毎週毎週、輪転機に追いまくられて枯葉のような暮しをしているので、ここ一年ほど私は古本屋歩きをすっかり忘れてしまった。
だいたい新刊本屋はギラギラして毒どくしいので私は苦手である。無数の著者がオレが、オレがと叫びたてているようである。こわばった、とり澄ました顔で、おごそかに、つめたく、叫びたてている。オレの意見を聞け、オレの本を買えといって叫びたてているのである。脳の弱った日にはとても入っていけない。無声の喧騒にみちているような気がする。とりわけ私自身の本がならんでいる棚のまえは、胸苦しさと甘酸っぱさでイライラしてくる。
古本屋の薄暗く、湿っぽい洞穴のなかにも文字の精がよどみ、たちこめている。精たちは恨みや呪いをかみしめ、皺や汚点《しみ》や手垢にまみれた顔に皮肉、自嘲、卑下をうかべている。けれど、人の手から手へわたり歩いてくたびれきってしまったので、みんな人なつっこくなっている。すくなくとも新刊本屋のようには私を脅迫しにかからない。精たちの傷だらけな顔がならぶなかを見ていって、ひそかに私の愛している著者の本があれば、思わずとりだして崩れた背表紙に指をふれたくなる。バカにしている著者の本があればザマ見やがれといいたくなるし、頁《ページ》のすみっこに鼻苦素のかけらがくっついていたりすると愉快になってくる。いささか薄汚くて非衛生的な、この蒼枯とした学院には意外に多種多様の楽しみがあって、くたびれた脳の皮が刺激される。
古本屋歩きは釣りに似たところがある。ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的をたてることなく歩いていても、たいてい、一歩店のなかへ入っただけで、なんとなくピンとくるものがある。魚のいる、いないが、なんとなくわかるのである。けれど、しばしば、これはいそうだナと思ったところが手に負えぬシケであったり、マサカと思ったところに意外な大物が一匹だけかくれていたり、小物でも珍しいのがひそんでいたりするので、第一印象だけで判断をくだすわけにはいかないのである。やっぱり谷底へ竿と餌を持っておりていってみないことにはわからないのである。川の形相《ぎようそう》は釣る気があるとないとで一変する。また、釣りたい魚があれば、それによって川は一木一草がまったくちがった相貌を帯びてくるのである。いまの私がいちばんほしいのは、とにかく川へもどりたいという気持だけである。
神田界隈には古本屋がざっと百軒ちかくある。こんな狭い地区に古本屋だけがこんなに集っているのは世界の都でも東京だけだろうと思う。銀座にあれだけ�夜の箱�がおしあいへしあい集結しているのも世界に珍しい例であるから、この二つの事実だけをならべると、東京住人は世界でも珍しくよく学び、よく遊ぶ種族だということになりそうである。新刊本の発行部数が世界で第二位だとか第三位だとかいうのだから、古本屋の数もそれに並行するのはきわめて自然な現象である。�インテリ�の質を問わなければ東京は�マス・インテリ�社会であるといえそうである。パチンコ屋やラーメン屋にどんどん転業するという噂をひところ聞いたことがあったけれど、まだ百軒もあってそれ以上は増えもしなければ減りもしないと教えられ、民族の知力衰えず、テレビ、エロ小説、ナニするものぞと、ひそかにたのもしくなりました。いっぽうでは、なにもそんなにベンキョウ、ベンキョウと追いたてられた気持にならなくてもよいではないかと思いますが……
駿河台下に『古書会館』という古本の中央市場がある。�会館�といっても木造バラック二階建のひどくお粗末なものである。ここではほとんど毎日のように市がたつ。古本屋さん同士の売り買いの市であって、一般書会、東京古典会、東京洋書会、東京資料会、明治古典会、一新会などが主催するのだ。古典会は和本、漢籍、洋書会は西洋の本、資料会は大学や官庁などの刊行物、統計表などである。一般書会は小説本、趣味本、宗教書その他一切、明治古典会は明治以後の文芸書専門である。これらの会は古本屋の組合の鑑札を持った人だけが入場でき、素人は入場できないことになっている。素人が入れるのは市のない日に開かれる即売会だけである。掘りだしものがあるのは古典会と即売会だといえようか。何十万エン、何百万エンという掘りだしものはしばしば業者が客とじかに秘密に取引するけれど、それでも目ききのむつかしい古文書だから古典会の市には意外な大物の出現することがある。即売会は古本屋と素人客の直接公開の取引なので、これまたタカラものにぶつかる機会が多い。本を愛する老若男女が朝から駿河台下のバラックに集り、おしあいへしあい、いい年配の紳士がおされて血眼になって、「そんなことして読書人といえるかッ!」などと叫んだりする。本は読む人によってガラクタにもなれば、ダイヤモンドにもなるものであるから、ひしめきあいが起るのは当然のことだといえる。即売会は待ッタなしの早いもの勝ちである。
