横田基地は東京の西にある。
二つの市と四つの町にまたがっているが、基地は規模と設備において�東洋一�なのだそうだ。タワーやボウリング場や競技場やニワトリ工場など、都には�東洋一�がたくさんあるけれど、米軍基地もまた�東洋一�なのである。そしてこの基地は戦闘基地である。練習機、輸送機、爆撃機、戦闘機などあらゆる種類の米軍飛行機がいる。
わけてもF105D戦闘爆撃機、騒音がすさまじいので�サンダー・チーフ�(雷の親玉)とアダ名されるジェット機がいるが、これは�水爆積載用�とされている。音より速く飛び、マッハ二・五である。もし日本が原爆攻撃をうけるとしたらこの基地がまっさきに狙われ、東京は一瞬に粉砕されるであろう。東洋で一番に死ぬであろう。
基地内の動きは米軍の機密に属することだから日本人には何も知らされないのだが、このあたりに住む人は音を聞いただけで何型が何機だということをピタリといいあてることができる。音がすさまじいからいっぺんにわかってしまうのである。それも毎日毎日、朝となく夜となく聞かされるものだから、音響測定器のように正確になった。
滑走路のそばの雑木林のなかで昭島市役所の人が測定器で騒音を測っていたが、土地の人はF105が頭上を擦過《さつか》するのを待ってから、
「いまのは百二十五ぐらいでしょう」
といった。市役所の人が測定器を覗くと、百二十八フォンであった。よこで見ていた私はその正確さにすっかりびっくりしてしまった。
町の人の話によると三月頃からF105がしきりにやってくるようになったそうである。九州の板付基地からくるのだそうである。七月はじめにそれが完了した。三編隊、�数十機�に達する。ところがその頃からヴェトナムが火をあげはじめ、基地の飛行機の動きがはげしくなり、夜もおちおち眠れなくなった。新聞でどこかに火があがったという記事を読むとすかさず飛行機が飛ぶ。ときには新聞より早く知ることもあるのだそうだ。前夜ドンドンバリバリを聞いたのでくさいぞと思って朝刊を読むと、きっと何か記事になっているのだそうである。最近ではトンキン湾事件。八月四日に事件発生の報道を新聞で読んだと思ったら、早くもその翌日の未明におよそ二時間にわたって狂騒がつづいた。
「……F105ですか?」
「いや、ちがいます。あれはC135です。輸送機ですね。音でわかります。ものすごい騒ぎだったので耳をおさえてるのがせいいっぱいでしたが、相当な数が飛んでいきましたよ」
「いまでもF105は飛んでるんですか?」
「数はまたグッと減りましたが毎日飛んでますよ。待ってごらんなさい。すぐきます。べつにスパイしなくたって向うが教えてくれるんです」
滑走路のそばの家にあがってカルピスを飲んでいると、来た。地鳴りがすると思うまもなく、キーン、ゴーッ、グヮン、ドン、ドッドッドッドッ、ズズズズズーン。屋根がゆれる、壁がゆれる、畳がゆれる。脳膜をハンマーでなぐられたみたいだ。苛烈。無慈悲。正確。徹底的。神経をひきちぎり、はらわたをゆさぶり、響きは体内で飛散、激突、乱反射する。いまにも家へ突入してきそうなのだ。ドラム缶に密封されて無数のハンマーで乱打されてるみたいなのだ。たちあがる力もない。ただワーッと叫びだしたいだけである。十九年ぶりに機銃掃射や、焼夷弾や、爆発音を思いだした。�戦争�を味わった。少年時代を舐《な》めた。
「……いくら説明したってわかってもらえないんです。ここに住んでみなけりゃわからんのです。ちょろっと来てちょろっと記事を書いてもらったって、とうていわかるもんじゃないですよ」
集団移住運動をリードする河野良機氏はカルピスをすすりながらそういった。この人は自民党の昭島支部の支部長で、地元、堀向《ほりむこう》地区の騒音対策運動、F105Dの移駐反対運動を導いている。
響きは何を生むだろうか?
