東京にはずいぶんたくさんのヒッチハイカーがいる。神出鬼没を身上にした連中なので、いったい何人ぐらいなのか、見当のつけようがない。東京は日本じゃないよといって北海道や九州の田舎を歩きまわるのもかなりいる。
新宿の喫茶店に集ってきて、たいがい情報交換をやってるというのでいってみた。有名な『風月堂』という画廊喫茶で前衛画、前衛彫刻がたくさんある。いつきてもおなじような年齢の、おなじような顔の、おなじような風俗の芸術青年、芸術少女がもうもうとしたタバコの青い濃霧のなかにすわりこんで人をニラミつけている。つかみようのない嘲笑で薄いくちびるをゆがめ、人を刺すようなまなざしで眺め、ふっと顔をそむけて吐息をつき、ひくいひくい声で話をする。暗くて、けむたくて、ヤニっこく、おとなしい店。
いつのまにか、ここが日本の鬼才青年や天才少女にまじって外人のヒッチハイカーたちの連絡所になってしまったらしい。ふらりと入ってきてなにごとか仲間と話をすると、またふらりとでてゆく。午後二時か三時頃に一波きて、たそがれから夜の八時頃まで、また第二波がくる。飲んでゆっくりするのは『どん底』という有名な安酒場である。ずいぶんいろいろの国から流れてきた若者たちで、この原稿を書くために話を聞いたのはイスラエル、オランダ、イタリア、スイス、アメリカ、アイルランド、イギリス、ニュージーランド、日本だった。
ヨーロッパ、またはアメリカからヒッチハイクに出発をするのに南回りと北回りとある。南回りはヨーロッパをどんどん南下してゆきトルコのイスタンブールにたどりつく。ここで八十パーセントがおち、二十パーセントの勇敢な若者たちが中近東、インド、東南アジアをへとへとになりながら横断して日本にたどりつく。
ここでたっぷり眠り、たっぷり食べ、たっぷり稼ぐ。北回りの場合は南欧、中欧、東欧、北欧とさかのぼってカナダ、アメリカ、海峡地帯、南米とノシたあと、オーストラリアヘわたり、日本へくる。東南アジア、インド、中近東にオゾケをふるって、北回り組もここでかなり脱落するようである。
風月堂やどん底は世界じゅうのヒッチハイカーのあいだに知れわたっていて、東京へいったらあそこへいけ、とか、何月何日、あそこで待っているからといいかわすのである。日本へつくと、さっそくかけつけ、仲間を見つけて、情報の交換、つまり、どうして口説《くど》いたらこの国の女はおちやすいかとか、どこへいったら安くてうまいものが食べられるか、とか、耳から耳へのひそひそ声で、どこで仕事を見つけるか、というようなことなど話しあう。なにかつかむとソソクサとかけだしてゆき、何日も姿をあらわさない。日本外務省の規定によれば外人旅行者は働いてはいけないことになっているのだが、みなさんご存知のお国風だからヒッチハイカーたちは、トンと仕事に困らない。銀行や大会社の英会話教師、会話塾の先生、外人向高級店のセールスマン、映画のエキストラ、服飾雑誌のファッション・ボーイ、それから、なかに一人、乞食だけで稼いだヨといいだしたのもあった。
暗くて、けむたくて、ヤニっこい喫茶店のすみっこにすわっていると、つぎからつぎへ、さまざまな魚がたそがれの上げ潮にのってやってくる。彼らの話は山ネコのようにはねまわるのでとりとめがなく、どこからがホラで、どこからがホントなのか、さっぱり見当のつけようがない。だいたいおれたちヒッチハイカーの話は八十パーセントくらいがホラですよと、スイスの青年がいった。これは万国共通、旅する人のきわめて正常な反応である。とりわけ砂漠、荒野、雨、インド、熱病、風土病などにきりきざまれると、この衝動はいきいきとうごきださずにはいられまい。彼らが食いはぐれるのも気の毒なので、名前をみんな変えて書くことにする。
㈰シャロム・ソロモン=ニュージャージー生れの米系ユダヤ人。良家の出だと自称する。父は判事を引退して弁護士、母は薬剤師。イスラエルとアメリカのあいだを放浪して歩き、やがてアメリカヘもどったら大学で政治学を勉強したあと、エルサレムのヘブライ大学に入り、あの小さな国に永住したい。アメリカを卒業して、オレの『エクソダス』(�栄光への脱出�)をやるんだという。色の白い、背のひくい、がっしりした、ちょっと傲慢なところと割切りすぎたところのある青年。大久保の下宿の四畳半の壁には予備校の生徒募集の垂幕がかかっている。掛軸のつもりらしい。ヒッチでどん底におちこんだらパンを盗んでも許さるべきであって、それが悪であるかどうかは解釈の問題にすぎんのではあるまいかという。日本の女性の従順さにはつくづくおどろく。こんなに清潔さやデリカシーの尊重される国なのに、ある女は灰皿がないといったらチョコチョコと指さきでもみ消し、眉ひとつうごかさなかった。これはどういうことなんだといって、茫然とする。私が風邪をひいてるといったら、これはお母さんが手ずからつくってくれた特製の錠剤だからといって一コくれたが、べつにどうということはなかった。