戦前いちばん活気を帯びたのは一年のうちでは三月であった。その頃は教科書が国定であったから学期の変りめにはドッと品があふれ、一年の古本屋の売買の半ば以上がこの月におこなわれるというくらいであった。けれどいまは教科書が国定ではなく、学校によってまちまちであるから、それほどのうごきが起らない。洋書会は横文字の本を専門にした市であるが戦後しばらくはよかったけれど、いまはあまり流行《はや》らない。むしろ古本屋のあいだでは、あいつはアタマがわるいから洋書を扱うのだというふうに見られている。大した客もいないし、大した本でもないからである。このことをあとで古典会の権威の反町《そりまち》氏に聞いてみた。氏のいうところによると、イギリスやアメリカに売る和本は文化的に高度なものである。それにくらべるとアチラから輸入する古本は新しくて安い古本が多く、稀覯《きこう》本は少ない。だから全体としてみれば文化的には�輸出超過�になる。それが是正されるには、あと三十年くらいかかるのではないかということであった。日本の学者、研究団体、図書館などの貧しさを語ることである。これだけ横文字が東京には氾濫していても、基質部ではまだまだ浸透が貧しく、浅いのである。運動会にバカ銭使っても学問には使わないのだ。税金フンだくって穴ぼこに埋めても図書館には駄本しかならべないのだ。
古書会館でやってる競《せ》りを見ているとおもしろい。板の間にザブトンを敷いて古本屋さんがすわっていて、口ぐちに値を叫ぶ。部屋のすみっこにはかつぎこまれた古本が汚い小山のように積まれている。それをひとかたまり、ふたかたまりとかつぎだす人がいる。これを�荷出《にだ》し�という。なかなか神経のいる仕事である。競りが熱を帯びるのは朝の十一時頃で、このゴールデン・アワーに競ってもらおうとみんなが本を持ちこみ、たのむ、たのむというのを、あしらわなければならないのである。荷出しされたゴミのかたまりを一冊、一冊、�振り手�がさばく。ランニングにパンツ一枚という恰好でひっきりなしに値を叫ぶのが�振り手�である。値のついた本をかたっぱしからポーイ、ポーイとブン投げるから�振り�というのである。いいかげんくたびれた古本を平気でポーイ、ポーイと投げる。えらく乱暴だナと思ったが説明を聞くと、ああ見えてもうまく投げるには三年、声には五年かかりますということであった。
「……六百エン。六百エン。『日本暗殺史』一巻本。エ、こーれーが六百エン」
「五十!」
「八十!」
「エ、こーれーが六百八十」
「九十!」
「こーれーが六百九十。エ。こーれーが六百九十。ハイ。おちた。六百九十エン。頑冥堂さん」
声といっしょにひょいと手をふると、『日本暗殺史』が空《くう》をとび、頑冥堂の膝もとへたがわずドタッとおちつくのである。ずいぶん重い本でもブンブンとんでゆく。若くないとつとまらない仕事だそうである。よこに机をおいて�山帳《やまちよう》�と�ぬき�と呼ばれるおじさんたちが毛筆で買手と本の名を黙々と半紙の帳面に書きつけてゆく。いまにとぶのじゃないか、いまにとぶのじゃないかとハラハラして見守っていたが、私の本はこの日はとばなかった。
一般書会の市がこれだったが、洋書会はいくらか�近代化�されている。板の間へ連結式のレールを敷き、そこへ四角の盆をのせ、そこへ本をのせて、ゴロゴロところがしていくのである。値はいちいち叫ばないで、封筒ヘメモを入れる。それを集めて�中座《なかざ》�、つまり胴元が、メモのなかの最高値をつけた人に本をおとす。なかには本の内容と相場のわからない人もいて、封筒のなかをちょいちょいかいま見る。もちろんカンニングだから反則であって、頑冥堂はきつくお叱りをうけるのである。
奇抜なのは古典会である。ここは斯界の長老が多く、白髪、銀髪、一見紳士風、人品骨柄いやしからざる風貌の先生たちがやってくるのである。東京美術クラブや白木屋などで売りたてをすると、水揚げ高五千万エンからときには一億エンになろうという業界である。七年前に藤原定家の直筆《じきひつ》本『馬内侍《うまのないじ》歌日記』が三百五十万エンでおとされたことがあった。最近ではやはり定家の真筆《しんぴつ》で『是則《これのり》集』が本文わずかに六丁あまりであるが百七十万エンでおとされた。この種の古文書は少なくなるいっぽうだし、物価はあがるいっぽうだから、値はいよいよあがり、永年の経験、知識、学力、鑑定力が必要とされる世界であるから、いわば古本界の元老院議員みたいな人びとが集ってくる。
