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ずばり東京34

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:    �うたごえ�の喜びと悲しみ 建築会社と製菓会社の独身寮へいって話をしてみたことがあった。建築屋さんの独身寮は冷暖
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     �うたごえ�の喜びと悲しみ
 
 
 建築会社と製菓会社の独身寮へいって話をしてみたことがあった。建築屋さんの独身寮は冷暖房完備、屋内体育館もついた、ホテルそこのけのすばらしい鉄筋コンクリ建であった。製菓屋さんのは、これにくらべるといささか劣ったが、女子寮であった。
 若者たちの話によれば朝から晩まで働きずくめに働くので、楽しみといったら食べて寝るだけだというのである。本も読まなければレコードも聞かない。くたくたに疲れてとてもそんなゆとりがない。せいぜい酒かテツマン(筆者注・徹夜で麻雀)で自分をへとへとに削りおとすことに陰気な楽しみをおぼえるくらいで、あとは日曜となれば朝から晩まで、不感不動、ひたすら眠るばかりであるという。ランデヴーをしたいとは思うのだけれど、どこへいって相手を見つけたらいいのかわからないから、見合結婚よりほかテはないだろうともいう。
 だいたい男子寮でも女子寮でもおなじような感想を聞かされた。男と女のちがいといえば、女はモヤモヤを消すのに乱酒テツマンなどせず、洋裁をしたりスターのスキャンダル週刊誌に読みふけったりする。男は聞きもしないレコードを買いあさったり、ハイファイを買いこんだりするが、女はためこむことにふけって、イイナ、イイナと楽器店で肌をなでるだけである。あとになるほど型も性能もよくなって安くなるにちがいないから、いまから嫁入道具を買うのはソンだわよというのである。
 けれど彼女たちの何人かは口をそろえて、うたごえの店にゆくのがせめてもの楽しみだわといった。
 彼女たちは網走から鹿児島まで、日本全国さまざまな地方から東京へ働きにでてきたのである。このだだっ広い干潟《ひがた》か沼地に似たネオンの荒野には、親もいず、兄弟もいず、親戚、友人などもいないのである。そこで彼女たちが細流をつたって群れ集るのは、うたごえの店である。これだけレジャー産業が発達しても、彼女たちの心と財布が求めるのはうたごえの店よりほかにないのである。
「……あそこへいったら郷里《くに》の民謡も聞けるし歌うたってたらなにもかも忘れられるんだけど、あとがかえってつらいわ。ゲッソリしてしまう。だけど、またフラフラといきたくなるの。どうしようもないわね」
 新宿の西武新宿駅前にある店はオリンピックにあやかってか、万国旗をたて、毎夜毎夜、若わかしい声のとどろきで壁がふるえるようである。叫び声、笑声、優しさ、強さ、絶望、歓喜、さまざまな歌と声が光をまきちらして噴水のようにほとばしり、煙りのように空へあがってゆく。さびしさの泉である。さびしさが噴きあがり、さびしさがたちのぼるのである。
 店のなかに入ってみると、小さなステージがあり、ピアノ、コントラバス、アコーデオンの若くて質素な楽団が汗だくでやっている。�エッチャン�ことポロシャツのカルーソが身ぶり、手ぶり、あけっぴろげの顔でニコニコ笑いながら歌をうたい、ギャグをとばす。ステージの壁には世界地図が画いてあって、万国旗をぶらさげ、オリンピック調である。お客さんたちは十八、九歳から二十一、二歳くらいのオフィス・ガール、学生、工員といった人びと。なかにはチラホラとオバさまやオジさまの姿も見える。
 三人、四人と仲間で一冊の歌集をまわしつつ、うたっているのもあるし、一匹オオカミでうそぶいているのもある。自分の知らない歌がうたわれるときは、すみっこでだまってレース編みにふけっている少女の姿も見える。みんなたがいに独立して、人がうたおうが、うたうまいが、知らん顔している。けれど合唱はおどろくほど巧みである。低音部、高音部をみごとに使いわけて、襞のゆたかな、輝かしい急流、浅瀬、よどみ、滝をつくり、こわし、消し、出現させている。自由で柔らかく、正確で活発である。眼が光り、歯が輝き、額が閃《ひらめ》く。ロシア民謡。イタリア民謡。シャンソン。日本民謡。黒人霊歌。労働歌。恋愛歌。軽快なの。荘重なの。うれしい歌。かなしい歌。
