂の技師なのであるから機械が止ってしまうようなことをいってはいけないのである。そこで私の手相を見てもらったら、金運、女運、出世、健康、名声、税金、交通事故など、すべて�よくもなく、わるくもなく、なにごともまあまあの無事の人で、努力一途に賭けなさい�とのこと。つまり、鳴かず飛ばず、沈香《じんこう》もたかず屁《へ》もひらず、ただまじめにコツコツと働きつづけなさいという。それで何歳ぐらいまで生きるのだと聞いたら、�まあまあ七十歳でしょう�と答えた。
「つまらん人生やないか!」
 というと、
「怒らない、怒らない」
 と答えやがった。
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