——みかけは浅い落とし穴
野原の真中におとし穴があっても、走っていって穴の直前で気がつけば、はずみをつけてそれをとびこえることができよう。しかしはずみをつけても力が足りなければやはり穴に落ちるであろうし、とびこえることができても、向こう側に渡ってからの走り具合は、落とし穴にぶつかる前とはちがってくるであろう。
大勢の人が穴に向かって走って行ったとき、穴に落ちた人のことは問題にせず、穴をとびこえることができた人の走り具合が、穴にぶつかる前とどれだけちがったかということだけを見ていれば、穴ではなくて、高々浅い窪みぐらいしかないように多分見えるであろう。つまり穴をとびこえた人々だけを問題にするかぎり、落とし穴を浅い窪みにおきかえてもさしつかえない、ということになる。
落とし穴とは重力ポテンシャルが突然低くなるところ、すなわちポテンシャルの深い窪みであり、浅い窪みは文字通りポテンシャルの浅い窪みである。深い窪みをとびこえてきた人々の窪みの前後での走り方の変化、すなわち状態の変化だけを問題にする限り、深い窪みを浅い窪みで代用してもよいのである。
このような考え方は、理論物理学でよく用いられる。粒子が飛んで来て他の粒子の引力ポテンシャルの中に入ると、そこに捕獲されてしまうか、散乱されて進む方向や状態が変わる。ここで捕獲されてしまうものを問題にせずに、散乱されたものだけに着目するときには、本当のポテンシャルをそれよりずっと浅いポテンシャルで代用することができる。この代用ポテンシャルを真のポテンシャルに対して擬ポテンシャルという。
どういう擬ポテンシャルを用いればよいかは大きな問題であって、深い理論的考察を必要とするが、いったん擬ポテンシャルが求まれば、散乱による状態の変化の計算がいちじるしく簡単になるので、この考え方がしばしば用いられる。また無数の原子が集まってできている固体や液体の中の電子のエネルギー状態をしらべるのにも、擬ポテンシャルの考え方が有用である。