——数式アレルギー
吉田洋一氏の戦前の随筆に、こんな話が書いてあった。
ある役所で貯蓄組合を作ったとき、ある人が、月給x円の人はx2/10,000円を積み立てることにしたらどうか、と提案したところ、会計係が式をよく見もしないで猛烈に反対した。理由をきくと、式などというむずかしいものは困る。月給何円から何円までは何割何分というように、階級別に率をぎめてほしいという。そこで、実際にこの式を使って各人の積立額を算出してみせたら、またたく間にできてしまって、会計係もそんな簡単なこととは知らなかったと降参した、と。
今ではこんな極端なこともなかろうが、数式(数学)に対する一般のアレルギーは依然として解消にはほど遠いようである。自然科学の中では最も数学に近い物理をやっている人達の中にさえ、数学とは必要悪としての道具にすぎず、物理の真髄は数式とは別のどこかにあると考えている人がいる位である。
たしかに、新しい物理法則を見出すためには、数式を離れた奔放なイマジネーションと思考の飛躍が不可欠である。しかし、一たん法則をたててしまえば、それは数式としてしか表現のしようがないものであり、数式そのものが物理法則である。その内容を言葉でいい表そうとすれば、千万言を費やしてもなお足りないであろう。式によって物事が簡単になること、積立金の計算の比ではないのである。
一つ一つの物事が簡単になるばかりでない。あたかも地上にいたのでは分からない複雑な地物間の相互関係が、空から見下ろすと一目瞭然となるように、数学を使うと、雑多な現象の間の関連が、スッキリと見通せるようになるのである。
数学は物事を難しくするのではなく、むしろ易しくするのである。理論物理の主な仕事の一つも、数学によって自然現象の理解をできるだけ「易しい」、見通しのよいものにすることである。頭のかたい会計係を降参させてよろこぶのは人がわるいが、数学者や理論物理屋にはこたえられない誘惑なのである。