 知識人たちにはうたごえの店を鼻でせせら笑うか肩をすくめる習慣がある。�孤立�と�個性�と�非順応�を、ただそれだけを、ほとんど盲目的に皮膚の反応として心がけているから、�合唱�と聞いただけでいっせいに順応して逃げだすのである。この非順応の順応というのは皮肉な現象である。それからもう一つ、うたごえの店では革命歌を歌っていて、見果てぬ革命の夢をそんなところでウサ晴ししている浅薄さと感傷主義と少女趣味がやりきれないという気持なのである。革命をそんな形でとらえてジンマシンを起すという感性も、いいかげん蒙昧で感傷的でやりきれない少女趣味だと私は思う。ススキの影におびえているのだ。いつもなにかにおびえていないと不安なので、また、いつもなにか硬直したものにもたれていたいとも感ずるので、ノミを拡大鏡で見てゾウだと思いこむ反応が働くので、そうなってくるのである。いまの東京のうたごえの店は日本共産党の拠点では毛頭ない。
 うたわれている歌をごらんなさい。『しあわせなら手をたたこう』だとか、『そんな顔してどうしたの』とか、『忘れな草をあなたに』などという歌なんですよ。『ドリーム・ファイヴ』というのは人気があるが、これはガス・ライター屋さんの深夜番組のコマーシャル・ソングだというじゃありませんか。赤色ジンマシンもいいかげんにしなさい。むしろ率直に、オレは音痴なんだと泥を吐いてしまいなさい。趣味があわないだけのことなんだとおだやかにつぶやくだけにしておきなさい。
 いま東京には新宿に五軒、渋谷に二軒、吉祥寺に一軒、池袋に一軒、うたごえの店がある。延べ動員人数は労音とほぼおなじで、十万人くらいであろうかという。『カチューシャ』とか『山小屋』などという名もあるが、だいたい『灯』というのが�うたごえの店�の代名詞になっているようである。お客さんの年齢はだいたい二十歳が平均年齢で、オフィス・ガール、若いサラリーマン、学生、工員、中小商店の店員などである。西武新宿駅前の店で聞いたところによると、女は二十一歳になるとパッタリ来なくなり、むしろ男のほうがいくつになってもだらだらとやってくる傾向があるようだというのである。
「女性パンチ、男性センチといってるんですけどね」
「どういうことだ?」
「女はこないとなるとピシャッとこなくなるが、男のほうがセンチで、いつまでもずるずる尾をひいてやってくるんです」
「二十一になったら女がこなくなるっていうのは、どういうわけ?」
「さあ。よくわかりませんが、ボーイ・フレンドができて、よろずガッチリしてくるんじゃないでしょうか」
 母親大会のあとでお母さんたちが大勢視察がてらにやってくることもある。子供の遊び場が心配なのである。
『文化服装学院』の寮長先生が視察にやってきて、ここならよろしいといったそうである。だからこの学校の女子寮はわんわんおしかけてくる。聞いてみると、みんな地方から上京してきた少女たちであるそうだ。ときには杉並、世田谷、練馬区あたりの住宅地から親子家族連れでやってくるのもある。
 西武新宿駅前のこの店からあまり遠くないところにもう一軒の『灯』という店がある。その店のそばに『カチューシャ』、粗壁に丸太を組んだ店がある。お客さんが店によってちがう。『灯』のほうは組織労働者のたまりといってよく、『カチューシャ』のほうは学生やサラリーマンやオフィス・ガールなどである。
「……店のムードもちがいますが、歌もちがってきます。なんといったらいいか、『灯』のほうは血の匂い、『カチューシャ』は土の匂いとでもいいますか」
「ここの『灯』はなんの匂いがするの?」
「さあ……」
「コカコーラの匂いじゃないの」
「それもありますし、香水の匂いでもあります。いや、そうでもないな。香水までいかないナ。ローションの匂いかな」
 勇ましい歌やパンチのある歌が人気がなくなってきてソフト・ムードの歌のほうがよろこばれるので、この店ではガス・ライター屋さんとタイ・アップして『ドリーム・ファイヴ』をうたうのだそうである。もちろんお客さんの注文によってであるけれど……
 この店には客がいっぱいつまっていたけれど、おなじ時間にもう一軒の、�血の匂い�と教えられた『灯』へいってみると、まるでガランとして、からっぽの倉庫みたいにさびしく、荒涼としていたのでおどろいた。リーダーの青年が薄暗い電灯のしたで汗だくになってうたったり、跳ねたり、物真似をやったりするが、なんとなく水族館のからっぽのガラス槽の荒涼を見るような気がした。四、五人の若者や少女が汚れた壁にくっついてすわり、口のなかでもごもごとうたうだけであった。むしろその光景は悲惨ですらあった。
「どうして、こうむざんにさびれてるの?」
「今日は特別だな。こんなことはそうないんです。うちのお客さんには組織労働者が多いから、なにか統一行動でもあったら、とたんにそっちへいっちゃって、ヒマになるんです」
