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ずばり東京39

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:    サヨナラ・トウキョウ オリンピックの開会式を見て帰った夜に風邪をひき、三十九度ほどの熱がでて、毎日うつらうつらと
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     サヨナラ・トウキョウ
 
 
 オリンピックの開会式を見て帰った夜に風邪をひき、三十九度ほどの熱がでて、毎日うつらうつらと寝ていた。ひどく執拗で頑強な風邪で、とうとう二週間も寝こんでしまった。
 十月二十四日の閉会式を見物にでかけたが、まだ熱や悪寒《おかん》があって、頭のなかに霧がかかったみたいになっていた。他人の足で道を歩いているようだった。雲を踏んでいるような感触があって、いつ穴へおちこむか知れない気味のわるさがつきまとった。
 つめたいたそがれの風のなかを国立競技場へいってみたら、七万三千人の人がつめかけてスタンドは満員であった。切符を買えなかった人がたくさん場外にはみだして、うろうろしていた。外人選手団が国旗をかかげて入場してくるのを見ようとして歩道にあふれんばかりになっていた。
 スタンドにはいると、たくさんのライトがつけられていた。楽隊がはいってきて、天皇が入場して、梵鐘《ぼんしよう》の電子音楽がほら穴で御鳴楽をおとしたみたいなぐあいに鳴って、『君が代』が演奏された。国旗を持って各国代表が一人ずつ行進し、ギリシャ、日本、メキシコの国旗があげられ、ブランデージが挨拶し、ファンファーレが鳴り、聖火が消え、旗がおろされ、大砲が鳴り、『螢の光』が演奏され、松明がゆれ、選手たちはワァワァはしゃいで茶目りながら退場し、天皇が去り、花火がドーン、ドーンと鳴った。
 バイ菌に食われてにごった私の脳にも歓楽のあとの哀愁がそこはかとなくしみこんできて、陰惨なことを考えはじめた。とりわけ梵鐘が鳴ったので|やわ《ヽヽ》な脳はそれにふさわしい反応を起した。なんでも説明書によると、これは黛敏郎氏が作曲し、NHKの技術部が協力してつくった電子音楽であって、東大寺、妙心寺、高野山、輪王寺など、日本の有名なお寺の鐘の音を素材にしてあくまでも原音のこだまを忠実につたえつつも�エレクトロニクス時代のオリンピックにふさわしい�響きをつくりだそうとして苦心したものなのだそうである。なんとも奇妙キテレツ、こっけいとも、陰鬱とも、間がぬけてるとも、暗愁にみちてるともつかないもので、じっと聞いていたら、腹をかかえて笑いださずにはいられない性質のものである。
 古来、お寺の鐘は、『色即是空 空即是色』と鳴るものではないか。現世の存在すべてはむなしきいつわりであるぞよ、むなしきいつわりこそが現世の存在であるぞよ、というペシミズムを私たちの脳膜にたたきこもうとして何百年も何千年もかかって練りあげ、鍛えあげ、工夫に工夫を凝《こ》らした音ではないか。それを汗と腋臭《わきが》のむんむんたちこめる肉の祭典の開会式と閉会式にやろうというのだから、愉快である。皮肉に凝りかたまった知恵者がどこか舞台裏にかくれているのではあるまいか。子供くさい狂騒に冷水をぶっかけてやろうという演出意図ではあるまいか。この嘲罵《ちようば》の精神はチューインガムじみた感傷的ヒューマニズムと浅薄きわまる愛国心とポン引じみた国際愛の氾濫したこの二週間の花見踊りのなかでたった一つ発揮された知性であった。なんとも突飛すぎて奇抜な逸脱ではあったけれど私は大いにたのしんだ。
 お寺の鐘が得体知れぬ暗愁の混沌においてごううううおおおン、ぶわあああああンと鳴りひびくところへ『君が代』が演奏されるものだからいよいよこちらはおとむらい気分になってくる。暗い、陰惨な、いやなことばかり考えて、どうしても陰々滅々となってゆくのである。過日、永山記者に労災関係の役所へいって調べてもらってきた数字が頭に浮んでくる。オリンピック関係の工事で何人の人が死んだかという数字である。おとむらいの鐘を聞いていると、どうしてもそういうところへ考えがいってしまうのである。
 