㈪サボ・フランク=オランダ。アムステルダムの生れ。生れたときに両親は家のなかにユダヤ人をかくまっていたというので強制収容所へ送られた。だから父母の顔はいまだに知らない。姉が一人いてどこかへ逃げたと聞くけれど、いまヨーロッパにいるものやら、アメリカにいるものやら、どうさがしようもない。
針金のようにやせた男である。横浜に上陸したあと、しばらくドックで風太郎をした。一日、千三百エン。三人家族の中年の日本人の波止場労働者の家に寝泊りさせてもらった。貧しくて、くさいけれど、とても親切だった。体を痛めたので東京へでた。エルサレムで別れた前記シャロムとバッタリ出会った。いまは銀行と会社で英語を教えている。アメリカの金持娘といっしょに三部屋つきの中野の高級アパートに住んでいる。けれど愛しているというわけではない。彼女はオレを愛してるらしいが、オレはどうってことはないのである。これからさきもいっしょに旅をつづけるつもりだが、愛してる女とはヒッチはできないと思うンだ。ヒッチのコツは、スマートネス(頭がよくてキビキビしてシャレていること)にあると思う。どうも見てるとスマートなやつだけがパンにありつけるようなんだ……という。
「どこの国でもだいたい貧乏人ほど親切だし、田舎へゆくほど親身にしてもらえるが、金持とか都会とかはなぜそうならないのだろうね?」
私がぶつぶつとつぶやくと、シャロムとサボの二人は声をそろえ、
「それが文明てものなんだ」
といったあと、声がわかれて、
「災厄だよ!」
「どこでもおんなじだあ」
となった。
㈫ヴォルティ、カルヴィ、エラスム=スイス人。三人一組になってあらわれた。くっついたりはなれたり、はなれたりくっついたりしながら旅をしている。
「……オレはベルギーの外人部隊にはいってアフリカヘいったことがあるんだ。コンゴだよ。ここで黒人一人射殺したら千マルクもらえた」
エラスムという青年がそういう話をはじめた。
こちらがすわりなおして、
「その話、ほんとか?」
と聞いたら、ひるんだまなざしにはなったが、ほんとだよと答えた。
「君が殺したの?」
「そうさ」
「何人?……」
エラスムが答えようとするのをヴォルティとカルヴィの二人がよこからいきなり割りこんで話をさまたげた。わやわやわやとなってそのまま話は消えてしまった。
エラスムは薄く笑って、
「いまのはウソだよ。オレたちヒッチハイカーの話の八十パーセントはホラなんだよ」
といった。
ヴォルティはサモア、フィジー、タヒチなどの南海諸島もめぐり歩き、カルヴィはマラヤで中国人相手にタラの肝油で一稼ぎしたという。スイスのまともな市民生活の倦怠にたまらなくなって逃げだした。オレたちは逃げ歩いてるんだという。三人とも、そういった。けれど、私は、なんとなく、このうちの一人か、二人か、三人かは、なにか犯してきたのではないだろうかと思えてならない。少なくともあり得ないと断言することはできないのである。
㈬バスタ・ボンゴーレ=たくましい大男のイタリア人。十七の時にとびだしてパリヘいったのが病みつきになって、以後、十三年間流れつづけている。写真家だといったり、詩を書くといったり、やがて故郷《くに》の山にこもって体験を小説にまとめあげるつもりなんだといいだしたりもする。陰毛ヒゲぼうぼうの巨漢であるが、眼は丸くて、人のよさそうな笑いをただよわせている。紅茶代はきっちりワリカンで払っていく。律義な男。
「……ヘンリー・ミラーは二十世紀最大の作家だね。オレはヘンリー・ミラーがセミコロンの一つ一つまで理解できるんだ。ロレンス・ダレルも、サルトルも、ヘミングウェーも、ミラーにかかっちゃどうしようもないよ。あいつこそイル・マエストロ(巨匠)なんだ。ヘンリー・ミラーはオレの友だちなんだよ。田舎道の石コロから銀河系の混沌まで、すべてを彼は描きだしたよ。新刊のエッセイ集読んだかね。まだか。ざんねんだな。こういう句があるよ。Story is called. Murder the murderers! というんだ。この本は戦争についてのエッセイで、ミラーの平和主義者の側面がよくでてるよ」