「今日はなにかあったの?」
「よく知りません。日比谷かどこかで原子力潜水艦の寄港反対の集会でもあったんじゃないかな」
「日によってちがうんだね」
「そう、そう。そうです。それにね、うちなんかにくるお客さんは低所得層で苦しい人が多いんです。だから、一日コッテリ働かされたら、もう体力的にここへきて歌をうたうゆとりなんかなくなっちまうというんです。せいぜい月給一万五千エンか六千エンくらいの人なら、この物価倍増時代にとても歌うたってる元気なんかのこりゃしないというのが正直なところらしいんですよ」
 純益は月に二十五万エンちかくあるが家主が三十万エン家賃をよこせといい経営者の個人的借財もあって、もう一年前から家賃をためているのだという。今月いっぱいで店をしめるか、しめないかの水ぎわに追いつめられているのだそうだ。総評の全国一般労組に入っていて、いくらか援助がないわけではないが焼け石に水でどうしようもないという。エノケンにちょっと似たこの青柳君というリーダーは十年ほどここでうたいつづけている。
 自分自身としてはなにか日本の民族的な、しかし民族的な限界をつきぬけたオペラをやってみたいと思って勉強しているところだといった。
 便所へ入ってみたら、荒《すさ》んだ壁にいっぱい落書がしてあった。
「中野、神山を除名しろ!!」というのもあったし、「なべての頂にいこいあり」というドイツの詩人の一節もあった。「純正コミュニストはこんなところで落書なんかしていない」。「そんな貴様はなにをしているのだ」。"Nothing"(筆者注・何モナイ)。「革命のあとでも税金はあるか」。
 ちょっと、はなれたところにある『カチューシャ』にいってみたが、便所に落書はなにもなかった。ここでは『デカンショ』だの、『オリンピック音頭』だのを合唱していた。
 十年ほど以前に灯運動を思いついて『灯』をつくったのは柴田伸さんという、その頃、早稲田大学の政経学部を卒業したばかりの青年であった。朴歯《ほおば》の下駄に腰へ手拭という恰好でデモにでかけたこともあったが、共産党に入党したことはなく、卒業後は一旗揚げにブラジルの鉱山へ繰りだそうと企んだこともある。保険会社の勧誘員をしたこともある。
 その頃、父親が歌舞伎町で白系ロシア人にロシア料理の店をやらせていた。ロシア民謡のレコードがたくさんあって、シベリア帰りの人や新劇人がよくやってきては食事しつつ誰いうともなしに歌をうたうようになった。
 やがてロシア人が店をやめたので、ひきつぐ。ハイボールもカレーライスもみんな五十エンという食堂をはじめたら、客の合唱もまじって大いに流行《はや》った。ゴウゴウわんわんとレコードにあわせてうたっているうちに、いつからともなく客のなかからリーダーがとびだして合唱の指揮をしたりするようになった。知りあいの火野葦平もやってきて、ビルを建てたときには『歌うビルディング』と名付親になってくれたりした。
 ある日、若い、目の大きい娘がやってきて、客の歌を導いた。関西合唱団から舞台芸術学院を経た娘で、すばらしいフィーリングを光のなかでみせた。結婚。家出をする。あちらこちらに流行りだしたうたごえの店を経営指導し、いまは吉祥寺で、やはり『灯』という店を経営している。
「リーダーはみんな従業員やお客さんのなかから選ぶんです。便所掃除から勉強してもらいます。いまやってるのは法政の学生や日大芸術学科中退の学生で、従業員もほとんどアルバイトです。私はお客さんが最上のブレーンだと思う。民の声は神の声です。リーダーが自分の好きな歌だけうたって酔っていてはダメです。そうです。教えつつ教えられるというのが理想ですね。『民族独立行動隊』と『忘れな草をあなたに』を同時にリクエストする客があっても笑ってはいけないんです。いま最大の問題はレコード会社とどう対決するかということです。レコード会社が泡吹くような歌をつくったり、発見したりして、うたごえ独自の立場を守らなきゃいけないんですが、どの店も経営者が一匹オオカミでそっぽ向きあってるから、逆にレコード会社に売りこまれてしまったりする。私はパンチのある歌、生活と結びついていて、しかも楽天性と笑いとヴァイタリティーのある歌を見つけたいんですよ」
 柴田氏は眼を輝かしてひたすらにしゃべる。この人には私に欠けている持続力、開放性、ロマンチシズム、理想主義のやみがたい衝動がある気配であった。たしかにこの人の店にはほかのどの店にもない客と歌手の柔軟でダイナミックな交流があってパチパチと火花を散らしているようであった。
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