人体が耐えられる音響の限界は百三十フォンだとされている。銀座の騒音は七十フォンから八十フォンである。F105Dは百二十から百三十フォンである。それが朝となく昼となく、深夜でも未明でもおかまいなしに、予告せずに飛ぶのである。この地区に住む豊泉医師に聞いてみると、近頃めっきり心悸昂進症や高血圧や、不眠症、神経衰弱などが増えたそうである。原因のわからない病気も増えた。赤ん坊がひきつける。眠れないのでイライラする。夫婦喧嘩が多い。家にジッとしていられないので共稼ぎに出て時間をつぶす。幼稚園、小学校、中学校では勉強ができない。学力が低下して上級校への入学率がおちた。大声で叫ばないと話が通じないのでこのあたりの子供は粗暴で、歌が下手になった。日光へ修学旅行にいったら旅館の主人に何と喧嘩好きな学校だろうといわれた。ふつうに話をしているつもりが喧嘩みたいに聞えるのである。
病院から病人が逃げ出す。高圧線のふるえるのが見える。やくざな壁だと土がおちる。瓦がゆるむ。台所の皿がずれておちる。ラジオは聞えない(四月から無料になる)。テレビが見えなくなる(半額になる)。電話が聞えない。つい叫ぶので怪しまれたり、誤解されたりするし、通話に時間が倍以上かかる。子供が本を叩きつける。幼稚園の子供が道を歩けなくなる。坪三万エンの土地が九千エンでやっと買手がつくかつかないかというぐらいである。北海道の旭川方面ではウマが基地の狂騒のために死産したり、流産したり、奇形児を生んだりする。防衛施設庁が、�人体についての結論は出ていないがニワトリの場合は影響はないようだ�と答弁したので人びとは火のように怒った。
この地区で十八年間養鶏業を営んできた伊藤氏にこの点を聞いてみると、ここで生れたニワトリなら卵を生むが、ためしによそから生後二カ月のを十数羽つれてきたところ、餌を食べることができなくて死んでしまったり、生きのこっても卵を生むことができなかったそうである。ここで卵から育ったトリも卵を生むことは生んでも爆音であばれるものだから、おちて割れてしまうので、馬鹿にできない損害がある。廃鶏をトリ屋に売ろうとすると、チョウマン(筆者注・腸満? 脹満?)になっているのが多いので値はボロクソである。チョウマンというのは腹のなかに水のたまる病気である。なぜジェット機が飛ぶとニワトリの腹に水がたまるのであろうか。伊藤氏はよく考えて慎重に言葉を選びつつ、この奇現象をつぎのように説明した。
「……科学的に研究したわけではないんです。しかし私の考えではこうなるんじゃないかと思ってますよ。つまり腹のなかに卵ができかかったところヘジェット機が来るとニワトリはおびえる。おびえると腹がしまり、腸がしまって卵がつぶれる。すごい音なんですから、卵だってつぶれますよ。それを繰りかえしているうちにニワトリはチョウマンになるのじゃないでしょうか」
ほかにここのトリだけがチョウマンになる原因なり飼育条件なりはいっさい皆無なのである。廃鶏を買いにくるトリ屋も首をひねっているそうである。
銀座がやかましいとか、ロマン派音楽がやかましいなどという性質のやかましさではない。ここのは慣れることのできないやかましさなのだ。毎回毎回耳をふさぎたくなり、とびあがりたくなるのである。その狂騒の圧力は肉と心に殺到する。いまにも体が四散しそうな苦痛と、いまにも飛行機が墜落するのではあるまいかという恐怖である。
げんに四月五日には都下の町田市におちているのだ。この堀向地区で集団移住運動が火をあげだした直接の動機はその墜落事故である。なるほどF105Dは二十世紀の精密科学の粋を尽して作られたものではあろう。けれど正確にうごく機械は正確に故障するという鉄則もあるのだ。離陸直後のこの飛行機が滑走路から四百メートルしか離れていない堀向地区の人家密集地につっこんだらどうなるか。その苛烈《かれつ》な精力と速力のままに地表をかすめたらどうなるか。二百戸ぐらいの人家はたちまち飛散するのではあるまいか。朝鮮戦争当時、"Shaving Bomber"(筆者注・ヒゲソリ爆撃機)という言葉が使われたことがある。ヒゲを剃るようにキレイさっぱり、ごっそりと地表を火で洗う爆撃機のことである。
マッハ二・五の剃刀《かみそり》がちょいと高度を誤って人家をかすめたらどうなるだろうか。しかもこの飛行機は過ち多き人間によって操縦されているのである。
雑木林のなかにある導入灯のところで見ていると巨大な鉛筆は真正面で離陸し、ほとんど電柱すれすれと見えるばかりのところをかすめていった。
「……人家の屋根とあの飛行機の間隔はどれくらいですか?」
音響測定をしている市役所の人にたずねてみると、