いちいちはしたなく叫ばない。頑冥堂もこの市ではひっそりしている。みんな逸品を見つけてもポーカー・フェイスで知らん顔している。さわぐと値があがるからさわがない。どうするかというと、�おわん�というウルシ塗りの茶椀の蓋のうらに毛筆でちょこちょこと値を書きこんで、だんまりのまま胴元のところへ投げるのである。外は黒塗り、内は赤塗り、糸底にひとつひとつ『頑冥堂』とか、『腹蔵屋』とか『誠実荘』、『鳶書院』などと名が書いてある。木の角盆にのってよれよれ本が茶会みたいにまわされてくると、頑冥堂はトクと点検したあげく、手持のお椀のうらに毛筆で値を書きこみ、だまってポーイと胴元へ投げる。あちこちからポーイ、ポーイととんでくるのを胴元はつかまえ�開きます�といって、ひっくりかえす。いちばん高い値をつけた人に本はおちるのである。競りではない。一本勝負。男の商売。きびしいのだ。
お椀をころばずに投げるのにも何年とない修業がいるのであるが頑冥堂は慣れた手つきでポーイ、ポーイとほりこむ。もし頑冥堂が高値のものを競りあって二位になると、ときには一位者から�残念賞�としてナニガシかの心附《こころづけ》をあとからもらえることがある。頑冥堂と鳶書院が二人おなじ値をつけたとするとその場で『丁』か『半』かで勝負をきめるのが原則である。これまた男の一本勝負だ。親しい間柄だと、二人で別席に移り、イッパイやりながらゆるゆると談合いたすこととなるのである。イヤ、おみごと、といって二人でほめあいをするのである。きびしい商いのなかでも�芸�を楽しむという風情があるのはなかなかのものである。だいたい和本にかぎらず、古本全体、どこへいってもそういう気配が感じられるようだ。自分の店で売ったのだという自尊心のために一万エンで買った本を八千エンで売ってみたり、いつまでも棚に売れのこりになると不明を嘲笑されてるような気がしてシャクなものだから四百エンの本を一気に五十エン均一のゾッキの箱へ�勘当�してみたりするのも古本屋が商売人であると同時に�芸�人でもあるという気質からくるのである。なかなかおもしろいではないか。
画商には店を構えないで画をコレクターの邸から邸へ全国を旅行しつつ売り歩いているのがあるが、古本屋にもそういう人がいる。学校や会社や図書館などに出入りしてオートバイ一つで走りまわるのである。弘文荘主人こと、反町氏はその最大の人物であって、和本界の最大権威である。彼の一声で掘出しものの値がきまってしまうというのである。学者たちは掘出しものの内容について鑑定、箱書きはできるけれど、市場での値段はまったく別のものである。頑冥堂が京都の旧家の蔵から掘りおこしてきた和本は大学で折紙をつけられても、それだけでは市価がわからないから、反町氏のところヘヨウカン一棹といっしょにかつぎこんで、市価の吟味をしてもらう。そしていくらかサバを読んで客のお邸へ暮夜ひそかにかけつけるのである。頑冥堂は親代々の古本屋であるが国文学に暗いので内容にあわせて値をつけるということがなかなかできない。文車《ふぐるま》の会や和本研究会に入り、また仲間といっしょに天理大学の図書館へ勉強にいったりもして研究にはげむのであるが、なにしろ広大深遠な世界であるので、しばしば迷う。
反町氏は店を持たずに文京区西片町の閑静高雅な邸に蟠踞《ばんきよ》、一見したところ大学教授みたいに品のよい眼を澄ませつつきびしい商いをいとなむ人物である。財力、経験、学識、和本界のシーザーである。大英博物館やハーヴァード大学などとも通信で取引をする。『馬内侍歌日記』を掘起して衝撃をあたえたのもこの人である。日本の古文書は国際的に見て安すぎていけないということ、古本屋が勉強しなさすぎるということ、古文書を�本�と考えて�宝�と考える考えかたのなさすぎることなどを、私に向って人物は声を荒らげて強調、力説した。電報一本で京都でも博多でもその日のうちに古文書めがけてとんでゆくというところ、シルヴェストル・ボナール氏(アナトール・フランスの小説にでてくる古本蒐集家)の典型にして精力的なる日本版と拝見できた。
書《ふみ》が読まれて肉の悲しむ秋である。なつかしくも湿っぽい洞穴へでかけて読者諸兄姉も他人には理解のできない秘宝を発掘にでかけ、一時間、二時間、静寂のうちの緊張を楽しまれてはどうであろうか。