感傷がほしくなったので縁日を覗きにいった。巣鴨のとげ抜き地蔵の縁日と水天宮のそれとである。先日、「銀座の裏方さん」と題して銀座裏の屋台をたずねて歩いたときに、スズムシ屋の屋台まで来て、よごれた重湯のような蒸暑い夜の底で何十匹という小虫がいっせいに羽根をふるわせている響きを聞いて、胸をつかれた。これは「自然」の不意打ちであった。まだこんなものが残っていたのかと、たちどまらせられた。
「季節の上に涼しい仮死をまどろみたい」
などとキザな文章を書いてしまったけれど、正直いって、とつぜんわきのしたとか、足のうらなどという場所をくすぐられたような気持がしたのである。まったくのところ、スズムシ屋の屋台ほどあわれにもリリしく、リリしくもあわれなものはない。�商売�としてそれがあるのだということを私はしばらく忘れた。いや、こんなものを�商売�としてやっていかせてやる、人びとの心の一隅にのこった感情の優しさに、だらしなく自分をほどいてしまったのである。
虫を買ってその声を聞いてたのしむというようなことが外国人には理解できるだろうか。ちょうどパリからジャック・ピエールという若い映画監督(その名の馬糞的普遍性から、�平凡太郎�というアダ名をつけてやった)が、記録映画をとりにきていたので、ためしにとげ抜き地蔵の縁日へつれていってやった。太郎は物珍しげに眼を輝かせて人群れや屋台を覗いてまわり、�セ・ボン�といったり、�オ・ラ・ラ�といったりした。けれど、植木屋の集りには美しい注意を集中して小さな叫び声をあげたが、スズムシ屋の屋台には何も関心を示そうとしなかったようである。
私は下手クソきわまるフランネ(筆者注・日本式フランス語のこと)を駆使して虫の声を聞いてたのしむことは本邦において永い伝統を持つ感情であることをいろいろ説明したが、金髪の平凡太郎は黄いろいまつ毛をパチクリさせて、�ウイ、ウイ�といったきりであった。
�自然�については分れることが多いようである。
あるときオックスフォード大学から日本の新劇を勉強に来ているブライアン・パウエル君を新劇の稽古場へつれていったことがある。『新版四谷怪談』といって南北物のパロディーをやっているところだった。鰻掻《うなぎか》きの直助が隠亡《おんぼう》堀で鰻を掻く場があり、音響効果をだすためにカエルがケロケロと鳴いた。するとパウエル君は顔をあげ、
「あれは何だ?」
「カエルが鳴いてるんだよ」
「カエルはあんなふうに鳴くのかね?」
「そうだよ」
「生れてはじめて聞いた」
「イギリスのカエルは鳴かないのかね?」
「鳴きませんね」
パウエル君がハッキリそういいきったので、おどろいた。イギリスにはフロッグもいるしトード(筆者注・ヒキガエルのこと)もいるけれど、鳴いてるのを聞いたことがないというのだ。生れてから二十何年間、とにかくカエルの鳴声を聞いたのは、あとにもさきにもこれがはじめてだというのである。真顔でそういうのだからほんとにイギリスのカエルは鳴かないのかも知れない。
これからイギリス文学を読むときは自然描写によく気をつけて、カエルの鳴声が登場するかしないかを注意してしらべてみようと思う。それにしても奇妙なことだ。イギリスのカエルはだんまりのままで恋愛をするのだろうか。いくら鈍くて重い紳士の国だからといって、カエルまでが真似をすることはないじゃないか……
さて。
東京では縁日がどんどん減りつつある。昔の三分の一ものこっていないだろうという。のこっている縁日も昔とくらべたらお話にならないくらい変ってしまった。辻講釈《つじこうしやく》、大道芸人、演歌師、ヘビ屋、ガマの油売りなどといった諸師がことごとく消えてしまった。なけなしの狡智《こうち》をしぼって雄弁で洗いあげる、あのさまざまなペテンのマブイ(筆者注・頭がいいの意)夜の町角の巨匠たちはことごとくどこかへ姿を消してしまった。とげ抜き地蔵の縁日の親方、�谷中三寸七代目�と座敷に額をかかげた馬場徳太郎氏に会って話を聞いたがさびしいこと、さびしいこと。