「五十メートルか百メートルぐらいじゃないでしょうか?」
疲れた顔によわい、かすかな笑いをうかべて、その人はそう答えた。
「もっと高く飛べと米軍に抗議しないんですか?」
「とっくに抗議して協定までもらってあるんですが、いつとなくこうなってしまうんです」
「アメリカ本土でもこうでしょうかね?」
「よくわかりませんが、F105は本国では飛ばないといううわさを聞きますね」
ジェット機だけでなく、狂騒はほかにもある。夜間飛行の際の導入灯の閃光と地上でエンジン・テストをするときの響きである。エンジン・テストは狂騒が二時間も三時間もつづく。基地司令部に抗議したら消音装置をつくるという返事があり、いまはテストしてるのかどうかはわからないが、ここしばらくは鳴りをひそめているようだという。導入灯の閃光も点滅の瞬間瞬間、響きとは少し性質がちがうが、おちおち眠れない恐怖が起るそうである。
アメリカの最高裁では空港の騒音に耐えかねた市民の訴えを正当なものと認め、勝訴にした。責任は該当の当局にあるから損害賠償をせよと、断を下した。東京高裁では昭和三十七年におなじ判決を下している。アパートに住んでいた商業図案家が階下の印刷工場の騒音で神経衰弱におちこんだのである。その提訴を高裁は、社会生活上がまんすべきであると思われる範囲をこえているので、この生活妨害に対して印刷会社は賠償を払う義務があるという判決理由で、支持し、肯定した(昭和三十七年五月二十六日)。
日米行政協定によって基地の責任を負うのは日本国政府だということになっているが、防衛施設庁東京施設局というところへいって聞いてみると、前例がないのでどうしたらいいか困っているという。問題の堀向地区は昭和飛行機という会社の土地であり、社宅であるので、その所有主の昭和飛行機が申請してきたら問題はないのである。板付や厚木の基地周辺の農家に対してはそうしたのである。けれど、借家人が移住のための損害賠償を請求した例はいままでにないのでどうしたらいいかわからないのだ、という。キメ手になる点はそういうことらしいのである。そこで昭和飛行機へいって意見を聞いてみると、政府から何の話もないので正式に検討したことはないのであるが、�前例がないから�という理由だけでソッポを向くのはけしからん。板付や厚木の場合でも前例はなかったではないか。あのときのように閣議にかけて新しい事例を作ればいいではないか。会社《うち》だって社員でもない人が社宅に入っているのだから移って頂けるようなら、これにこしたことはないというところなのだという。キメ手になる点はそういうことらしい。
「基地周辺の地域経済、地域財政などの大きな問題を根本的に解決するには、�基地周辺民生安定法�を作るなど政府に基地政策を大幅に改善してもらうよりない」
小野防衛施設庁長官はそういう意見を述べたという。ところがこの�基地周辺民生安定法�なるものは三十七年の暮れに関係閣僚懇談会で�財政上困難�という理由でつぶれてしまったのだそうだ。�世界史に例のない高度成長の奇蹟的繁栄�を謳歌《おうか》している大国にしてはフにおちないことである。オリンピックをやったり�夢の超特急�を走らせたりする国が人間を剃刀飛行機にさらして平気でいる。馬小屋にグランドピアノをすえつけるようなものだと、ある人が新聞に�夢の超特急�のことを書いているのを読んだことがあるが、奇怪なことである。
「飛行機があるかぎりジェット機は飛びます。米軍だろうが、自衛隊だろうが、日航だろうが、誰が来ても騒音はあるんです。だからどこかへ逃げることだけが私たちの目的で、いつ実現されるかわからないような基地反対というようなことをいってるのではないのです。今日明日にも逃げたい。それだけでせいいっぱいなんです」
町の人はみんなそういう。東洋一のうごかない航空母艦から一にも二にも逃げだしたいのだ。逃げても果して逃げたことになるのかどうかはわからないが、とにかく今日生き、今夜眠るために逃げだしたいと、千人をこえる人びとが耳に指つめてうずくまっているのである。けれど、いつ、利害の苛酷な網の目からぬけでられることなのか、声と怒りをこえる日付の数字は何一つとしてない。
町をのろのろ歩いていると花輪をいっぱい飾っている店があったので、覗いてみたら、スーパーマーケットであった。改築開店だという。この店は集団移住に反対なのだそうだ。地獄の釜のふちでも商いをしようというのだからたのもしいかぎりである。みんなが逃げよう、逃げようと必死になっているのに、インスタント・ラーメンはうまいゾといってるのである。なんとも人間は手のつけようがない。考えあぐねた。