——コンマと符号に御注意!
句読点の打ちどころには気をつけよという警句を兼ねる笑い話のタネに、「フタエニマゲテクビニカケルジュズ」とか、「カネオクレタノム」というような電報文がよくもち出される。電報文では短い文章の中に沢山の意味を含ませようとする結果、いわゆる冗長度が小さくなって、ちょっと間違えたり点の打ちどころをちがえるだけでまったく別の意味になってしまうということが、ふつうの文章よりはるかに起こりやすいのである。
われわれ物理屋が使う数式も、コトバでいい表そうとすると千万言を必要とする内容を、一行か二行でいい表すための道具であるから、電報文と同じことがしばしばもっと極端な形で起こる。波動の伝播を記述するのは波動方程式とよばれる微分方程式であるが、この方程式のどこか一ヵ所でプラスかマイナスの符号を間違えると、とたんに波動を記述する方程式から、静的な力の釣り合いを記述する、まるで違った内容をもつ方程式になってしまう。また、すべての物質粒子はフェルミ粒子とボーズ粒子というふるまいのまったくちがう二種類の粒子に分類されるが、平衡状態でのこれらの粒子のエネルギー分布を表す式は、ただ一ヵ所符号がちがうだけである。それゆえ、これを間違うと大変なことになるのである。
分子生物学によると、一人々々の人間の性格のちがいは、基本的には遺伝子の中の分子の配列のちがいに帰着されるのだそうである。将来遺伝子が合成できるようになったら、遺伝子の中で分子が作っている「文章」におけるコンマの打ち方が、重大な意味をもつことになるかもしれない。
近頃は電報がめったに使われなくなり、これはまた冗長度がやたらに大きく、いい直しや繰り返しのきく電話にとって代わられたから、電報の笑い話ももうしばらくたつと意味が分からなくなって忘れられてしまい、その代わりに遺伝子の中の原子の配列が笑い話に登場するようになるかもしれない。それが人類にとって幸いなことかどうかはわからないが。