「……ヘビだの、ガマだのって時代じゃないんですよ。今は堅い物でなきゃ売れない時代なんですね。植木だの金魚だのは昔と変りませんが、インチキはだめなんです。商いにならない。原爆だのテレビだのって時代にガマの油でもないでしょう。いまの縁日はネタの仕入れも普通の商店街とおなじところから仕入れてくるし、利益も二割から二割五分ぐらいで、全く変りはないんです。ただ店が移動するかしないかというだけの違いですよ。お祭そのものが少なくなったし、町に空地がなくなって縁日をする場所も少なくなったし、全体、ゆとりがなくなりましたね。商売も堅いものを正直一途に売るよりないんで、全体、手堅いといえば手堅いんですが、面白味というものはない」
どうやらこのあたりで聞くと、巷の白鳥たちが声を失い、姿を消したのは�近代化�のせいのようである。そして�近代化�とは、利口で、正確で、ゆとりがないということらしい。寛容とか、即興とか、想像力などというものは追放されるらしい。
昔、私は、子供のとき、縁日で奇妙なものを見たことがある。薄暗いところにバケツが一個おいてあるのだ。黒い水が入っている。セルロイドの舟が浮んでいて、ヒョコヒョコとうごいたり、止ったりするのだ。樟脳《しようのう》のかけらをつけてミズスマシのようにスイスイ、クルクルとうごく舟があるけれど、あんなうごきかたではないのである。うごいたり、止ったり、もぐったり、浮んだりするのだけれど、気まぐれである。近代的に申せば、その動力源が不可解なのである。いや、動力源が全く発見できないのに動態を呈示する不可解さなのである。
おっさんは十銭だすと、セルロイドの舟と紙きれをくれ、この紙きれに秘密が書いてあるから家へ帰ってからあけて見なさいといった。いわれるままに家へ帰ってからあけてみたら、紙きれには、ひとこと『どぜう』(筆者注・ドジョウのこと)と書いてあった。どうやらドジョウを糸でくくり、そのはしを舟に結んだものらしかった。バケツの水が黒いのは動力源をかくすためなのであろう。きっと墨汁か何かを入れたのにちがいあるまい。アハハハァと笑って、それっきりであった。シテヤラレタと思ったが、感心して寝てしまった。
いま私は大人になって正確さを愛する近代人になったので考えてみるのだが、ドジョウはたえまなく水面へあがってきてはパクリ、ピチャリと跳ねる癖があるから動力源の秘密はすぐにバレてしまうはずである。けれど、あのバケツのなかでは舟がビッコの踊りを踊っているだけだった。ドジョウは跳ねていなかった。ひょっとするとそのころドジョウは非近代的だから正確などというケチなものをきらって、本能や性質を気まぐれに曲げる自由を持っていたのかも知れない。いや、きっとそうである。それにちがいない。
ヘビや、ガマや、ドジョウなどはとげ抜き地蔵にも水天宮にもなかった。金魚すくい、植木、綿飴、お好焼、スズムシ、水中花などは昔のままだった。バナナ売りがいるにはいたが、吠えずにひっそりしていた。古着屋もいたが、昔みたいにタンカを切って楽しげに客を罵ったりなどしなかった。どの屋台も明るく電灯をつけ、ひっそりして、おとなしくて、行儀がよかった。誰ぞ反逆してもよさそうなものじゃないかと一つ一つ覗いていったら、三人ほど見つかった。表札を彫るおっさんと、布袋《ほてい》の置物を売るおっさんと、鼻の穴に筆をつっこんで字を書くおっさんである。
表札屋は看板をかけ、何もいわずにただ黙りこくってノミをうごかしていた。『表札 一刀彫 右甚五郎 約五分間』という看板である。ぶすッと黙りこんだままノミをうごかしている。なるほど手もとをみたら、右ききであった。
布袋屋のおっさんは鉄製の布袋の置物を売っているのであるけれど誰も見物人がいなかった。いったい誰に買わそうとして今時、布袋の置物などを売る気になったのだろうか。着想はなんとも非凡なものではあるけれど、非凡だというだけであって、どうしようもない。しばらくたって見ていたらお婆さんが一人やって来た。おっさんは汗をふきふき、大阪弁で口上を述べにかかったが、ヤケ気味らしくニンマリと猥雑な永遠の微笑を浮べている布袋をピチャピチャとたたき、
「ええもんでっせ」
ぼそっとつぶやいた。
「こわれへん。みがいたら光るわ。一生のトクや。いつまでもおんなしや。みがいたら光る。ええ布袋さんや。ほかにフクロクジュもあるで。ビシャモンテンもあるわ。七福神みんなあるねんで。エベッさんも、ダイコクさんもあるでぇ。買うてんか……」