  ▽高層ビル(競技場・ホテルなどを含む)……十六人
  ▽地下鉄工事……十六人
  ▽高速道路……五十五人
  ▽モノレール……五人
  ▽東海道新幹線……二百十一人
[#3字下げ]合計……三百三人
 
 これが死人の数である。
 病人、負傷者の数となると、もっとふえる。�八日以上の休職者�という官庁用語に含められる人びとであって、これは新幹線関係が入っていないが、合計、千七百五十五人という数字になる。新幹線関係の数字を入れるともっと増えるだろう。件の役所の話によれば、この千七百五十五人のうち、統計的にほぼ一割近くが不具者になるのだそうである。つまり、約百七十人が不具者になるのである。
 労働者が負傷すると、どれくらいの補償がされるのかということはすでに労災病院を訪ねたときに調べておいたから、くどいようだけれど、もう一度書きだしてみようと思う。いつ誰の身にふりかかるかも知れないことなのだから、こういうことはいくら知っても知りすぎることはないと思う。
 
 ◎年 金(一級〜三級)
  目玉二コ         二十四万エン
  失語症と顎ガクガク     〃
  白  痴          〃
  半身不随          〃
  両腕|肘《ひじ》から上        〃
  両足|膝《ひざ》から上       二十四万エン
  両手の指十本       十八万八千エン
  失語症か顎ガクガク     〃
 
 ◎一時金(四級〜十四級)
  両耳聞こえず       九十二万エン
  顎ガクガクと舌レロレロ   〃
  腕一本肘から上       〃
  足一本膝から上       〃
  片腕ぶらぶら       七十九万エン
  両足ぶらぶら        〃
  両足の指十本        〃
  片腕の関節二コ      六十七万エン
  片足の関節二コ       〃
  キンタマ二コ       五十六万エン
  片手の親指と人さし指    〃
  片足の指五本       四十五万エン
  脾臓《ひぞう》又は腎臓《じんぞう》一コ      〃
  鼻欠け          三十五万エン
  女の顔のひどい傷     七級
  男の顔のひどい傷     十二級
 
 人体のパーツ、および人命は、日本では、インドよりは高いかも知れないが、�子宮から墓場まで�国家が手厚く国民を保護しているデンマークのような国とくらべたらお話にならない低さである。ちかごろしきりに日本は大国であるという説を聞かされるけれど、いったい何を基準にしてそういうのだろう。下の国を見てそういうのか。上の国を見てそういうのか。たしかに日本はインドよりは富んでいる。けれどデンマークよりははるかに下である。アメリカにくらべたらまたさがるだろう。米の食べかたから見ると世界第一位であるが、動物性蛋白の食べかたは世界第十八位である。国民総収入は世界第八位だが国民一人あたりの収入は世界第二十三位である。人口が多いから頭割りにするとそんなにおちるのである。
 いや、こういう話はやめよう。統計や数字は感覚に忠実であるべき作家の避けねばならぬところである。私は日本を卑下もしなければ事実に眼をつぶって部分だけ拡大して誇ろうとも思わない。事実を事実として眺めたいと思うだけである。田舎者くさい虚栄を憎むだけなのである。国家が私に対してしてくれたことのみについて私は国家にそれだけの範囲内で何事かを奉仕してもよいと|考え《ヽヽ》てはいるけれど、いまの日本国家についてはそんなことを|感じ《ヽヽ》たことがない。気質の中心において私は無政府主義者である。
 お寺の鐘がごううううおおおおン、ぶわあああああンと鳴りどよめくのを聞いているうちに、つい死人のことを考え、やがて、ジョン・ダン(注・十七世紀の英国の詩人)の詩を思いだした。工場爆発、煙霧、列車脱線、地震、台風、洪水、地崩れ、幼児殺し、謀殺、いろいろな物騒なことがたえまなく起るわが国ではとくにこの弔鐘の詩を明日はわが身と考えて読む必要があるだろう。はなはだ凛々《りんりん》とした雄弁でふるえているけれど、ついにむなしく、そらぞらしいと感じられる祈りでもある。
 