ひとしきり彼は陰毛ヒゲをもみあげもみおろしてミラー論を展開しにかかったが、そのあとでフッと声をひそめて私の眼をまじまじとのぞく。
そして、てれくさそうに笑いながら、ひそひそと、
「オレ、ミラーも好きなんだが、じつは、ヘルマン・ヘッセも大好きなんだよ」
とりあわせの奇抜さに私がふきだすと、ボンゴーレはニヤッと片目をつぶってみせる。それがあまりに優しいそぶりだったものだから、
「いやァ。そんなもんだよ。そんなもんだよ。人間は矛盾の束だわ」
といったら、ふたたび陰毛を眼のまえにちかぢかとよせてきて、『ペーター・カーメンチント』、『シッダルタ』『車輪の下』と……かたっぱしからヘッセの本の題をとけそうな郷愁をこめてつぶやきだした。少年時代からの愛読書だそうである。
愉快に笑う、熱いボンゴーレは、自分をヒッチハイクにかけては世界最大の巨匠だと呼号し、ヒッチハイクのコツは国をでるときになるたけ遠くへまず走っちまうことだ、あとはどうにかなるものであるといっている。
㈭エール・ディーダラス=アイルランド人。二十七歳。山羊ヒゲ。背低《せひく》。青い、澄んだ、優しい、びっくりするくらい美しい瞳をしている。
国を出てからはグリーンランドであざらし狩をし、アイスランドで漁師を手伝い、カリブ海では果物を運ぶスクーナーにのりこんで働いた。パリヘぬけて、ソルボンヌで二年フランス文学の研究をした。ボードレールが大好き。ローマでアメリカ娘と仲よくなって東京までいっしょにきた。ヨーロッパはダメだ。アジアがいい。ヒッチもしやすいし、人もスレていない。インドは親切すぎるくらいだった。おれは国の空気が息がつまりそうだったのでとびだした。いまは帰りたいとも思わない。けれどさきのことはわからないから考えないことにしてるのだ。くよくよしたってはじまらないよ。おれは偉大なる楽天家なんだ。
㈮エールがそういう話をしているところへとつぜんアメリカ人の青年が一人口をはさんだ。これが乞食だけして東京で食ってるという若者で、ショバは新宿西口あたりである。ボンゴーレが日本は暮しにくいといったら、ヒョイと、そうは思えないヨと口をはさんだ。いままたヒョイと口をはさんだ。妙に子供くさく甲《か》ン高い声である。「……サイゴンは妙な町だよ。おかしいんだよ。『H銀行』ってのが中心にあってね。そこを夜なかに通りかかったら守衛らしいのがでてきて女ほしいだろうと聞くんだよ。ほしいといったら、階段から階段へぐるぐるあがって、いくつも部屋を通りぬけてね、頭取室につれこむんだよ。そしたらその金ピカの部屋で淫売がソファに寝ていてね。朝になったら女も守衛もさっさとどこかへ消えてしまって、それはもうちゃんと銀行になるんだ。そして夜になったらまた女がどこからかやってきて頭取室へ入るんだ」
㈯ワンダラー・ダッチ=マイアミ出身の米系ユダヤ人。二十二歳。鋭くやせた顔。目を伏せて、ひそひそとしゃべる。言葉につかえ、言葉を選ぶのに苦心し、いいたいことがうまくいえなくて口ごもっている。
マイアミ大学で二年、ヨーロッパ哲学を勉強したという。十九歳で国をとびだし、放浪はこれで三年めになる。西欧にもいき、社会主義圏ではユーゴにもいったが、つまらなかったという。インドと東南アジアで二年暮し、日本はこれで八カ月になる。二、三日したら船でバンコクヘいこうと思っている。近代国家はきらいだ。原始が好きだ。マルキシズムはよいが独裁制は反対だ。純粋なコミュニズムが好きだ。アメリカは南ベトナムから手をひくべきだ。アメリカがでたらベトナム人はおたがい戦争はやらないだろうと思う。アメリカは沖縄からもひくべきだ。インドでは一日に一万人ずつ餓死してるんだってことを知ってるか。資本主義ではこれは救えないと思う。父は早く帰ってこいといって旅費に五百ドル送ってきてくれたが、それでホンダを買って、船にのせた。おれは、じつは軍隊とはトラブルがあるんだ……
ぼそり、ぼそりと、ストローの紙袋をおもちゃにしながら、おおむね右のようなことをこの誠実で知的な顔だちの青年は話した。話しおわると、憂鬱そうに口を閉じた。
「兵役を逃げまわってるんだね?」
声をひくめて私がたずねると、なんにもいわないで、さびしい水のように微笑した。