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ずばり東京33

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:    �死の儀式�の裏側 今回はいささか死とたわむれたい。じっさいここ一年、わが東京人たちの奇怪にして多様なるアメーバ
(单词翻译:双击或拖选)
     �死の儀式�の裏側
 
 
 今回はいささか死とたわむれたい。じっさいここ一年、わが東京人たちの奇怪にして多様なるアメーバ運動とつきあって、私の脳は生の熱気にみたされすぎた。ブンブンうなり、ムチャクチャに走り、クタクタに疲れた。
 ソドム、バビロン、唐朝末期も顔負けのこの混沌の熱病に犯された脳を冷やすには、死の観念を導入するのがいちばんであろう。死の共和国のヴィザはその徹底的な即興ぶりと、平等さと、無慈悲な透明さにおいて万人の尊敬と恐怖を得ている。死を語るとき、人びとのまなざしと口調にはいっさいの悩ましき矛盾をこえた諦観の清水が湧き、一種の超越感が身ごなしにあらわれて、みんな哲学者か紳士みたいになる。
 死を擬したときにしか、そういう慎《つつ》ましやかな寛容の真空状態が発生しないというのは、なんとも私たちの無明《むみよう》、餓鬼道の果てであるけれど、どうしようもない。徹底してえらい人は徹底したバカに顔が似てくるということもあって、いよいよ私たちの揮発性の知性は肉体をとらえることができなくなってくる。
 アメリカの葬儀屋が上陸して葬式の月賦販売をはじめたというのである。名前は、�ジャパン・メモリアル・ライフ・プラン・リミテッド�という。事務所へいって�販売部長補佐�の人に名刺をもらったら横文字とカタカナでそう書いてあって�JMLP�と略称も刷りこんであった。家へ帰ってからいろいろと考えてみたが、うまい訳語が見つからないので、かりに『日本ありし日の思い出設計株式会社』と訳してみた。
 平河町に小さなビルがあって、この�ありし日の思い出設計�会社は小さな部屋を借りている。スチール・デスクが三つほどあり、壁には契約書やら説明書やらが積みあげてあって、日本人が三人、インド人が一人いた。日本人は三十歳前後の若い人たち、インド人もマセてはいるがほぼおなじような年齢であると見られた。窓にペタリと小さな紙きれが貼ってあり、黒枠でかこんでつぎのような文句がマジック・インクで書きこんであった。
"Don't worry. We'll be last ones to let you down. Digger O'de11"
(心配しなさんな。さいごまで面倒みてあげます。墓掘りオディル)
 この会社は今年になってから設立され、�セールス�を本格的にはじめたのは七月からである。葬式の月賦販売である。つまり生きてるあいだに毎月いくらかの掛金を払って、葬式を買っておくのである。死んだら電話一本でこの会社がかけつける。いや、かけつけるのは東京の博善株式会社という葬儀屋さんで、�ありし日の思い出設計�会社と契約して、葬儀いっさいを担当する。だからあなたはただ故人をしのんですわりこんだまま涙ぐんでいるだけでよろしいのである。
「葬式も値段がいろいろとあるんでしょうね」
「ハイ。これでございます」
 販売部長補佐さんがパラリと厚い見本帳をひろげた。なるほど、一|頁《ページ》一頁に、霊柩車と祭壇と棺桶のカラー写真が貼ってある。値段によっていろいろとちがうのだ。値段表は「A、B、C」などという露骨な階級分類ではなくて「椿」「水仙」「桐」などと、みんな花の名になっている。大いに優しいものである。「椿」がいちばん安く、「菊」がいちばん高い。「椿」の�割引価格�は八万三百エン、頭金が三千五百エンで毎月(五年間)の掛金が千二百八十エンである。「菊」は�割引価格�が百一万四千二百エンで、頭金が二万エン、掛金が一万六千五百七十エンである。つまり「椿」だとあなたは一日に四十二エンほどを死に前払いしていくこととなる。タバコなら「新生」一箱を節約すればよろしい。肺と観念の浄化費である。奥さんがよろこぶでしょう。それに、平均寿命では女のほうが男より長生きするらしいからネ。五年ぐらいだけど……
�ありし日の思い出設計�会社の特徴は、通貨の変動に影響されない点にある。いくら物価倍増になって八万エンが四万エンくらいにおちても、契約した棺の厚さは半分にならないのである。博善株式会社へいって聞いてみたら、それは道義的にも保証いたしますという。なお、思い出会社が倒産してアメリカヘ去っても、加入者にたいしては道義的に責任を負う覚悟ですともいった。ただ、思い出会社の販売員には悩みがあって、一軒、一軒戸別訪問して、ごめんください、葬儀会社ですが、月賦で棺桶を予約なさいませんかとやると、たいていドナラレるか塩をまかれるかである。いろいろ工夫はするが、なかなかうまくいかないという。
