——気の毒な天気予報官
天気予報がはずれると、天をうらむよりも予報官を責めるのがならいの昨今だが、私はいわれのない非難を受ける予報官が気の毒でならない。なぜなら、気象現象は多数の多少とも偶然的な要因が積み重なって生じる統計的な現象で、どんなに気象観測の精度をよくしても予測不可能な予測値からのハズレが必ず残るものだから。
観測設備や予報技術がいくら改善されても、高々当たる確率が若干大きくなるだけの話で、百発百中には決してならない。どれくらいのハズレの範囲内ならばマア当たったことにしよう、という許容誤差の大きさを小さくするほど当たる確率は小さくなり、許容誤差をゼロにすれば当たる確率もゼロになるから、極端ないい方をするなら、予報というものは当たらないのが当たり前で、当たったらよほど不思議なものなのである。
ところで、力学や電磁気学と並んで物理学の基礎的な分科の一つになっている統計力学は、われわれが日常直接見たり触れたりする普通の物体の性質を記述する理論体系である。このような物質は、多数の原子や分子からなっており、そのふるまいは、一つ一つの原子または分子の多少とも偶然的な運動が積み重なって生じる統計的な現象である。それゆえ統計力学の原理も、天気予報の原理と非常によく似たものなのである。
しかし、物質を構成する原子や分子の数がほぼ十の二十三乗個というケタはずれに莫大なものであるために、統計力学によって予測されるふるまいからのハズレは通常の観測装置の測定誤差よりもはるかに小さくなる。このために統計力学では、許容誤差をゼロにすると当たる確率もゼロになるという事情は天気予報の場合とまったく同じであるにもかかわらず、予測が事実上百発百中になるのである。
物理屋が予報官のような憂き目を見ずにすむのは、ひとえに物質を構成する粒子の数が莫大であるおかげであるといえよう。ありがたいことである。