 何人モ孤島ニハアラズ 孤《ひと》リニシテ全《すべ》テニハアラズ 何人モ大陸ノ一片 全体ノ一部ナリ モシ一片ノ土塊《つちくれ》ニシテ海ニ流シ去ラルコトノアラバ ようろっぱノソレダケ減ルナリ アタカモ岬ノ減ルニヒトシク 汝《な》ガ友ノ荘園 マタ汝レ自ラノソレノ減ルニアタカモヒトシ 何人ノ死モ我ヲ減ラスナリ ナントナレバ我ハ人類ニ含マレタレバナリ ユエニ誰《た》ガタメニ鐘ハ鳴ルト問ウコトヲヤメヨ 汝ガタメニ鳴ルナリ
 
    ◇   ◇
 
 さて。
 この回で私の仕事は終る。
 一年半ほどのあいだ、毎週毎週どこかへでかけていって新しい人と会い、話を聞き、新しい事を眺め、とりとめもなく見聞を書きつづってきた。一回に最低五人の人物に会うとして、この仕事をしているあいだに私はざっと三百三十五人から三百五十人ほどの人物に会ったこととなる。
 人びとはどの職場でも何十年と働いてきた人ばかりであったから、一週間に三日や四日訪問してちょこまかと意見を聞いて歩いたところで、何もわかるものではなかった。家に帰って輪転機に追いまくられてそそくさと原稿を書いてはみるものの、いつも、後頭部のどこかに、むなしいことをしている、むなしいことをしているというささやきがあった。なにをどのように書いてもその気持は消えることがなかった。むなしいことだ、むなしいことだというつぶやきのほかに、いいかげんな知ったかぶりばかりおれは書いているのだと思うと、気持がわるくてわるくてならなかった。
 その気持をまぎらすためと、安全株は買うまいという気持のために板ばさみとなって、文体にいろいろ苦しんだ。独白体、会話体、子供の作文、擬古文、講談、あれこれと工夫をこらしてみた。しばしばシャレを狙って穴におち、ときどきほんとに楽しんで書き、一カ月、二カ月たってから読みかえして、いつも憂鬱な気持におちこんだ。はじめ私は西鶴が試みた一群の風俗見聞録のことを考えて仕事にのりだしたのだった。好色物よりは西鶴ではそういう文集のほうが私にははるかにおもしろく感じられるのである。そこで本にするときは、私は『昭和著聞集』という副題をつけた。この副題のほうが私には本題よりもはるかに気持にマッチするのである。
 毎週毎週広い東京を東西南北、上下左右にわたって歩きまわるうちに私はひどい疲労をおぼえはじめた。新しい人物に会い、新しい話を聞き、新しい物を眺め、新しい土地を歩かねばならない。小説なら都屋のなかにしゃがみこんだきりでも書けないわけではないが、この仕事はいちいちでかけていかなければならないのである。やがて私は新しさに疲れはじめた。たえまなく新しさを追いかけるのはひどく疲れることであり虚無を生むことである。毎週毎週は輪転機に追いまくられてキリキリ舞いしながら書きつづってゆくのであるけれど、本にまとめて読みかえしてみると、ひどくニヒリスティックに感じられる。おそらくそれは現代の大都会の生理である。一つの章はつぎの章となんの関係もなく、ただ東京にたまたま存在するというだけの関係があるきりである。モザイク、寄木細工みたいなものである。だから私が一章、一章の事と物と人に対して真摯《しんし》、誠実になろうとすればするだけ、全体としてはいよいよ虚無的になっていくこととなるのである。なるたけあからさまに、むきだしに書こうと私は努力したが、それでも、やっぱりいっぽうでは、自分の文章の背後にかくそうかくそうとする努力もした。そして、さまざまな玉に針をとおしながらも、どこか一本の糸がつらぬいていることがはっきりわかるようなふうに書いてみたいものだと考えていた。それが感じられるか、感じられないかは読者一人一人の感想に属することであって、私には判定のだしようのないことである。
 四百字詰原稿用紙にして毎回七十枚から九十枚くらいに相当する事実を調べたが、本文はたったの十四枚分しかないので、書けなかったことのほうがはるかに多いのである。書こう書こうとしてつい書きもらしてしまったことがじつに多い。また、山谷で暮してみようと意図しながら、とうとう果せなかったということもある。防潮堤に閉めだされて高潮にさらわれるままになっている人のあることも書こうとしながら書けなかったし、魚釣りの餌のミミズを掘って生計をたてている人のあることも書こうとしたが、つい機会がなくて終ってしまった。
 あちらこちらと都をほっつき歩いてみたが、知れば知るほどいよいよわからなくなった。この都をどう考えてよいのか、私にはよくわからない。気ちがいじみた勤勉さで働いているかと思うと朝の九時からパチンコ屋は超満員である。外人にこれほど親切な都もないが、日本人どうしはソッポ向きあって知らん顔である。超近代式のホテルや競技場があるかと思うと、その外側にはマッチ箱みたいな家が苔《こけ》のようにおしあいへしあいヒシめいている。下水道が二割ぐらいしかないのに高速道路がありモノレールがある。中曾根康弘氏に会って話を聞くと政界ほど腐敗をきわめたところはなく、毎年毎年その腐敗は深まるいっぽうであるということだけれど、だからといって国が空中分解してどうにもならぬというようなことは起らない。税金はすさまじいものだけれど納めてしまえばみんなケロリと忘れるし、脳の皮が乾くくらい水涸れになっても秋になって台風がきて雨が降ったら新聞は�慈雨きたる�と書きたててケロリと忘れてしまう。総理大臣が、束京都はあるが都政はないときめつけたら、都庁職員はいっせいに、都政がないということは国政がないということだといいだす。なにがなにやら、ただもうもうとして、さっぱりわからない。一人の人間が自己を発見するには一生かかってもまだ足りないくらいなのだというから、ましてや千万人の都、九千万人の国となると、いよいよわからなくなるのが当然かも知れない。私たちはたえまなく日本人とは何ぞやと問いつづけ、議論しつづけ、書きつづけている。どの国民もおなじである。アメリカ人はアメリカ人とは何ぞやと問いつづけ、フランス人はフランス人とは何ぞやと問いつづけている。この問いは永遠なものであろう。もし、しいて、答えを見つけようとするなら、問いつづけることのなかにしか答えはないはずである、とでも答えるよりしかたあるまい。
 