「……まだ日本人はドライじゃないんですね。近代化されてないのじゃないでしょうか」
 補佐の若い日本人がそういってひそひそ嘆いているところへ、イギリスの大学で商科を勉強したというインド人の販売部長が英語で割りこんできて、ひとしきり解説をしたあと、
「これはセールスじゃないんです。ファミリー・サービスなんです。そして、アイデアはアメリカから輸入したけれど、これは日本の会社なんです」
 といった。
 A・キシナニ氏はとつぜん力んでそういったが、あとで契約書の見本を見せてもらったら、代表取締役はスコット・マコーマックという名になっていた。社長はリー氏というのである。
 また、キシナニ氏の背後の壁を見ると、グラフ用紙が一枚貼ってあって、赤鉛筆やらで長短さまざまの棒が書きこんであった。私たちの使命はセールスではなくてファミリー・サービスであると宣言した直後に、その棒グラフをさして、それはなんだねと聞いたら、
「これは販売員《セールスマン》の月間成績表ですよ。はじめたばかりだからまだ少ない。これは当社の販売図表《セールス・チヤート》ですよ」
 と答えた。形式はセールスであるが、精神はファミリー・サービスですといいたいところなのであろう。
 この葬式の貿易自由化にたいして日本の葬儀屋さんはどう考えているのだろうと思った。そこで渋谷のビルにいる東葬理事長(東京都葬祭業協同組合理事長)の小林総一郎氏のところへいってみると、氏は待ってましたとばかりにカラカラと豪傑笑いをした。
「ビクともしませんや」
 というのである。
 どうしてかと聞いてみると、思い出会社の値段が高すぎてお話にならないというのである。「椿」であれ、「菊」であれ、おなじ内容と質のものを日本の業者なら三分の一の値段でやれるというのだ。なぜそんなギャップができるのかと聞いてみると、思い出会社は長期の月賦会社であって、その間の物価の変動のことを考えて早く利ザヤをかせがなれけばいけないからだという。
 のみならず日本人には香奠《こうでん》という習慣があるので、たいていの家は額こそ違え、葬式の現金にキリキリ舞するということがないから、なにも生きてるうちに棺桶を買うまでのことはない。またわが国の死者にたいする篤実な心の習慣はそういうことをゲンクソのわるいことだと拒みたい反応を起す。また、ラジオだ、洗濯機だ、ハイファイだ、ナンだ、カンだと、みんな月賦に追いたおされていて、とても棺桶がわりこむ余地はないようであるという。
 東京都民一千万のうち年間の死亡者はほぼ四万人で、そのうち七割が葬儀屋さんを呼んで葬式をする。約三万人というのが業界の市場である。都内の葬儀屋さんの数は四百二十軒、一軒につき年間約七十件、一カ月約六件、五日間に一人のおとむらいをしているのが数字上の現状である。そこにまた生存競争が起って、ダンピングだの、過剰サービスだのと業者間の苦心工夫は、あまりつっこんでいいたくないけれどいろいろとあって、けっしてこれも楽な商売ではない。だから葬式のないときは手内職をしたり、トラックを走らしたりして、なかなかいそがしいのである。メモリアル・ライフ・プランがこういうところへのりこんできたって、どうってことはない。やがて敗れてハワイヘ帰るであろう、という。
「……それにですよ。第一、国民感情としても、ガソリンだ、コカコーラだ、口紅だとドルに吸いとられたうえ、なにも葬式まで吸いとられることはないじゃないですか。私たちを信じて頂きたいな」
 小林氏は気焔《きえん》を吐いた。そして、メモリアル・ライフ・プランは�52のサービス�などといって、病院と連絡をするの、医者に連絡をするのと箇条書きにしているが、そういうことは町の葬儀屋だってみんなやっていることである。いまさら事新しくうたわなくても常識になっていることである。けれども素人はなにも知らないからそういわれてみるとナルホドと思いたくなってくるのであろう。だからそういう手口の近代化だけは日本の業者も勉強しなければいけない。
「……ほかに葬式の近代化ってどういうことがあるんですか?」
 精力的なる小林氏はパッとたちあがって別室へいき、自社特製の最近の新案特許をもってきた。一つはガス・ライター式になったお灯明、もう一つはプラスチック製の位牌であった。ここへ戒名をマジック・インクで書くのだそうである。たえまなくこういうことを工夫、勉強していなければ時代におくれると氏はいった。
