——フィルターの操作
旧東海道線の上り電車に乗ってボンヤリしていたら、「フジサワ、フジサワーでございます」という車内アナウンスとともに電車がホームに止まり、やがて発車した。ところが次の駅に近づくと、ふたたび「次はフジサワ、フジサワー」というアナウンスが聞こえてきて、一瞬耳を疑った。駅に着いてから駅名標を見たらそこが藤沢で、前が辻堂。前のアナウンスは「ツジドー」と言っているのが「フジサワ」と聞こえてたのだとわかった。茅ヶ崎の次は藤沢だとカンちがいをして考えていたので、アナウンスまでがそう聞こえたのである。
人間の感覚はまったくたよりないもので、自分がこうと思いこんでいると、まったく別のことを人が言ってもそう聞こえてしまうことがあるのである。少々ペダンティックにいえば、「ツジドー」という音声に含まれている周波数成分のうち、「フジサワ」という音声に含まれている成分と共通のものだけを拾い出し、あとは捨ててしまうというフィルターの操作が、脳ミソの中で無意識のうちに行われていたということであろう。数学や物理ではこういう操作を「射影」という。
地図は三次元の空間の中の物体の配置を二次元の平面の上に描いたものであって、地図を作るということは物体のもっている位置と高さという二つの成分のうち、高さという成分を捨ててしまう一つの射影操作にほかならない。ただ地図の場合には、実際には存在しない等高線という曲線、あるいはボカシとかケバとかを用いて土地の起伏を表現することができ、それによって、射影操作によって失われた情報を補っているから地図として役に立つのである。等高線もケバもない地図を見て、土地の様子が立派に描写されているとは誰もいわないであろう。
しかし地図以外の場合には、知らず知らずにひどい射影操作をやっていながら、それが真実そのもの、あるいはその忠実な反映であると主張していることが多いのではないかなと電車にゆられながら考えたのである。