 
 東京には中心がない。この都は多頭多足である。いたるところに関節があり、どの関節にも心臓がある。人びとは熱と埃《ほこり》と響きと人塵芥《ひとごみ》のなかに浮いたり沈んだりして毎日を送り迎えしているが、自分のことを考えるのにせいいっぱいで、誰も隣人には関心を持たない。膨脹と激動をつづける広大な土地に暮しているが、一人一人の行動範囲はネズミのそれのように固定され、眼と心はモグラモチのそれに似て、ごくわずかな身のまわりを用心深く眺めまわすだけである。ある意味で東京人の心理は隠者のそれに通ずるものがある。朝となく夜とない膨脹の衝動にくらべると、私たちの心のある部分の収縮ぶりは奇妙な対照となる。
 東京は日本ではないと外人にいわれるたびに私は、いや、東京こそはまぎれもなく日本なのであると答えることにしている。都には国のすべての要素が集結しているのだ。ものの考えかた、感じかた、職種、料理、下劣、気品、名声ある変化の達人の知的俗物、無名の忍耐強い聖者たち、個人的清潔と集団的汚濁、繁栄と貧困、ナポレオン・コニャックとラーメン、絶望と活力、ありとあらゆるものがここに渦巻いている。ここで思いつかれ、編みだされた知恵と工夫と狡智が地方を支配する。私はこの都を主人公にして一つの小説を書こうとも考えて探訪しつづけてきたのである。私の犯した失敗は一つ一つ見聞するたびに原稿に書いたということである。よい商人は品物を深くかくすものだという原則をやぶって、一つ一つの原料の表を書いてしまったのである。あと私にできること、しなければならないことは、この見聞録に書かなかったことや、書きおとしてしまったこと、それらさまざまの≪経験≫の酒を心の涼しく暗い底に寝かせて成熟を待つことであろう。もっと多くの町角を曲り、もっと多くの人の話に耳を傾け、眺めたり、舐めたり、さわったりするうちに、いつか私は眼のたくさんある作品が書けるだろうと思うのだ。うまくいけば誰も書かなかったような作品になるだろう。今日から私は壁のなかにしりぞき、とり入れた果実を拭いたり、磨いたり、床《ゆか》にならべたり、手にとってつくづくと眺めたりすることにふけるのである。
 ずいぶんきわどいことやえげつないことも自由に書くことをゆるしてくれた『週刊朝日』の編集部に感謝します。また私の視野を広げることを助けてくれた三人の記者諸君にも深く感謝します。
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