おっさんはそこまで口上を述べにかかったが、ちょろりと婆さんを見たところ、買う気も見る気もなしにただしゃがんでいるだけとわかったので、腹をたてた。
「向ういってんか。買えへんねんやったら見んといて。見られたら減るわい。いくら鉄でもただ見されたら減るわい。向ういってもらおうか」
子供みたいなスネかたをして黙りこんでしまった。
雄弁をふるって�近代化�に抵抗を試みているのは奈良から来たという筆屋のおっさんである。このおっさんは筆を口にくわえたり、鼻の穴につっこんだり、耳にはさんだり、三本一度におでこへ手拭でくくりつけたりして字を書きつつ口上を述べて、シカやリスの毛でつくった筆を売るのである。声はしゃがれ、顔は陽に焼けて、皺だらけであるが、達者そうな老人であった。口上はなかなかいいことをいう。
「日本人九千万人もいるがこんことできるのはわし一人や。近ごろの子供は字が下手クソで見てられへん。字は心で書くもんだっせ。ええ字を書くには静かな心で書かんとあかんわい。マッカーサーが習字をやめさしよってから日本の子供は心が荒《すさ》んだ。小学四年で習字をはじめるが、一回四十五分、一年にたった二日分しかしよれへん。それを四年。二カケル四は八や。たったの八日間や。それからあとはもう筆なんか見向きもしよれへん。ツイストやとかいいよって筆ふらんとケツばかりふっとる。ああ、いかん。こういうことではいけません。字を大切にせえへん民族は滅びます。日本人はもっと字を大切にせんとあきまへん。静かな気持で、ええ字を書いて、静かァな日本をつくってもらわなあきまへんで。わしの願いはそういうこっちゃ。これはシカの毛でつくった筆や。六百エンのが二百エンや。中筆、細筆、いろいろあるわ。みんなオマケでつけたげる。〆めてたったの二百エンや。ああ、字を大切にせえへん民族は滅びるでぇ。滅びる、滅びる。ええ、滅びます。わしゃ心配でならんわ。どや、この字。ええ字やろ。逆に書いたら読めんやろが、�瀧�という字や。裏から見たらそう読める。つまり裏見の滝ちゅうもんやな……」
ジャック・ピエールがカメラマンをつれてどこかへ消えたので私は気ままにお好焼を頬ばりながら屋台を覗いて歩く。もう縁日に来るなどということは何年となく忘れてしまっていたことだった。いくら�近代化�されても、やっぱり縁日は縁日である。下駄の音を聞き、スルメの匂いをかぎ、浴衣におされて歩いていると、心がほどけ、水が湧《わ》いてくる。
金魚はさまざまな色の布ぎれを水槽にちりばめたようだ。軒しのぶや、万年青《おもと》や、杉苗などは水滴をキラキラ輝かせてあたりの空気を青くしている。伊豆大島の椿の実に名前を彫りこんでもらう少女たちがいる。綿飴がぶんぶんうなる。私の子供のころには家へ持って帰るとすっかり小さくなるので�お化け飴�といったけれど、いまはビニールの袋で包むからいつまでも大きいままなのだ。
糊のきいた浴衣を着せてもらって男の子は黒い帯をしめ、女の子は赤い帯をしめている。スズムシの声が理解できないピエール夫妻も浴衣の美しさは一目で理解できたようであった。パリの百貨店で売っているのを見たときはそれほどにも思わなかったが、夜の町の光の流れのなかを何百人、何千人と群れをなして浴衣姿の男女が歩きさざめいているのを見たら、すばらしさがわかったというのである。素材そのものの美に魅せられる日本人の審美眼の高さにうたれたというのであった。
「君はどうして家のなかだけ浴衣を着て、外では着ないのだ?」
「浴衣を着ると働けない。浴衣は空白の時間の衣装である。私たちは東と西を使いわける。ときどき複雑である。けれど芸術は忍耐を要求するのである」
「ア、ボン!……」
軒しのぶを手にぶらさげて笑いさざめきながら歩いてゆく少女のうしろ姿を見ていると、どうしようもなく私は優しさでほどけ、やわらぎ、なつかしくなってくる。そして、ふっと、人間が愛せそうだというような言葉がうかんできたりするのである。
けれど、どういうわけだろうか。すぐにまた、つめたくて、堅い、ぎごちない、暗くて荒んだ気分を求めて、裸になったばかりの心へ手袋をかぶせてしまいたくもなるのである。永く持続しないのである。警戒し、疑い、寸断され、破片になり、こわばりたがる。いやらしい、みじめな、小さな心を恥じるのだけれど、どうしてか、いつもトゲや殻をかぶりたがる。