�ありし日の思い出設計�会社では最低が八万エンであった。東葬へいったら三万エンでも二万エンでも葬式はだせるという。平河町と渋谷、わずか三時間ほどのうちにわが唯一の絶対者なる死がそんなに値をおとしたので、この道のアマチュアである私はびっくりして目をパチパチさせた。そして数日後、北区上中里の『中央護助会』という非営利組織へいってみたら、なんと、毎月五十エン納めて一年たったら七百三十エンで葬式がだせるというではないか。
 私は目がさめ、いろいろとしらべにかかったのである。すると、平等にして絶対なるはずの死にもさまざまな値段がついているということがわかった。たとえば火葬料である。絶対なる私の死体は財布の重みによっていくらでも相対化されるのだ。火葬場によって値はちがうが、たとえばある火葬場で聞けば、�特別最上等�が九千五百エン、�最上等�が六千エン、�上等�が四千エン、�中等�が二千三百エンである。これが民間経営の火葬料で、値段のちがいはローストのぐあいがいいとか、わるいとか、速いとかおそいとか、生焼《レア》だからとか中焼《ミデイアム》だからとかできめられるのではなく、焼けば四民平等、ただの乱離骨灰であるが、カマの蓋に金の飾りがついているかいないかというだけでこういう差別がでてくるのである。もしあなたが率直と平等を徹底的に愛して虚栄を排されるならば、江戸川区の瑞江の火葬場へいけばよろしい。ここだと火葬料はただの千六百エンである。いって覗いてみたが、木立にかこまれた静かな火葬場で、たいへん清潔で明るく、手入れがゆきとどいて、結構なものであった。手首一つ、足首一つでも焼いてもらえる。お値段は四百エンである。工場で負傷したり事故に会ったりした人がときどき持ってくるそうである。オコツを持っていく人はいないという。
「耳一つ、小指一本というような例はありませんか?」
「そんなのはありません」
「自分の体からおちた部分は自分のものじゃなくなるんだから火葬にしなくちゃいけないわけなんでしょう?」
「そうです。ですけれど、部分葬の最低単位は〇・三メートル立方大、つまり三十センチの真四角な箱のなかに入る分量以内ということになってるんです。だから足首や手首や腕一本がいいところなんですが、小指一本などというのはないんですよ」
 それにしても�中央護助会�の値段の安さときたらすばらしいものではないか。ちなみにどういう地区の人びとが会員になっているかと聞いてみると、下町の北区、板橋区などがいちばん多いが、杉並、大田、世田谷などの山手の町でも加入者は多く、会員は現在、一万七千世帯、都内二十三区全区に及ぶ。海抜ゼロ・メートル地帯の人も入っているし、田園調布のお屋敷の人も入っている。無名人もいるし、有名人もいる。この会は法人組織で営利会社ではないからこんなに安くやれるのだ。敗戦直後の焼け跡のなかで日本民族がアリのようになって四苦八苦のくらしをしていた頃に発案された運動で、この互助の精神は毎年拡大、発展をつづけてきて、いまでは立派な二階建の事務所もあるし、自動車も六台備えるまでになった。同会には婚礼部もあるし出産部もあるが、いちばんにぎわっているのは葬式部である。
 こういう組織があるとは私はまったく知らなかった。けれどいろいろと聞いてみれば、今日いまからでもこの会に入って私は死の前払いをしてもよいと思う。�ありし日の思い出設計�株式会社などでかせがれたり、ハイエナのような葬儀屋さんに偽善でカスメられるのも遠慮申上げたい。死の儀式は簡潔、率直、単純、なるたけ�無�に近づくほど好もしいと思える。かくて平等と絶対という地上では入手不可能な価値に一歩でも接近できるであろう。
 中央護助会は東京都北区上中里二ノ二六にあり、電話番号は九一二─九三〇一である。受話器をとりあげたらたちまちあなたはムサボラれることのない、透明な死の観念で、毎月の月給日の脳乱を浄化し、かつ、雲の上の人のような超越の身ごなしと意識を入手できるのである。
 なお、瑞江の都立の火葬場は都の建設局、公園緑地課に属するのだそうである。あたりの町に木立がないので、夏の若い恋人たちはみんなこの火葬場の木立ヘランデヴーにやってくるそうである。そのたくましく超越した感性に私は感心する。
 係りの人がいった。
「スウェーデンの社会福祉は子宮から墓場までといいますけれど、ここはまったくそのとおりです。二つとも一つの場所にあるんですから最短距離ですよ。門をしめるときにときどき声をかけてやりますけれど……」
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